27話 囚われの姫君
眩い黄金の光が収束し、電撃をまとった一人の少女のみが残った。
その手には轟雷引き寄せる黄金の槍。万竜の王者に相応しい紅き瞳が、澄んだ世界を反射した。
重力を感じさせないゆったりとした着地とともに、彼女を待つ者の前へと歩いていく。
「――おかえり、と言っていいのかな?」
「……はい。ただいま戻りました。クロムさん」
「呼び方は、アリア、でいいんだよね?」
「はい。彼女は、真の意味で私と同一存在となりました。ですが、彼女はもともと生を受けることのできなかった存在。故に主人格とはなりえず、結局私は彼女の記憶を持つアリアという形で再誕しました」
「――あんまり難しいことは分からないけれど、僕の知るエセルは完全には消えていないってことで、いいんだよね?」
「――ええ。彼女の記憶に触れ、私は久しく忘れていた人との関わりというものを思い出しました。私は孤独に死ぬことだけを望んで今日まで生きてきたというのに。贖いきれない罪相応の死を与えられることだけを望んできたというのに。いざ、手の届く範囲にそれが現れたとき、私は――」
エセルとアリアの対話を待ち続けていたクロムは、アリアが隠そうとした最後の記憶を全て見てしまった。
おそらくわざわざエセルが、クロムに真実を知ってもらうために見せたのだろう。
だからこそ、今アリアがどのような感情を抱いているのかを、痛いほどの理解してしまっていた。
故に、クロムは待った。アリアがどのような答えを出すのかを待った。
彼女が自らの心に整理をつけて、何を望むのかを聞くことにした。
「私は――失いたくない。諦めたくないと、思ってしまいました」
アリアは、いつだって救いを求めていた。赦しを求めていた。
だけど、アリアという大罪人に赦しを与えなかったのは、他でもない彼女自身だった。
彼女は重すぎる罪悪感に耐え切れず、自らが救われる未来を許容することができなかったのだ。
確かにアリアを恨む者は少なからず存在する。だが、彼女と関わりを持った大切な人たちは、最初から彼女のことを恨んでなどいなかったのだ。
それどころか、自らの死を目前にして、自分自身ではなく、アリアの幸福を強く願って死んでいった。
そして、救いの手を差し伸べようとしてくれた者も少数ながら確かにいた。
義兄となった第1王子ロールス。彼は憎き敵国の次期国王最有力候補でありながら、大戦犯であり最も利用価値がある道具でしかなかったアリアの救済を望んでいた。
何度も機会をうかがって、彼女との対話の機会を取ろうとした。
だけど、人間不信に陥っていたアリアは、彼を信用することができなかった。
生き残ったエセルの民がアリアの解放を求めてテロ行為を行おうとしたこともあった。
しかしそれはアリア自らの手で計画を破綻させた。
これ以上、自分のせいで誰かが死ぬのは嫌だから。
自分は救われてはならない存在であると、強く言い聞かせて今日まで生きてきた。
だからこそ、エセルは待った。
偶然に偶然を重ねた果てにある奇跡を。
心を閉ざしたアリアに救いの手を伸ばせる機会を。
そして、賭けにも等しい細い糸を辿った果てにここにたどり着いた。
そしてアリアに、生きることを諦めたくないという言葉を引き出すことに成功したのだ。
「諦める必要なんて、ないんじゃないかな?」
「――え?」
「生きたければ生きればいい。死にたければ死ねばいい。幸せになりたいなら、幸せを追えばいい。さっき、アリアも言っていたでしょ? 人は誰かを救える英雄なんかにはなれないって。だったら、本当の意味でアリアのことを救えるのは、他でもない、アリア自身しかいないんじゃないかな?」
「そ、れは――」
「……エセルの記憶を見たのなら、僕のことも、知っているよね。僕は、確かに救いの手を差し伸べられたけれど、本当の意味ではまだ救われてはいない。だから、こうして今も歩いている。幸せってものを知りたくて、歩いているんだ。その先がたとえ断崖絶壁だとしても、歩いている間だけは、嫌なことを忘れられるから」
やっぱり、誰かに想いを伝えるのは苦手だ。
こんな説教じみた言葉なんて、傷心の少女には相応しくない。
もっと寄り添って、優しい言葉をかけてあげるべきなのに、上手く伝えることができない。
それでも、口を出さずにはいられなかった。
「それが難しいなら、誰かを頼ればいい。僕だって、エルミアさんやルフランがいなければ生きていけない自信がある。師がいなければ、道を見つけることすらできなかった。人は誰かに迷惑をかけなきゃ生きていけないって、教わったから、それでいいんだよ」
「誰かを、頼る……」
「その気があるなら、僕は君を攫ってもいいと思っている。たとえこのエルネメス王国を敵に回してでも、君を無理矢理この国から引き剝がしてもいいと思っている」
「……っ、ですが!」
「――エルネメス王を殺しても良いと思っている」
「!!?」
それは、この国で生きる者ならば、絶対に口にはしない言葉だった。
王を殺してでも、自分を救済する。そんなことを言ってくれる人など、今までだれ一人として存在しなかった。
当然だ。燃え盛る炉に身を投げるような愚行を冒してでもアリアを助けたいと思っていた人たちは、とっくの昔にみんな死んでしまったのだから。
これは、アリアの精神世界へ突入する少し前に、ロールス王子から伝えられたことだった。
彼は、王族でありながら革命を望んでいた。
先の戦争で破綻した国政を未だに修復できていない愚王は、国の再建ではなく、伝説の竜使いの復活のことばかりに力を注いでいた。
真なる竜使いの復活を宣言することで、苛立ちに震える民の心を再び掴むことができると信じて。
今向き合うべき課題を無意味に先延ばしながら、アリアから竜使いの力を抜き取る手段を探していた。
時にはおぞましい人体実験をも何度も行った。
愚王はもはや、それでしか失った信頼を取り戻すことができないと考えていたのだ。
「僕は帰る家を持たない流離の旅人。たった一つの国に永久的に立ちれなくなったとしても、大した問題じゃない。そして、ロールス王子が王位につけば、君を縛るものはもう何もなくなるんだ」
「そんな、ことっ……」
「する必要がない、なんて言わせないよ。これは僕のエゴだ。僕は君がこの狭苦しい牢獄に閉じ込められて置きながら、逃げ出す気力が一切ないのが気に入らないんだ。だから、攫ってやるんだ。世界には、もっと面白いことが広がってるんだって、教えてやるんだ。それに王様を殺して美人のお姫様を奪い取るだなんて、まるで物語の大悪党みたいで、ちょっと興奮しちゃうよね?」
なんと無茶苦茶なことを言っているのだろう。
自分でも何を言っているのか、本当に分からなくなってきた。
それでも、たとえ口下手だとしても、まぎれもない本心を口にしている。
嘘に敏感な彼女に自らの言葉を押し付けるならば、それが本心から出たものであると強く確信していなければならない。
その根源が、同情からくるものなのか、下心からくるものなのか、それとも、単なる気まぐれなのか。
それは自分でもよくわからない。でも、今日までエセルと旅をして、そして今日、アリアのすべてを知ったことで、クロムはアリアという気高く美しい囚われの姫君を手に入れたいと思ってしまったのだ。
アリアは、言葉を失っていた。
理解不能な言葉を吐きながら、純粋にアリアという人間をまっすぐ救い出そうとする、幼さを残したこの少年が、自らの理解を超える途轍もなく大きな存在に見えた。
手が差し伸べられる。とても小さな手だ。だけど、剣士に相応しい、ごつごつとした手だ。
少年は、穏やかな笑みを浮かべている。
それでいて、アリアがその手を握り返すことを確信しているかのような、自信に満ちた瞳を向けている。
(不思議な、気持ち。どうしてなの?)
鬱陶しかっただけの救いの言葉。
不快でしかなかった救いの手。
恐怖でしかなかった自らの救済。
この少年は、私が恐れていたものを全て乗せて、私に手を伸ばしている。
だけど、どうしてか、それを拒絶しようという気持ちが浮かび上がってこない。
アリアは恐る恐る手を伸ばし、両手でその小さな手を包み込んだ。
「――行こう。アリア」
「――はい」
満足そうに頷いたクロムは、たどたどしい笑顔を向けながら、もう片方の手でアリアの手を覆った。
肉体も取り戻した以上、もはやこの場所に留まる必要はない。
目覚めの時だ。これで、すべてが終わる。
美しかった精神世界に、大きなヒビが入り始めた。




