28話 目覚めし邪竜
精神世界の崩壊が始まる。
現実世界への帰還の時だ。
突入した時も、帰る時も変わらず二人。
本当は三人で帰るつもりだったけれど、確かに目的は果たせた。
ルフラン達にはしっかりと事情を説明しなければいけないけれど、きっと納得してくれるだろう。
だが、これはあくまでスタートラインに過ぎない。
精神世界から脱出した後もやることはたくさんある。
本当の意味でアリアを救うためには、邪魔なものが多すぎた。
アリアとの約束を嘘にするわけにはいかないのだ。
「――ん?」
「これは――」
しかし、その直後に僕は大きな異変に気が付いた。
精神世界の消滅の演出があまりにも大袈裟なのだ。
大地は大きく揺れ、建物は倒壊を始める。
空には無数の生々しいヒビがいくつも刻まれ、まるで世界の終わりを眺めているような感覚に襲われた。
他人の精神世界に入り込むのは初めての経験なので、もしかするとこれは普通のことなのかもしれないと思い込みそうになったが、隣に立つアリアの表情からそれは誤りであることを理解した。
「アリア、これはいったい?」
「分かりません……ですが、これは――っ! まさか!」
アリアは何かを悟ったのか、雷霆の槍を構え、精神世界全域に強烈な電撃を張り巡らせる。
しかし、世界の壁となっていた空はアリアの電撃を拒絶した。
それはこの世界の支配権が彼女から離れていることを示していた。
「クロムさん! あなた方はいったいどうやってここに入ってきたのですか!? その方法次第では――」
「えっと、アイワスさんの魔術でデスペルタルの花を媒介に入り込んだんだけど……」
「アイワスッッ!! しまった……真っ先に疑うべきだった!! だとするとこのままだと……」
クロムがその名前を口にした瞬間、アリアはまるで鬼の様な形相になり、声を張り上げた。
アリアは奥歯を強く噛みしめ、崩れ行く世界を睨みつける。
ひび割れた空間から紫の光が流れ込み、世界への侵食を始めた。
「いいですかクロムさん。少々強引ですが、今からあなたをこの世界から強制的に排除します。肉体へ強烈な負担がかかりますが、今はこれしか――」
「えぇっ!? いったい何が――いや、それは後で聞く。僕の体のことは気にしなくていいから、好きにやって」
「申し訳ありません。今ここで、罪宝の継承者を二人も奪われるわけにはいかない――私を、信じてください」
「罪宝……? あと僕はともかく、アリアはどうするの!?」
「私の魂と冥竜神の肉体を縛る術をすぐに解くことは出来ません。ですから、せめてクロムさんだけでも外に!」
「でもそれじゃ意味が――」
「確かにこれから私はあの男の手に堕ちます。ですが、約束してくれましたよね――私を、攫ってくれるのでしょう?」
「!!」
「――待ってますから」
クロムの胸に手を当て、飾りっ気を捨てた笑みを浮かべてアリアはクロムを世界から排除した。
崩れ行く世界に、黄金の穴を開け、彼をそこへと放り込む。
穴はすぐに閉じ、世界は紫に染まっていく。
また、一人になった。だけど、それはこれまでとは違う孤独。
終わりがある孤独であると、アリアは信じることにした。
♢♢♢
「…………」
「ルフラン、さっきからそわそわしてる」
「当然でしょう。危険と分かっている場所に仲間を送り出したのよ。心配しない訳ないじゃない!」
「クロムもエセルも、簡単には死なない」
「そんなことは分かっているわよ! でも……」
「ぼくは別のことの方が、不安」
アイワスの秘術によって、具現化させたアリアの精神世界に突入したクロムとエセル。
彼らが突入してから既に1時間が経過しているが、中の状況がさっぱり分からないため、焦りと不安からルフランが徐々に落ち着きを無くしていた。
ロールスは一度席を外し、アイワスは術の維持に意識を割いているため、彼女の言葉に反応する者はメイしかいなかった。
同じところをぐるぐると回っているルフランに対して、メイはただ一点を注視している。
彼女の目線の先にあるのは、未だその顔すら拝めぬ謎の英雄、アイワスだった。
(あれはぼくの体にアリアが入り込んだもの。でも、その結び目は弱まっている。もしかしたら……)
メイはアイワスの本質を見抜こうとしていた。
一言で言うならば、歪。
天の魔力を持つ地上の人間のくせに、冥の魔力をその身に混ぜ込んだ混沌の者。
隔絶された冥界との繋がりを持つ、世界の異物。
地上には天の魔力しかなく、冥界には冥の魔力しかない。
故に地上に住まう生物は基本的に天の魔力しか持っていない。
だからこそ、彼は歪なのだ。
自分やクロムのように冥の魔力しか持たない存在とは別なのだ。
(――クロム達になにかしたら、消す)
竜の眼は彼の色を見抜くことは出来るが、その心まで読むことは出来ない。
だからこそ、メイは自らの眼でその些細な変化を見抜き、怪しい行動を許さないよう備えた。
天の魔力と冥の魔力は、相反する存在。
基本的に反対の性質を持つ魔力は反発し、打ち消し合うものだ。
強者であれば制御できるが、力なき存在であれば一方的に強い方に消されてしまう。
だからこそ、力を失ったばかりのメイは、極めて強い天の魔力を持つルフランが苦手だったのだ。
執拗なまでにクロムから魔力補給を試みたのは、それ以外に回復手段かなかったからだ。
クロムが持つ妖刀はどうやら、天の魔力を吸収し、冥の魔力を生成する力を持っているらしい。
だからこそ、本来天の魔力しか持たない地上の生物がアレに触れると、あっという間に吸い尽くされて干からびてしまう。
クロムがあの妖刀に殺されることなく従えられているのは、ひとえに彼がこちら側の人間であるからに他ならなかった。
「ちょっ、何よこれ!」
いろいろと思考を張り巡らせている隙に、封印されしアリアの体が眩い黄金の光を放ちだした。
それはちょうど、中の世界でアリアとエセルの対話が成されたタイミングでの出来事。
即ち、彼らがアリアの解放に成功したことを示す、希望の光だった。
「――まさか本当に雷霆の槍の化身だったとは、驚いた。しかしこれは好都合」
「まて。お前、変なことしようとしてる!」
「――ッ! メイ! それはほんとうなの!?」
「流石は冥竜神の魂。本来ならばお前にもあの中に入って欲しかったのだが……仕方あるまい。雷霆の槍、妖刀紫焔、そして冥竜神の肉体が手に入れば十分よ!」
アイワスはフードを取り、隠し続けたその素顔を晒した。
現れたのは声から連想出来るシワだらけの老人――ではなかった。
そこにいたのは腕に双頭の狼の紋を宿した獣の如き男――アリアの記憶の中でエセル国王を殺した若き術師だった。
メイの言葉に反応して、ルフランは即座に杖を構えていた。
しかし予想外の素顔を前に、ほんの一瞬硬直してしまう。
「何事だ! もしかして何か問題が――なッ!?」
「っと、めんどくせぇ奴に見つかっちまったな。ならば……」
「ロールス王子!!」
騒ぎを聞きつけて現れたロールス王子に、アイワスは一切躊躇うことなく攻撃魔術をけしかけた。
だが、その紫の炎はルフランの炎によって相殺、消滅したが、アイワスにとってロールスを殺すことは二の次と言わんばかりに彼は次の段階へと動き始めていた。
眩い輝きを放つアリアへと手を伸ばし、彼女をその手中に収めんとする中、メイは右腕を竜化させ、その鋭い爪で攻撃を仕掛けた。
だがしかし、強大な冥界の竜を喰らってある程度力を取り戻したとはいえ、その威力は不完全。
アイワスが持つ禍々しい杖によっていとも簡単に受け止められてしまった。
「哀れなり冥竜神の魂。だが安心しろ。我が支配下に堕ちた竜神の肉体に喰わせて完全体に戻らせてやろう」
「大きな、お世話!」
「っとと、竜ってのはどいつもこいつも凶暴でいけねえな。だかまあ、もう手遅れだぜ」
アイワスはニヤリと不気味な笑みを浮かべ、己の魔術で縛り上げた封印の結晶を縛り上げ、空へと打ち上げた。
その直前に結晶から黄金の何かが飛び出したが、もはやその復活は止められない。
大空へと打ち上げられた結晶は、激しい爆発を引き起こした。
「チッ、最後まで思い通りにならねえ女だぜ。だが、これだけでもなお十分!」
大地を揺らすほどの衝撃。
煙が晴れ、徐々に浮かび上がってくるそれの姿に、地上の人々は恐怖した。
山のように巨大な竜が、そこにあった。
「さあ、目覚めよ冥竜神! 天喰らう双頭の魔狼が貴様の復活を祝福しよう!!」
その声に呼応するように、巨竜は悍ましい雄叫びをあげた。




