31話 天に至る者
「あのジークとかいう男、いないわね」
「さっき逃げた。多分クロムのほうに行った」
「分かっていたなら止めなさいよ! って、今はあんたに当たってもしょうがないけど……」
「でもこれで楽になった。これであいつもぼくの糧にできる」
「まああれで倒れないならそれしかないわね。もとはといえばあんたの体なんだから、さっさと取り返してきなさいよ」
「1分くれれば多分取り込める」
「1分……厳しいけど仕方ないわね。ひたすら爆炎を叩き込んでダウンさせるわ」
「脳筋……」
「あんただって大概でしょ」
お互いに消耗しているのにもかかわらず、軽口を叩きあうルフランとメイ。
ルフランの作戦通り、メイを通じて渾身の一撃を叩き込むことに成功したのだが、まだとどめを刺すには程遠かった。
戦闘は常に一方的で、大振りな冥竜神の攻撃はほぼすべて回避か反射で対応し、その隙に魔術を叩き込む。
ひたすらそれを繰り返しているだけで竜神の体はボロボロになっていくのだが、その脅威的な再生能力によってほとんどの傷が即座に元通りになってしまうため、終わりが一切見えない。
しかしここは冥界ではなく地上。使えるリソースには限りがある。
竜神といえど、再生には当然魔力を消費することになるので、見た目は無傷でも確実に消耗している。
だが、それはルフランたちも同じなので、どちらが先に限界を迎えるのかの我慢比べとなるのは必然だった。
「とりあえずあの男はクロムに任せて、あたし達はこいつに集中するわよ」
「……ちょっと心配」
「安心なさい。ちょっと傷を負ったくらいであんなのに負けるクロムじゃないわ」
「でも……」
「……それにいざとなればクロムには奥の手があるわ。だから、信じなさい」
「……わかった」
ルフランが言う奥の手の存在は、クロムの記憶を覗いたメイも当然知っている。
しかし、それを使うということは、取り返しのつかないことになるかもしれないことだ。
だけど、ルフランはクロムを信じていた。そして、覚悟もしていた。
だからこそ、クロムと約束を交わしたのだ。
もし僕が、僕でなくなったときは――
(その時はあたしの手で、あなたを必ず殺してあげる)
それが、パートナーとして彼にしてあげられる、自分にしかできない役目であると信じて。
爆炎の魔術師は、再び竜の神へと杖を向けた。
♢♢♢
「――来るか」
邪念を捨て、回復に専念していたクロムは、遠くから飛来する敵の気配を感じ取り、ゆっくりと立ち上がった。
もちろん完全に回復したとは言い難い。
だけど、敗北の言い訳にできないくらいは回復した。
ならば十分だ。彼の正体が何なのかはよく分からないけれど、アリアを救う上で邪魔なら斬るのみ。
「っと、ずいぶんと回復がはえーな。もう準備満タンかよ」
「弱ってるところを狙いたかったなら残念でしたね。この通り、万全ですよ」
「はっ、そりゃあ何よりだ。じゃあ、遠慮はいらねえってことだな?」
「お好きにどうぞ。死にたくないなら、そうしてください」
「ふん、可愛くねえガキだぜ」
クロムは妖刀を抜き、最大限の圧をジークへと向けた。
だが、ジークは一切動じることなく、どこか飄々とした態度で禍々しい杖を叩いている。
間違いなく彼は強い。だが、クロムはその実力を正確に測ることができずにいた。
これまで戦ってきた実力者は皆、纏うオーラが他の人とはまるで違ったのですぐに強敵か否かが判断できたが、ジークの場合は強さを感じないが弱さも感じない。
掴みどころがなく、目の前に立っているはずなのに、そこにいないような錯覚さえ覚えるほど不気味だった。
一方で、ジークは内心冷や汗をかいていた。
そして自らの判断がもしかすると誤りだったのではないかと考え始めていた。
この目の前に立つ幼き剣士は、先ほどまで戦っていた爆炎の魔術師よりも確実に上のステージに立つ存在だ。
最初に対面したときは、赤髪の女のほうが強いと思っていたが、それはとんだ勘違いだったようだ。
飢えた獣のような迫力を出しておきながら、構えに一切の隙がない。
右へ動いても、左へ動いても、どこへ逃げても斬られるビジョンしか思い浮かばないのだ。
(こりゃあ……虎の尾を踏んじまったかもしれねえな)
ジークはある仕掛けを施していた。
起動すれば、一瞬でこの国を終焉に導ける究極にして至高の術式を組み上げた。
だが、その術式に冥竜神が適応するまでに少々時間がかかる。
だからこそ、確実に生け捕りにしたいクロムを先に回収してしまおうと思ったのだが……
「至天水刀流・水月」
「――っぶねえ!」
これは決闘ではなく殺し合い。
開戦の合図などあろうはずもなく、僅かにクロムの姿がぶれたかと思えば次の瞬間、恐ろしい突きが襲い掛かってきた。
気配を残像として残したまま瞬間移動からの攻撃という早業。
「至天水刀流・逆龍刃」
だが、回避した先には既に刃が置かれている。
突進技という隙を晒しやすい攻撃にも関わらず、それを一切感じさせない連携攻撃にジークは顔を引き攣らせる。
しかし、これもギリギリで躱せる。恐ろしく早いが、逆に言えば早いだけだ。
魔術師たるもの、苦手となる近距離戦を凌ぐ術を磨くのは当然のこと。
そこらの三流魔術師とは経験値が違うのだ。
そう、思っていた。
(――ッッ!!?)
突如として背中に悪寒が走る。
まさか、回り込まれたのか。この一瞬でどうやって。
と思ったが、この男の速さを以ってすれば不可能ではない攻撃だ。
こうなったら少々強引だが、全方位をカバーできる魔術を起動――
「遅い」
「がはっ!!?」
思考速度はコンマ1秒未満。されど、ほんの一瞬でも意識を逸らして避けられるような甘い剣ではなかった。
クロムの刃は、ジークの正面から彼の腹を切り裂いた。
結局後方には何も存在しなかった。だが、確かに気配を感じたのだ。殺気を感じ取ったのだ。
「至天水刀流・水鏡。卑怯とは言わせませんよ」
「……言わねえよ。戦場に立った以上、生きるか死ぬか以外の言葉は存在しねえ」
「そうですか。同感です」
「――ぐっ!」
内臓が全て飛び出してしまいそうな感覚に襲われるほどの深い傷を負ったジークだが、それを見て攻撃の手を緩めてくれることは無かった。
この男に甘さはない。その刃は全て一撃必殺を狙っている。
ジークは即座に応急処置として魔術で腹の傷を塞ぎ、これ以上の流血を阻止すると、再び恐るべき速度で迫ってきたクロムに対して右手を伸ばした。
「鳴れ」
「――ッ!」
固有魔術――共鳴。
音を介して森羅万象に干渉する魔術だ。
ジークは今、自らが発した音波を介して、クロムの動きを阻害した。
無論、その勢いを完全に止められるとは思っていない。
しかしほんの一瞬でも止まれば十分。
「響け!」
「ぐぅぅっっっ!?」
直後、城の全てを揺らすほどの凄まじい大音波が放たれた。
耳を塞ぎたくなるような不協和音と共に骨が軋むような奇妙な感覚に襲われる。
そして骨が揺れるということは、内臓も揺れるということで――
「う、がはっ……」
クロムは完全に動きを止め、さらに胃の中のものを吐き出してしまう。
平衡感覚が狂い、視界すらも歪む最悪な状況だ。
音を用いた攻撃など、今まで戦った相手にはされてこなかったのでどう対処をしてよいのか分からない。
だが、それでも適応しなければ――死ぬ。
「それじゃあさっきのお返しをさせてもらおうかねッ!!」
「――!!」
飛び出したジークは右手を突き出し、クロムの腹に添える。
そして音波を以ってクロムの体内に直接ダメージを叩き込む魔術を起動した。
しかし――そこにクロムはもういなかった。
「――消えた?」
「至天水刀流――」
「くっ!? バカなッ!!」
「波煌嵐!!」
ジークが見上げると、クロムは音波の範囲外まで飛び上がっており、急降下と共に青色の斬撃を飛ばしてきた。
とても真正面から受け止められるとは思えない悍ましい斬光。
「っ、クソがっ!!」
直後、凄まじい衝撃音と共に王城がほぼ真っ二つになった。
慌てて飛びあがったジークだが、その衝撃から逃れきることは出来ず、激痛と共に片腕がふっ飛ばされてしまった。
頑丈な城壁を以ってしても耐えられない恐るべき一撃を前に、ジークは唇を歪ませる。
「――っ」
甚大な被害を前により一層騒がしくなる地上を見下ろすクロムだが、柄を握る手は僅かに震えていた。
そう。これは妖刀の力を引き出した一撃ではない。
クロムが持つ本来の力。強大な魂の力を蒼のオーラとして引き出し、絶大な破壊力を得る至天水刀流の真髄。
師匠はこれを蒼気と呼んでいた。
これまでクロムが口にしてきた至天水刀流の技は、厳密に言えばその流派の技ではなかった。
正確に言えば、蒼気を纏わない技は至天水刀流ではないのだ。
だが、クロムはこれまでどれだけ命の危機にさらされても、頑なに蒼気を使おうとはしなかった。
何故なら――制御しきれないから。
極めて強大なクロムの魂の力は、その境遇のせいで非常に不安定な精神状態では常に暴走する危険性を孕んでいた。
実際に何度も師匠の前で暴走しては、彼の手によって強引に抑え込まれることを繰り返していた。
クロムが最初に蒼気を行使した時――愚かにも妹のクロアを狙う賊に襲われたとき、クロムは無我夢中で暴れまわり、刺客の全てを殺してしまったことがある。
人を殺すことが怖いのではない。自分が自分でなくなるのが怖いのだ。
「御しきれてこそ、真の力――」
クロムはかつて何度も口煩く言っていた師匠の言葉を復唱する。
妖刀という最強の武器を手に入れてしまったが故に、目を逸らし続けてきた欠点に向き合うときが来たのだ。
この力を完璧に扱うことが出来れば、あの時ギリウスに負けることは無かっただろう。
これは師匠が編み出した――魔力に頼りきりの既存の武術を凌駕するためのチカラなのだから。
だけど、使わなかった。
怖かったからだ。死ぬことよりも、自分を失うことが。
師は言っていた。そのトラウマを克服した時、お前は誰よりも強くなると。
だが、師はクロムに一つの誓約を与えた。
実戦で蒼気を本来の5%以上の出力で行使するための条件だ。
それは――信頼できる、心の穴を埋められる大切な人を得た時。
「――ルフラン」
自分が最も信頼するその名を口にする。
これまでは、妖刀のチカラだけで解決できる戦いしかしてこなかったから、ずっと先延ばしにしていた。
だけど、ルフランは約束してくれたのだ。
万が一、クロムが剣士としての誇りを失い、見境なく暴れまわる殺人鬼に堕ちてしまったときは、この手で必ず殺してくれると。
ならばもう、何も恐れることは無い。
「まだ機は熟していないが、これ以上は待ってられそうにねえな――来い、冥竜神」
ジークは急降下したクロムと対照的に、はるか上空まで飛び上がっていた。
そして、遠くの方で戦っていた冥竜神を自らの下へと呼び出し、手のひらをその巨体へと向けた。
固有魔術「共鳴」――その本質は、万物への同調、そしてその力の増幅にある。
ジークは自らの全てを冥竜神と共振させ、その力を飛躍的に高めていく。
これこそが、彼の奥の手。冥竜神の復活後、この神の体が自らの魔術に馴染むのを待っていた。
直後、ジークの体が光の球体に包まれ、冥竜神に溶け込んでいく。
そして同化が完了したことを告げたかのように、冥竜神は凄まじい咆哮を上げた。
万雷が降り注ぎ、黒々とした雲の隙間からは血の色に染まった空が映る。
地上の民は悲鳴を上げながら逃げ惑うが、彼らの目の届く範囲に安全な場所など存在しない。
世界の終わりを告げるかのような、絶望的な光景が広がっていた。
ゆっくりと開いた竜神の口に、強大な紫の魔力が収束する。
その球体は空を覆う程の大きさに成長した。
そのまま落ちれば、全てが塵になることは間違いないだろう。
いかに長い歴史を誇る人の国だとしても、神の怒りに触れれば一晩と経たずに跡形もなく消え去るのだ。
「クロム!!」
「ごめん……あとちょっとで逃げられた……」
冥竜神を追いかけてきたのか、ルフランとメイの二人が戻ってきた。
彼女らの姿を見る限り、相当激しい戦闘があったことが伺える。
ジークの下へ呼び寄せられた冥竜神の肉体はボロボロだった。
きっと二人であそこまで追い詰めてくれたのだろう。
ならば、ここから先は、自分の仕事だ。
「ルフラン!」
「っ! なに!?」
「――後のことは、任せるね」
「――ッ!! 使うのね?」
「うん」
「……分かったわ。行ってきなさい」
「ありがとう」
ジークと同化した冥竜神は、丁寧に育て上げた破滅の光を、一切の躊躇いなく地上へと落とした。
その様はまるで隕石の如し。クロムは妖刀を構え、勢い良く蹴り上がった。
引き出すのは莫大な妖力。御しきるのは強固なる魂のチカラ。
蒼と紫、二つの光を乗せて、いとも簡単に滅びの運命を迎えた国を救うための――否、今もなお囚われ、救いを求める姫を救い出すための渾身の一太刀を創り出す。
「蒼気解放」
宣言する。
今ここに、竜の神すらも凌駕する、世界最強の剣士が誕生することを。
真の意味で、至天水刀流の継承者となることを。
「至天水刀流奥義・大瀑布」
突き上げる蒼と紫の光が、禍々しい闇を両断した。




