26話 竜使いの絶望5
荒ぶる竜を従え、アーティファクトの縛りさえも破壊する強大な力を手に入れた。
今の私に、出来ないことなどない。空を駆け、戦場に降り立ち、必ずや勝利を掴み取る。
あの時の私は、そんな自信に満ちていた。それが驕りであることを知らずに。
私には、力があった。
誰も寄せ付けないほどの圧倒的な力があった。
その力は正しく使えば、きっと祖国に勝利をもたらすことが出来たはずだ。
今の私なら、どんな敵だって薙ぎ払える。1000人が束になってかかってきても叩き潰せる。
私がいる限り、エセル王国に負けはないんだ。
そう、私がいる限りは。だけど、
――すでに敗北した戦場に、勝利をもたらすことなど、出来はしないのだ。
「う、そ……」
私が辿り着いた場所は、もはや戦場ですらなかった。
建物は崩壊し、あらゆるところから白黒混じった煙と悲鳴が上がる、地獄そのもの。
そこは確かに、エセル王国王都であったはずだ。
だけどそこに、国は残されていなかった。
行われていたのは、一方的な蹂躙だった。
いったいどんな兵器を用いたのか。何故これほどの軍事力をエルネメスが用意できたのか。
そんな事を、当時の私は知る由もなく、ただ事実としてエセル王国は今まさに滅びようとしていた。
美しい都は一瞬にして廃墟に等しくなり、力なく横たわる血染めの民にとどめを刺すためだけの兵が送り込まれる。
だが、彼らもすぐに違和感に気づいたのか、頭上を見上げ、アリア率いる竜の群れに対して即座に攻撃を仕掛けてきた。
竜たちは王の言葉を待った。
彼らが望むのは、王の命令に従う事のみ。
逃げろと命じれば、即座に引き返すだろう。
蹂躙せよと命じれば、即座に敵兵を打ち滅ぼすだろう。
アリアは、ただ、力なく、呟いた。
「……みんなを、護って」
それが意味のない言葉であることを彼らは理解していた。
だが、これは紛れもなく王が望んだ願いの言葉。
竜たちはいっせいに地上へと急降下し、民を襲う兵士たちに向けて攻撃を仕掛けた。
残された一匹は、アリアを乗せる赤き巨竜。
彼女は、赤き竜に崩壊した王城へと降りるよう願い、彼は忠実にその命令に従った。
だが、そこには一番見たくなかった光景が広がっていた。
「おとう、さま……?」
そこに在ったのは、王国の象徴たる偉大なる魔導王が、巨大な紫の棘に腹を貫かれている様だった。
その眼の前には、その使い手と思しき若き術師が一人。
双頭の狼の紋を腕に刻んだ、獣のような男だった。
「ったく、手間取らせやがって。思いのほか苦戦したぜ――って、うん?」
「お父様あぁぁぁっっ!!」
「うおおおっっ!! てめえは!!」
「よくも、よくもおおおおおおっっ!!!」
「っあ! こりゃやべえっ!!」
気が付けば即座に雷霆の槍を構え、怒りのままに男へと飛びかかっていた。
天より落ちる雷の如く、その身を穿つために槍を突き立てる。
絶対に許さない。殺してやると。今までに感じた事のない怒りを胸に迫る。
だが、男の姿は、既にそこにはなかった。
「こりゃあ、とんだ大収穫だぜ。王サマがどっかに隠したらしいから探しに行こうと思ってたんだが、まさか自分からノコノコと帰ってくるとはな」
「はぁっ、はぁっ、あなただけは――あなただけは絶対に許さないっ!! よくもお父様を――」
「ここでひっ捕えりゃ超絶大手柄でボスも大喜びだろうが――流石に真正面からは厳しいか?」
男は空に立っていた。
足場もないくせにそこに地面があるかのように立ち、そしてこちらを値踏みするように見下ろしていた。
私は即座に飛び上がり憎きあの男を撃ち落としてやろうとしたのだが、かすかに聞こえてしまった声が私を引き留めた。
それは今にも消えそうな命の灯火。だが何かを訴える切実な声だ。お父様が、私を呼んでいる。
「な、ぜ、戻って――アリ、ア……」
「お父様っっ!! まだ生きて――すぐに治療を――」
「無駄、だ。己の、死期くらい、理解している……」
「ですが!!」
「それ、より、も、妻と、子供、たち、を――敵に、追われ――」
「!!」
「たの、む。我が、じまんの、む、す――」
「お父様――お父様っっ!!」
もはや、お父さまに多くを語る力など残されていなかった。
私に最後の言葉を伝えたと同時に、息を引き取ってしまった。
本当ならば、何故戻ってきたと叱責したいところだっただろうに、その言葉を飲み込んで、私にお母様と妹弟たちを救うことを託した。
だが、それを受け入れるということは、ここでお父様を捨て置くことを意味する。
私は選ばなければならなかった。今ここで父を殺したあの男をこの手で殺すか。
それともすべてを飲み込んで残された家族を救いに行くか。
「――おっ?」
その選択には、1秒の時間すら必要なかった。
お父様は私の力を認め、私にしかできないこととして、家族を救う事を望んだのだ。
それならば、裏切るわけにはいかない。一刻も早く、みんなを助けに行かなくては。
私は憎き男に背を向け、大急ぎで駆けだした。
「さっすがプリンセス! 敵前逃亡とはずいぶんと甘ぇなッ!!」
「ドラゴンさんっ!!」
「ガルルァッッ!!」
「うおっ!? 邪魔すんなてめ――ぐっ!」
背中を向ければ、当然後ろから刺される。
そんなことは予測済みだ。だからこそ、ここまで運んでくれた赤き竜に、彼の足止めを命じたのだ。
あまねく竜を従える万竜の王者としての力、それを行使するのに一切の躊躇いはない。
どんな手を使っても、私は私のやるべきことを成す。
だからお願い――まだ、生きていて! お母様、ルーナ、そして――
「あ、あぁっ……」
そこに転がっていたのは、首だった。
たった今、斬り落とされたばかりの首。
ルーナと、お母様の首。そして、あと少しで生まれてくるはずだった、弟も――
周りには護衛だったはずの兵士たちも死んでいた。
恐らく敵兵と思しき者たちも何人か死んでいた。
だけど、そんなことはもはやどうでも良くて。
「うそ、うそうそうそうそうそ……嘘よこんなの……」
受け入れがたい現実を前に、私はただ、涙を流すことしかできなかった。
ただ呆然と立ち尽くし、気が付けば雷霆の槍をも手放して、放心状態で泣くことしか出来なかった。
ゆっくりと歩を進め、ルーナの首を手に取る。
苦悶に満ちた表情だ。涙の痕もしっかりと残っている。
お母様の体は、ルーナを庇うように落ちていた。
身重の体で、最後の最後まで子供たちを護ろうとして死んでいた。
たった数日。たった数日間、国を離れていただけなのに。
私の大切なモノが、みんななくなってしまった。
私が帰るべき場所も、なくなってしまった。
「あ、」
それは、私の心を壊すのに、十分すぎた。
「――しまえ」
私は、無意識のままにナニカを呼び出す。
それは、きっと私の願いを叶えてくれるもの。
何もかも失った私の、最後の望みを叶えてくれるもの。
「こわれて、しまえ」
憎き敵を。悍ましい現実を。見たくない故郷を。そして、私自身すらも。
全てを破壊して、なかったことにしよう。
だってこんなのは――夢に違いないんだから。
「ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ――こわれてしまええええええええっっっっ!!!」
戦場に、絶叫と咆哮が木霊した。
♢♢♢
「う、あ、あぁっ、げほっ!」
胸が張り裂けそうな、悍ましい苦痛。
そして自らを消してしまいたいという、消し難い破滅衝動に襲われる。
こんな光景、二度と見たくなかった。
だから、追い出したかったのに。
忘れないと、耐えられないのに。
だというのに、目の前に立つわたしは、目を背けることを許さない。
あなたはいったい誰なの? どうして私を苦しめるの? 私はただ、眠っていたいだけなのに。
「このままじゃ、ダメだからです。あなたはこのままじゃ、一生救われない」
それでいいのよ。私に救われる価値なんてない。
私には、抱えきれないほどの罪がある。
私は、生まれてきたことが間違いだった。
私さえいなければ、戦争なんて起きなかった。
みんなが死ぬことなんてなかった。
大切な人を誰一人護れなかった私に、幸福なんて必要ない。
「いいえ、生まれてくることが罪になる訳がありません。あなたは確かに皆に祝福され、この世に生を受けた。みんながあなたを愛していた」
そんな訳ない!!
お父様だって、どれだけ愛してると言ってくれても、きっと心のどこかで疎ましいと思っていた!
私のせいでいつも悩んでいた! 私さえいなければ、あんなに苦しむ必要なんてなかったのに!
お母様だって! ルーナだって! ローヴェンだって! ライナだって!
みんなみんな、私のせいで死んだのよ! 恨んでいないわけがないわ!
「……本当に、そう思いますか?」
――ッッ!!
「あなたは、そう思い込むことでしか自分を保てなかった。ですが、今は違います。あなたが引き寄せた縁と、偶然とも呼ぶべき奇跡が、あなたを救う道を生み出しました。わたしがこうしてあなたの前に姿を現したのも、あなたの本心が、救いを求めているからです。あなたは――」
うるさい! うるさいうるさいうるさい!!!
私は変化を望まないッッ!!
私がここにいることで、明日も朝を拝める人がいる!
私を恨むことで、悲しみから目を背けることが出来る人がいる!
私が救われないことで、救われる民がいる!
それだけでいい! それだけでいいのに! どうして邪魔をするのッッ!!
お願いだから、ただここで眠らせてよ……おねがいだから……
――もう、私を、解放してよ――
「わたしを信じてください。あなたはまだ、生きている。生まれることのなかったわたしと違って、あなたはまだ、生きている」
生まれることの、なかった……?
まさか、あなたは――
「さあ、最後の記憶です。あなたがずっと、向き合い続けてきた現実。あなたを蝕み続けてきた、あの言葉を、今一度その胸に刻みつけてください」
…………
♢♢♢
「――これより、此度の戦争における戦争犯罪人の処刑を行う」
それは、戦争終結からわずか数か月後に行われた。
私が冥竜神を召喚して暴れまわったせいで、エルネメス王国も極めて甚大な被害を受け、戦争そのものが黒歴史と化してしまった中で、王として民の不満のはけ口を用意する必要があったのだろう。
あるいは、それを私に見せつけることで反逆の意思を削ぎ落そうとしたのだろうか。
いずれにせよ、生き残った敗戦国の主要人物は、今日ここで殺されるのだ。
「くく、圧巻ではないか。かの勇壮なるエセルの英傑たちがこうして一堂に会するとは。そうは思わないか、我が娘――アリアよ」
「……はい、お父様」
私に与えられた席は、処刑台の真正面。特等席だ。
私は今から、最も優れた席で、彼らの首が飛ぶのを見届ける。
周囲には群衆が押し寄せ、思うがままに罵詈雑言を吐き出していた。
そんな中で彼らが登場すれば、その勢いは災害に匹敵するほどに盛り上がる。
今日、処刑されるのは、生き残った将校の中でも特に戦争への貢献度が高かった者達――エルネメスの兵を、より多く殺した者たちだ。
皆、ボロボロだ。当然着替えなど与えられるはずもなく、酷い拷問を受けたのだろうか、全身の至る所に傷がある。
その中には、私が良く知る男が含まれていた。
ローヴェンだ。
エセル王国最強の剣士と名高い彼は、その称号に相応しい活躍をしたそうだ。
つまり、誰よりも多くエルネメスの兵士を殺したのだ。
彼の得物である大剣を振るうための強靭な右腕は、もう残されてはいなかった。
「皆の者! ここに並ぶは、勇敢なる我らがエルネメス軍の兵の命を奪いし賊軍の長たちである! ここにいる者の中には、彼らに家族を殺された者も多くいるだろう! だが、立場は違えど、祖国を護るために全霊を持って戦った彼らを、私は赦そうと思う。この一刃を以ってだ! 決して目を逸らすことなく見届けよ!!」
群衆の前でそう宣言したエルネメス王は、再度私に対して含みのある笑みを送った。
もはや、悪趣味だとすら思わない。今から殺される彼らに、私は何もしてあげることが出来ないのだから。
私はただ、死んでいく彼らを黙って見ることしか、許されていない。
戦犯となってしまった英雄たちが、次々と処刑台に送られていく。
殆どがただ無言で首を落とされていったが、中には恨みがましい目線を送る者もいれば、直接罵倒してくる者もいた。
私は、何も言葉を返さなかった。私はもう、彼らの姫ではない。彼らに言葉をかける資格など、ないのだから。
だけど、だけどっ――どうしても、耐え難いものもあった。
「よぉ……姫様……元気か……?」
ローヴェン。あなたは何故、笑っていられるのですか。
他の者に比べて、あなたは特に酷い傷を負っている。
歩くのすらままならないというのに、何故私にそんな穏やかな声で語り掛けられるんですか。
「ごめんなぁ、姫様……ヘマ、こいちまった」
どうして恨み言を言わないのですか。
どうして怒鳴りつけないんですか。
どうして睨みつけないんですか。
何故お前だけがのうのうと生きているんだと、罵倒しないんですか。
なんであなたが、私に謝るんですかっっ……!!
「でも、俺ぁ、どんな形であれ、姫様が、生きていてくれて、嬉しいぜ……」
「……っ、ぁ」
魔術で喉を潰されているというのに、声が漏れ出てしまう。
涙を流すことも許されていないのに、溢れてしまいそうになる。
幼い頃から、兄のように慕っていたローヴェン。
いつも怒られてばっかりだった私を慰めてくれたローヴェン。
慕っていたライナに贈り物をしたいからアドバイスが欲しいと、こっそり町へ連れ出して遊んでくれたローヴェン。
「そんな、悲しい面、しないでくれ。姫様は、笑顔が、世界で一番、似合うんだ……」
そんなの無理に決まっている。酷いよ。ローヴェン。私を置いていかないで。
それに、あなたには、置いていってはいけない人が、残っているでしょう!?
それでも行っちゃうなら、せめて私も一緒に、連れて行ってよ! ねえ!!
「おい! もういいだろう! 早くしろ!」
「ぐぉっ……すまねえ、もう、時間みてえだ」
「さっさと歩け! この大罪人が!!」
ああっ、待って! 待ってよ!! 連れて行かないで!
「強く、生きろよ、姫様。そうすれば、いつか、きっと、誰かが――」
ローヴェンの、馬鹿。あんなこと言われたら、辛くなっちゃうだけだよ。
酷いよ。恨み言葉も、罵倒も浴びせる気がないなら、せめて、私に重荷を背負わせてよ。
残った民を――生まれたばかりの自分たちの大切な子どもを頼むって、言ってよ。
お願いだから、私に罰を与えてよ。私があの子から、両親を奪ったんだから。
私にそんな、優しい眼を向けないでよっっ……
♢♢♢
「やぁ、アリア。良かったらこの後、お茶でもどうだい?」
「……申し訳ございません。ロールスお兄様。私、所用がございまして」
「あっ、そっか。ごめんね、引き留めて。気をつけて行っておいで」
「……ありがとう、ございます」
あれから、7年という月日が流れた。
私は今も生かされている。
伝説の竜使いの力を完全譲渡する術が見つかるまでの間、エルネメスの姫として生かされている。
時折私に声をかけてくれる人もいたが、基本的に声をかけられることはほとんどない。
それでいい。私はもう、何かをする気力など残っていないのだから。
私に出来ることは、少しでも早く死が訪れることを願うだけ。
みんなのところへ行ける日を、待つことだけだ。
私が何も反抗しなければ、生き残ったエセルの民は、今日も殺されなくて済む。
私が大人しくしているだけで、誰かが救われるんだ。
それだけでいい。それだけが今の私の存在意義。
そう思っていたはずなのに、それは唐突に私の前へと表れた。
「――今一度、契約を」
英雄アイワスの手によって封じられていたはずの冥竜神が、私を求めてやってきたのだ。
その巨大すぎる体で街を傷つけながら、私の前に現れた。
なんてことをしてくれるんだ、と、私は文句を言うが、彼女は一切聞き入れる気がないようで、私に冥界の門を開くよう一方的に要求してきた。
生憎だが、私は冥界の門の開き方など知らない。
あれは、暴走した私が引き起こした奇跡に過ぎないのだ。
だけど、彼女は要求を呑まなければこのまま暴れると言い出した。
それは非常に困る。エルネメスの国がどうなろうと知ったことではないが、生き残ったエセルの里の民に危害が及ぶのだけは、絶対に避けたかった。
死ぬのは私一人でいい。私一人が死んで、それで終わりにしたいだけなのだから、こんなところで邪魔をされるわけにはいかない。
だからこそ、私はある術を自らにかけた。
竜魂合一の秘技。
これは本来、人と竜の魂を繋ぎ、完璧な連携をとるための竜使いのスキルなのだけど、私は雷霆の槍を媒介にこれを応用し、自らの魂と肉体を分離し、それを引き換えに冥竜神の肉体と魂を分離し、それぞれを別の持ち主にくっつけた。
私の魂は、冥竜神の肉体へ。冥竜神の魂は、私の肉体へ。
それぞれを強引に結びつけ、私の肉体をどこか遠くへ飛ばしてしまう事で、私一人では倒しきることが出来ない冥竜神の力を大幅に削ぎ落した。
あとは魂という核を失った冥竜神の肉体を私ごと封印し、見た目だけを偽装して眠りについているだけで、この国は冥竜神の危機から逃れることが出来るだろう。
そう期待した。
私の肉体は失われてしまったけれど、魂が残っていれば、きっと竜使いの力はまだ引き出せる。
あとはただ眠りについて、この魂が最後の利用価値を示すのを待つだけでいいはずだ。
私はもう、疲れた。
♢♢♢
「――思い、出せましたか」
……ええ。何もかも、あなたのせいで思い出しました。
あなたは最初から、全てを見ていたんですね。
「――はい。何故ならわたしは」
雷霆の槍の化身。いや、雷霆の槍に宿った、本来生まれてくるはずだったエルネメスの姫の魂、なのでしょう?
「――はい。その身に宿った竜使いの力に耐え切れなかった私は生まれる前に死に、何の因果か、わたしの魂は雷霆の槍に宿りました。そしてあなたの槍になってからずっと、あなたのことを傍で見てきました」
私と一緒に育った、竜使いになるはずだった姫。
それがいったいどうして私の姿をして現れたのですか?
「あなたが竜魂合一の秘技で肉体を魂を分割し、雷霆の槍ごと自らの肉体をはるか遠くへと飛ばしたあの日、私の魂は、一瞬空っぽになったその器に潜り込みました。これはほかならぬ私がこの手であなたを救うチャンスであると」
――ッ! それじゃあ行き場を失った冥竜神の魂は――
「安心してください。その魂は、行き所を失って大慌てで仮の肉体を構築しましたが、その力は本来のものに遠く及びません。それどころか、先ほどの彼――クロムさんによく懐くペットになってしまいました」
いったい何者なの……? あの妖刀を手にした彼は――
「正直なところ、わたしにはよく分かりません。ですが、心優しく、そして真の強さを持つ殿方だとわたしは感じました。アリアという救うべき者に手を伸ばすために必要な存在であると確信したんです。まあもっとも、不適合者であった私が、竜使いの体に潜り込んだせいで不具合が生じたのか、しばらくの間記憶を失ってしまっていたのですが」
なによ、それ……それじゃあ何の意味もないじゃない。
単に冥竜神の魂を野生に解き放つ特大のリスクを抱えただけになるところだったじゃないですか。
「それを言われると耳が痛いのですが、結果としてこうしてあなたに救いの手を差し伸べることが出来たので良しとしましょう。さあ、改めてわたしの手を取ってください。今度はあなたに見せて差し上げましょう。短くも濃密な、何にも代えがたい温かい記憶を」
いや、それでも私は――
「まだ、躊躇っているんですか? わたしの記憶を見れば、きっとそんな迷いなんて吹き飛びますよ? そうだ、すべてが終わったらクロムさんにお願いして旅に連れて行ってもらいましょう。ロールス王子もきっと賛成してくれるはずです」
ロールスお兄様が、何故……?
それに私の身にはエルネメス王の呪いが……
「細かいことは後で考えればいいんです! さあ!」
……悩んだ末に、私はその手を取ってみることにした。
願わくば、これが機を逸していませんように。
今度こそ、願っても、いいのかな。




