32話 昨日よりもきっと
「――――――ッッ!!!」
蒼と紫の光が、破滅を斬り伏せる。
高エネルギー体が両断され、その維持が出来なくなり、炸裂した。
それは無数の流星群となり、エルネメスの地に降り注ぐ。
その大半はクロムやルフラン達の手によって消し飛ばされたが、被害なしとはとても言えないレベルで拡散してしまった。
だが、国そのものが消し飛ばされるよりも遥かにマシだ。
遥か上空で剣士と竜神が対峙する。
黒々とした紫の雷を纏い、凶暴性を隠そうともしない竜神。
蒼と紫の光を両翼として備えた、禍々しい妖刀を構える剣士。
もはや交わす言葉はなく、ただ人智を超えたその力をぶつけ合う事でしか対話は叶わなかった。
(あの時妖刀が僕に見せたのは、最悪の未来の姿。妖刀に依存し、呑まれた者の末路。だけど、今は違う)
クロムはパルメア王国での最後の戦いを思い出していた。
兄ギリウスに婚約者を奪われ絶望の果てに禁薬に手を染めた男――アディオ。
恐ろしく強かった彼を倒すために、妖刀はクロムに起こり得る未来の姿を貸し与えた。
それは限界を超えてなお蒼気を解放することなく、妖刀に完全に魅入られた愚か者の姿だった。
確かにあの時の自分は強かった。
妖刀という究極にして無限のエネルギーを生み出す兵器を最大限に活かし、圧倒的な暴力を巻き散らす破壊の化身としては、これ以上ない姿だっただろう。
だが、それでは意味がないのだ。
それでは、これまで積み上げてきたすべてが無駄になる。
それでは、あの日の誓いが意味を失ってしまう。
全てを失い、そして生まれ変わったあの日、世界最強の剣士になると、師と母に誓ったのだ。
「蒼月」
幾度となく衝突しては離れてを繰り返す。
パワーは互角――いや、流石にあちらが上か。
だが、スピードと小回りでこちらが勝る以上、決着に時間はかからない。
「なんなんだ! 一体なんなんだよお前は!!」
声が聞こえる。歪んではいるが、恐らくジークの声だ。
「何故ヒトが神に挑める! 何故罪宝の継承者如きが、冥界の頂点に抗える!!」
さらにスピードを上げる。
冥竜神はクロムの姿を残光でしか追えなくなった。
蒼き光が過ぎるたびに身体が裂け、紫の光が過ぎるたびに穴が開く。
その巨体を生かした攻撃は一切当たらなくなった。
「僕は水天の理に導かれて天に至る剣士。その道筋を阻むなら、例え神だろうと撃ち落とす」
「くっ……いいのか! この体を殺せば、捕えたアリアも死ぬ! それでもいいのか!?」
「死なせはしない。竜の神を殺し、あなたを引きはがし、アリアを救い出す。それだけのこと」
「調子に乗るのも大概にしろぉぉっっ!!」
戦いとは、先に余裕を失った者が負ける。
闇雲に暴れまわって殺せるのは弱者のみ。
単なる暴力に屈しないからこそ、強者なのだ。
そして何より――
「あまり、アリアを舐めないほうがいい」
恐るべき速さの一振りで生まれた斬光が翼を引き裂く。
そのまま瞬時に懐へと潜り込み、その胸に深々と刀傷を刻みつけた。
「――!!」
直後、冥竜神の体から凄まじい雷撃が溢れ出た。
荒れ狂う雷はクロムを狙っているわけではなく、周囲にばら撒かれているだけだ。
明らかに制御できていない。いや、それとも――
(あと一押しか)
「奥義」
あと一撃加えれば全て終わる。
天空に君臨する神に、大地を見上げさせてやろう。
彼女に空を見せてやろう。
クロムは両翼としていた羽を全て刀へと収束させる。
もはやあれでは避けることも叶うまい。
「龍血淋漓」
都合のいい道具として、意思なきままに暴れまわる哀れな竜神に救いの一太刀を。
その強大なる肉体を本来の持ち主に返してやろう。
身体を失い、人の心を知った彼女ならきっと大丈夫だろう。
あの雷は、簒奪者へのサイン。
自らを牢獄から解き放つ者への心からの叫び声だ。
ならばあとは、その檻を力づくで破壊するだけ。
「喰らえええええ!!!」
腹の底から、魂を震わせ、叫ぶ。
全霊を込めて振るった渾身の刃は、神の身を砕き、破壊した。
轟く雷鳴が勢いを増し、その体を包んでいく。
そして眩い黄金の光が炸裂し、やがてそれは一人の少女を形どった。
黄金の槍を携えた、姫の帰還だ。
クロムは慌てて空を蹴り、力なく落ちてくる彼女を受け止めた。
恐らく、弱った隙を見計らって竜神の体内で派手に暴れまわったのだろう。
豪奢なドレスはボロボロだ。
だけど、彼女の顔は憑き物が落ちたかのように爽やかだった。
「おかえり、アリア」
「――はい。クロムさん」
誰もが慕い愛した彼女に涙は似合わない。
今日の彼女は、昨日よりもずっとお姫様だった。
♢♢♢
「ぐ、そっ……」
王都から少し離れた森の中。
共鳴状態を解除され、地に墜ちてなおジークは生きていた。
すぐ近くには真っ二つにされた冥竜神の巨体が転がっている。
立っているのもやっとという状態だったが、そんな彼を動かしているのは執念だ。
一度は手中に収めたはずの宝。
10年近くかけて、ようやく手に入れたはずのものを、何もかも失って帰ることなど許されない。
だが、完敗だった。打てる手は全て打った。その上で負けた。
一層清々しい気分だったが、それでも、その上で諦めるわけにはいかなかった。
「ならば、せめて……」
ふらふらと、縋るように神の肉体へ寄り添い、手を伸ばす。
自分のものにならないのなら、せめて誰のものでもない状態に戻してやろう。
全てを更地に返して、なかったことにしてやろう。
この残された神の肉体の全てをエネルギーに変換して、彼らもろとも破壊しつくすのだ。
「は、はは、はははははははっっっ!!」
そこに、信念も決意もない。あるのはただ、執念のみ。
これも全て、敵の死を見届けなかった彼らが悪いのだ。
さあ、共に地獄へ行こう。
乾ききった笑みが、木霊した。
「――つまらない幕引きね」
ぞくりと、背中が冷えた。
次の瞬間、辺り一帯が氷華に包まれる。
ジークの体は、顔の一部を残して凍てついた。
「これ、は……」
あらゆる感覚を失い、ぼやけた視界の中で、その女は現れた。
顔の半分を氷の結晶で埋めた少女。
体の芯に響くような、冷酷な声。
このような真似が出来る女を、ジークは一人しか知らなかった。
「興覚めよ。ジーク」
「フェル、マッ――!!」
フェルマ・フィアロヴァー。
弱冠15歳にして、あらゆる魔術師を過去のものとした、恐るべき氷華の魔女。
ジークが今まで戦ってきたものの中で、最も勝ち目がないと思った女だった。
「こんなところで、なに、して、やがる……」
「それはこちらのセリフ。あなたは一体、何をしているのかしら。そして、何をしようとしていたのかしら」
「…………」
「沈黙は金。雄弁は銀。立派な考えね。わたしの問いに答える気がないのなら、せめて永遠にその口を閉ざしておくといいわ」
「っ、やめ――」
もはや言葉は不要と言わんばかりに、一瞬でジークの体を凍結させ、破砕した。
彼女の眼の前には先程の魔術で半分凍り付いた冥竜神の死体が転がっていたが、フェルマは僅かに目を細めただけで、そのまま何もせず背を向けた。
「確かに成長しているようね。ルフラン、クロム。だけど、まだ足りない」
以前戦った時とは比べ物にならない成長速度を見せた二人の様子を、彼女はずっと陰から見ていた。
しかし、まだフェルマが求める次元には至っていない。
今一度フードを深く被り直し、ゆっくりと歩き出す。
僅かに露出したその腕には、魔狼の紋が刻まれていた。




