29話 第7席「竜鳴」
「っ、あ……ここ、は……?」
「クロム! 良かった! 帰ってこれたのね……って、アナタボロボロじゃない! それにエセルは!?」
「ぐ、ごめん……今、それを説明している時間はなさそう……」
封印の結晶から飛び出した黄金の光が収まると、そこには全身傷だらけのクロムがいた。
アリアによって崩れ行く精神世界から強引に脱出することが出来たが、アリアは敵の手に堕ちてしまった。
空を覆うは竜の神。
アリアが呼び出したのは、冥界の本体のほんの一部に過ぎない。
その上、メイという核を失って大幅に弱体化している。
しかし、不完全であれど神に変わりはない。
失った魂の代わりにアリアという核が補填され、アイワスという頭脳が加わったことで、無差別に暴れるだけの存在ではなくなった。
「クロム、大丈夫?」
「大丈夫……ではないかな……でも、戦わなきゃ。アリアを取り返しに行かなきゃ」
「その体で戦えるの?」
「戦えるよ。どっちにしろ戦わなければここでみんなまとめて死ぬんだ。だったら死ぬ気で抗わなきゃ。でも、一人だとちょっとキツいから、手を貸してくれる?」
「ん……分かった。クロムがそう言うなら、手伝ってあげる」
「って言うか、アレってもとはアンタの体でしょ! 何とかならないの!?」
「無理。さっき取り返そうと思ったら、あいつに出し抜かれた」
「しょうがないわね……先に行ってるから、アナタは少しでも回復してから来なさい。さ、行くわよメイ」
「らじゃー」
何とも気の抜けた返事と共に、ルフランとメイが駆け出して行った。
精神世界からの脱出によって受けた損傷は思いのほか甚大で、妖刀の再生能力を以ってしても回復に時間がかかっている。
このまま戦場に赴いても、戦闘に支障が出ることは間違いないだろう。
まして相手は人智を超える最強の種族の頂点に立つ存在だ。
舐めてかかっていい相手ではない。
だが、しばらくの間は大丈夫だろう。ルフランが向かったのだ。彼女がいれば、あの竜ですら抑え込める。
今の自分にするべきことは、彼女の健闘を信じ、万全に近い状態で全てを終わらせることだ。
(――だけど、多分。使わないと、ダメだよね)
トラウマに向き合わなければならないのは、アリアだけではない。
彼女に酷な運命を改めて追体験させた以上、クロムもまた、向き合わなければならない現実がある。
それは、師との約束への裏切り。いつかは破らなければならなかった、禁じ手との対話。
湧き上がる猛烈な不安が、回復速度を鈍らせる。
思い出してしまったあの記憶が、クロムを蝕んでいた。
それはクロムがはじめて――人を殺したときの記憶だった。
♢♢♢
「さあ、叫べ! 壊せ! 滅ぼせ! 俺が許そう! この脆弱なる都市を貴様の晩飯とすることを!!」
核を失った竜に、知性はあらず。
本来の体の持ち主は別の体を作ってのうのうと生きている。
急ごしらえで接続された竜使いの魂からは、自分同士の戦いで冥竜神の支配権を手放したところを狙ってその支配権を強奪した。
ならばこそ、今、冥界の支配者たるこの竜神を従えるのは自分しか存在しない。
まずは手始めに、この広大な王国の全てを破壊しつくし、その黒煙を以って復活を告げる狼煙としよう。
そして、失われた魂を回収し、最高の力を得た冥竜神を使って己が目的を果たすのだ。
既に彼のターゲットであった雷霆の槍は手中に収めた。
これ以降は、彼が何をしようと、彼らの手には及ばぬこと。
ならば、今はただ、破壊の限りを尽くそう。
「火焔を導く者!!」
「む……」
だが、王都の破壊を阻害するものが、彼らの前に現れた。
強烈な爆炎を従え、冥竜神の放つ火焔を悉く打ち消す赤髪の少女。
彼自身も魔術師の端くれであるからこそ、理解できた。
彼女は、通常の魔術師の一つ上の次元に立つ、恐るべき強敵であると。
「もうっ、好き勝手暴れないでよね! 護るの大変なんだから!!」
「護りきれてない。ところどころルフランの爆発のせいで壊れてる」
「うるさいわね! これでも細心の注意を払ってるのよ!!」
隣にいるのは肉体を失った冥竜神の魂だ。
単体では恐れるに足りぬ存在だが、彼女を取り込むには隣に立つ魔術師を倒してからになるだろう。
故に一度無差別な破壊を止め、彼女の前へと降り立った。
「ルフラン、と言ったか。なかなかの術師とお見受けする。どうだ、俺と共に新たなる竜共の支配者になる気はないか」
「ふんっ、なんだかよく知らないけどお断りよ! あたしは支配には興味がないの!」
「まあそうだろうな。惜しいが、致し方あるまい」
「大体アンタは何者なのよ! 仮にもこの国の英雄なんでしょ! ならなんでこんなことをするのよ!」
「ふむ――そう言えばまだ名乗っていなかったか」
男はそう言うと、自らの腕に掘られた双頭の魔狼の紋を改めて見せつけた。
怪しく輝くそれは、彼が普通の人間でないことの証明となる。
天喰らう双頭の魔狼――オルトロス。
「魔術師としての敬意を以って、改めて名乗ろう。俺はエルネメス王国宮廷魔術師団特別顧問アイワス改め――天喰らう双頭の魔狼が執行官、第7席「竜鳴」のジーク」
「オル……トロス?」
「知らねえなら、それ以上踏み込む必要はねえ。ただ一つ言えることは――俺は最初から姫と槍を手に入れるためだけにここに来た、ということだけだ」
「……とりあえず。最初から裏切り者だったって訳ね。なら、容赦しないわ」
ジークと名乗った男は、名乗りを終えて間もなく冥竜神の背に乗りルフラン達へと襲い掛かった。
聞き慣れない単語に困惑するルフランだったが、彼の正体については一旦頭の端へと追いやり、ソウル・グリードを構えて次なる魔術を展開した。
「反焔鏡獄陣」
ルフランが創り出したのは、巨大な炎の盾。
迫りくる巨竜の牙を受け止め、その衝撃を反転させて叩き込む反射技。
受け止めることさえできれば、相手が強ければ強いほどその威力を増す強力なカウンターだった。
「うおっ!?」
ルフランは冥竜神の突撃を凌ぎ、その巨体を大きく弾き飛ばした。
そして無詠唱で生成した焔獄竜を追撃として送り込む。
それは単なる炎で出来た竜ではない。
ルフランの最も得意とする爆破の性質を存分に練り込んだ、必殺必滅の爆破魔法を乗せた破壊兵器だ。
「エクリクシス」
その言葉がトリガーとなり、冥竜神に喰らいついた炎の竜が凄まじい大爆発を引き起こす。
城のすぐ傍で撃っていたら城が丸ごと吹き飛んでしまいそうなほどの強大な威力。
しかし今ははるか上空に飛び上がった冥竜神を狙っていたため、地上への被害は最低限で済んだ。
「メイ。ちょっと来なさい!」
「――なぁに?」
「作戦があるの。協力しなさい」
「えー」
「文句があるならアンタを燃やして弾としてアレに撃ち込んでもいいのよ?」
「……聞くだけ聞いてあげる」
ルフランは半ば脅すようにメイを呼び出し、その手のひらにナニカを乗せて託した。
煌々と燃え盛る火焔の球体。それはまるで小さな太陽の如し。
メイはそれを乗せられた右手を嫌そうに遠のけるが、ルフランはお構いなしにそれにさらなる魔力を注ぎ込む。
「なにこれ……?」
「あたしがアレの気を引くから、アンタは隙を見てそれを叩き込んできなさい。今のあたしが出せる最大の力を込めたから、当たればかなり効くハズよ」
「えぇー……」
「アレがあんたの体なら一番効く場所くらい分かるでしょ? なんならあのジークとかいう奴ごと消し飛ばしてやりなさい。それともまさか出来ないって言うの? あんた、最強のドラゴンじゃなかったの?」
「むっ……しょうがないからやってあげる。特別に」
「ならさっさと準備しなさい。ほら、そろそろ帰ってくるわよ」
ルフランの言葉通り、爆炎の中から目を紅く輝かせた冥竜神が飛び出してきた。
その肉体には決して無視できないほどの傷が刻み込まれており、心なしか先ほどよりも余裕をなくしているようだった。
「げほっ……ったく、派手にやってくれるじゃねえか!!」
その上に載っていたジークは、服こそボロボロになっていたが、あまり大きなダメージを受けている様子ではない。
しかしそれでも、先ほどの苛烈な攻撃は彼の警戒心をさらに一段階引き上げるのに十分な材料となった。
「さぁ、楽しくなってきたな! 俺の担当じゃねえが、せっかくならあの妖刀使いの小僧も持って帰ってやるか!」
荒ぶる魂に身を任せ、王城の方角を愉快そうに眺めた。
その背中を突き刺す冷ややかな視線があったことも知らずに。




