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14. 佐久田凌


 隣で、ムキムキの男がトレーニングしている。

 ぶら下がった重そうなダンベルを上げたり下げたりする度、その肩の盛り上がった大きな筋肉が面白いくらいに動いている。

 凄ぇな、格好いい。と思うと同時に、貧弱な身体でマシーンの使い方も今ひとつわかっていない自分が急に恥ずかしくなる。



「それ」



 突然声がした。その主は、さっきまで俺が勝手に眺めていたその男だった。



「……はいっ」


「錘がガシャンってならないように、ぎりぎりのところでまた持ち上げるのがポイント」



 当たり前のように親切に教えてくれた彼は、とくに微笑みもせず、また自分のトレーニングに戻った。



「……ありがとうございます」



 言われた通り、股を閉じたり開いたりするよくわからないマシーンで実践してみると、たしかに効いている気がした。


 それからしばらく数個のマシーンをわけもわからずにやり、有酸素運動を五分だけしてからジムを出た。

 今流行りの二十四時間ジムの、体験。アプリで簡単に申し込めてその日のうちに入会できる。でも、入会はしないことにした。彼女の沙耶には悪いけど。



『ジム行ってきたよー。俺には無理そう笑笑』


 歩きながらLINEを打った。

 送信した後、もう一通。


『今から会う?』


 とりあえず自宅の方へ向かって歩く。やがて到着しても、沙耶からの返信はないままだ。何

してるんだろう。今日は休みのはずで、とくに予定もないと言っていたのに。

 時計を見ると、まだ午前十一時。今からデートするのも良い。

 しばらく経っても返信がないので、電話を掛けた。

 数秒の呼び出し音。もう出ないのかと思い諦めて切ろうとしたとき、やっと繋がって彼女の声が聞こえた。



『もしもーし……』



 どうやら寝起きのようで、少しかすれていた。



「あ、ごめん。今起きた?」


『うん……。二日酔いやばい』


「マジ。そんな飲んだの?」


『まぁ……』



 最近毎週飲みに行っているらしい沙耶は、よく二日酔いになっている。会社の同僚とやらと仲が良いようで、なんだか楽しそうだ。



「今から会えない?」


『……いい、けど』


「あ、もしよかったらなんか買ってそっち行こうか?」


『……うん。ありがと』


「よし。じゃあとりあえず帰ってシャワー浴びて、沙耶の家向かうわ!」


『オッケー』



 なんかテンションが低いけど、二日酔いならそりゃそうか。

 とりあえず会えることが嬉しくて、俺の足取りはさっきよりも軽くなった。

 最近あまり会えていなかったし、今日は沙耶の家でゆっくりしよう。初めてのジム体験の話でも聞いてもらおう。



**



 午後一時。コンビニで買った弁当やらしじみ汁やらポカリやらを抱えて、俺は沙耶の部屋の呼び鈴を鳴らした。

 数秒後に、ちゃんと化粧をした沙耶が出迎えてくれた。少し元気を取り戻したのか、俺を見てにっこり笑ってくれた。



「いらっしゃい。久しぶりだね」


「マジそれな!」



 ここに来るのは、もう一ヶ月ぶりくらいかもしれない。踏み入れた途端に鼻に香る、沙耶の匂い。なんだか懐かしくすら感じる。



「色々買ってきたよ」


「うわーっ、ありがと!」



 可愛く微笑んで両手を合わせ、沙耶はそれらを食べたり飲んだりした。



「生き返るわぁ」



 最近少し心配したりしていたけど、何はともあれ元気そうでよかった。



「最近飲み過ぎじゃない?」



 わかってはいるのに、つい余計なことを言ってしまう。



「そうなの、仕事で結構ストレスたまっちゃってさー」



 なんの気ないように、彼女は腕をぐーんと伸ばした。



「え、大丈夫?」


「うん、全然。余裕。なんやかんやこうやって発散できてるから」


「でも無理はするなよ。身体壊さないようにな」


「わかってる。ありがと」



 沙耶の飲み会に男がいるのは、なんとなくわかっていた。たしかに全く不安がないというと嘘になる。でも俺は、彼女を信用しているから。

 たとえ飲み会の後に連絡がしばらくつかなくても、変に問いただしたりはしない。そういうことをするのは、世界で一番ダサいと思っているから。

 ちゃんと家に帰ってさえいれば、大丈夫。


 食べ終わった俺達は、二人でソファに腰掛けだらっとする。そして俺の初ジム体験談をべらっと話し、沙耶が心地の良い相槌を打つ。

 いつものように自然に、沙耶の肩に腕を回す。すると沙耶が俺にもたれかかってくる。その顎をくいっと持ち上げる。流れるように目を閉じた彼女にキスをする。

 絡み合う舌、指、身体。俺達は一つになる。これまでと変わらない、これからも変わらないであろう、俺達の幸せな時間。

 だけど最中、彼女の反応がどことなく冷めたように見えるときが何度かあった。やっぱりまだ疲れているのだろうか。


 事が終わった後、俺は当たり前のように冷蔵庫を開け、いつも常備されている水を取り出そうとした。しかしその中に見慣れないものがあるのに気付いた。ブラックの缶コーヒーだ。

 沙耶は甘党で、ブラックは飲めない。そのシリーズの缶を買うときは決まってカフェラテのはず。そしてそれは俺も同じだった。

 俺が知っている限り、沙耶は友達を家に呼んだりするタイプじゃない。じゃあこれはいったい誰のものだ……?



「……沙耶ー」


「んー?」



 リビングの方で、床に散りばめられた衣類をゆっくり拾っては身に付けながら彼女が返事をする。



「このコーヒー、誰の?」



 軽く、あくまで全然気にしていないように聞いた。

 するとほんの一瞬だけど、沙耶の顔が間違いなく動揺した。視線は合っているはずなのに、その目が泳いでいるような変な感じ。何かを言おうと口を開いたけど何も思い浮かばなかったのか、変な間が生まれた。

 そして数秒後、



「あぁー、それね!会社で上司にもらったんだけどいらなくてずっと置いてある」


 

 今思い出したかのような大袈裟な言い方に違和感があった。

 ずっと付き合っていたからすぐにわかった。沙耶は今、嘘をついていると。

 じゃあこの缶コーヒーはいったい、誰のものなんだろう。



「へぇ、そうなんだー」



 棒読みすぎる自分の声に笑いそうだ。

 それから再び二人でソファに腰掛け、映画を観たり、時たまいちゃいちゃしたりして過ごした。

 やがて夜になり、近所のファミレスで夕食を食べ、明日友人達と遊びに行く予定だった俺は泊まらずにそのまま自宅へ帰ることにした。

 駅まで見送ってもらい、手を振り合って改札のところで別れた。


 なんだか今日の沙耶は、いつもと違っていた気がする。何がどう、とかはよくわからないけど、何かを隠しているような……。まぁ、気のせいか。

 俺はイヤホンをして電車に乗り、自分だけの世界へと帰った。

 




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