25話 竜使いの絶望4
かくして、伝説の竜使いとしての力を覚醒させた偉大なる英雄の手によって王国は戦争に勝利し、平和を勝ち取ることが出来ました。
「――そのような結末であれば、どれほど良かったことでしょう。物語の主人公――英雄と呼ばれる者の辞書に、機を逸するという言葉はありません。いつだって大切な誰かが一番ピンチの時に現れて、どれほどの強大な敵がいようと全てを救ってしまう。それが英雄」
「…………」
「だからこそ、この世界に英雄は存在し得ないのです。神の使いでもなければ、最適なタイミングを狙える人間など存在しない。人は全てを救うことなどできないのです。あなた方も、私も」
「アリア姫……」
「さて、わざわざこのようなところまでご足労頂いた上で恐縮ですが、お帰り願えますか? ここにあなた方の求めるものはありません」
気づけばクロム達は、王城のテラスにいた。
広大な王都のほぼ全てを見渡せる特等席。その柵に肘をつき、遠くの景色を見つめていた豪奢なドレスを身に纏った女性は、くるりと反転してその姿を彼らの前に晒した。
エセルとまったく同じ――いや、エセルの姿が彼女の姿を完璧に模したものであることが改めて理解できるほどのアリアの姿を前に、クロムは驚きと違和感を同時に抱えた。
鮮やかな金色の髪を靡かせる美女。
その表情は穏やかであるが、目の奥には隠し切れない闇を潜めている。
「アリア姫! 私たちはあなたを救いに来たのです! ですからどうか私たちと一緒に――」
「先ほどの言葉をもう忘れてしまったのですか? 人は簡単に他人を救うことなどできはしない。英雄など存在しないと。その姿で何かを救うなどと語らないでください。何故あなたが私と同じ姿をしているのかは知りませんが、不愉快です」
「ですが――」
「人の精神世界にずけずけと入り込んで、記憶まで覗き見て、挙句の果てに私を連れ出そうとするなど、国が違えば不敬罪で首を落としていただかなければいけなかったかもしれませんね。ですが幸いなことに、私は今権力も何も残されていないお飾りにすぎません。そのまま黙って引き返すというのであれば、特別に見逃しましょう。何なら私の力で追い出して差し上げてもよろしいですよ?」
口調こそ丁寧ではあるが、その喋り方に余裕がない事は一瞬で理解できた。
苛立ち、困惑、恐怖。あらゆる感情が混在しているが、全てが拒絶に行き着いているのだけは確かである。
そして最後の言葉。アリアは、自分の力でこの世界から追い出しても良い、と言った。
恐らくその言葉は決して見栄ではない。
何故なら目の前に立つこの華奢な姫には、決して口だけではない強大な力を持つ者であると直感で理解してしまったからだ。
対話を試みるエセルに対して、クロムは冷静にあらゆる状況に対処できるように備えていた。
だが、クロムは一つ違和感を覚えていた。
恐らくアリアにとってクロム達は邪魔な存在。
今すぐ追い出したいはずなのに、何故かその力を行使することなく自らの意思で帰るように促してくる。
そこから推察するに、恐らく彼女は力の行使をしたくない何らかの理由があるのだろう。
力の消耗が激しいのか、何らかの発動条件があるのか。
その具体的な理由は分からないが、強制的に追い出されない限りは漬け込む隙はあるとクロムは考えた。
(――となると、試してみる価値はあるか)
「エセル、やるよ」
「えっ!? クロムさん、いったい何を!?」
「どうやらアリア姫は僕たちと会話をする気はなさそうだから、ちょっと強引だけど強制的に封印を解かせる」
「解かせるって、まさか――」
「そう、実力行使さ」
クロムは妖刀を抜き、その刃をアリアへと向けた。
そう、クロムが選択した手段は武力により強制的に従わせるというもの。
あまりに短絡的で暴力的であるが、勝利すれば確実に言うことを聞かせることが出来る最も簡単な手段だ。
「――本気ですか? あなたはもう少し理知的に見えたのですが、どうやら目が濁っていたようですね」
「何とでも言うといいさ。見ての通り僕は剣士だから、細かいことを考えるのは苦手なんだ」
「……そちらの殿方は私と戦う気のようですが、あなたはどうするのですか。偽物さん」
「――それは最終手段のつもりだったのですが、こうなっては仕方ありません! 私も戦います!」
「はぁ……勇ましく武器を構えて、救うために戦うなど、私が嫌いな英雄そのものではありませんか。致し方ありません。現実に帰っていただきましょうか」
大きなため息を吐き、酷くあきれ果てたような表情のまま、アリアの体はゆっくりと浮かび上がった。
その両掌からはバチバチと電撃が奔っており、コピーであるエセルと同様雷の力を行使することが伺えた。
唐突な状況変化に困惑していたエセルだが、このままでは埒が明かないことを察していたこともあって、即座に虚空から雷霆の槍を召喚して戦闘態勢に入った。
それを見て、アリアは僅かに目を細める。
「雷霆の槍……忌まわしき呪われた槍。私が捨てた武器を持ってくるとは、どこまで私をコケにすれば気が済むのですか?」
「私はこれをあなたに返しに来たんです! この槍はあなたのモノ――今もなお愛する国を護り続ける偉大な英雄に相応しい槍です!」
「――黙りなさい」
「今でもなおあなたの幸せを願い続けている人たちがいます! あなたの帰りを待っている人たちがいます! だから――」
「黙りなさいと言っています!! その顔で、その声で、その武器を構えながら――アリアの姿で! その言葉を口にする資格はないっ!!」
エセルの言葉でアリアの怒りに火をつけてしまったのか、轟音と共に、二人の頭上から極大の雷が落ちてくる。
本来の雷の速度は通常の人が反応できる速度をはるかに凌駕するが、人の手で引き起こしているが故に多少なり発生までに遅延が生じる。
クロムとエセルはその超人的反応を以って雷を回避し、各々の得物を構えてアリアへと突撃する。
「至天水刀流・水天――」
「雷槍炎――」
「遅い」
「ぐっ……」
「うっ……」
エセルはその身に雷を乗せ、クロムは空を蹴ることで凄まじい速度で距離を詰めたが、アリアの両手は確実に二人に狙いを定め、その掌から発生した電撃がクロムとエセルに絡みつき、その動きを的確に止めてみせた。
「うがぁっっっ!?」
「くうぅっっ!!」
電撃が絡みついて無事で済むわけがなく、アリアはその出力が急激に引き上げ、強烈な痺れと凄まじい苦痛が二人を襲う。
常人なら黒焦げになり臓器も停止してしまうほどの破壊力だが――
「妖刀、力を貸せ!」
「雷帝の槍よ!」
ここにいるのは、天下無二の武具の使い手。
紫の光と金色の光が電撃の檻を破壊し、先ほどよりも速度を増して流星の如くアリアへと襲い掛かる。
その動きは単調に見えて、先ほどと同じ反撃をされた場合には即座にベクトルを変更できるように備えていた。
アリアの精神世界という超危険領域への侵入がこの二人に任されたのはこの能力故。
妖刀の力でほぼ不死になれるクロムと、同系統の技を扱うが故に耐性があるエセル。
この二人ならアリアに抵抗が出来るだろうという判断からだ。
「雷霆の槍、そしてあの刀は――」
対して、アリアは恐ろしいほどに冷静だった。
まるで時の流れが遅れているかのように二人の動きを的確に捉え、次なる電撃は今すぐにでも放てるように備えてある。
しかし、即座に攻撃するのではなく、一呼吸おいて興味深そうにクロムの様子を見ていた。
「至天水刀流・三界流転」
だがその直後、クロムが視界から消える。
アリアは冷静にクロムの気配を追い、超人的な反応を以って反転し、前方へと雷撃を放った。
正面を警戒させておきながら、瞬時に後方へと移動して奇襲を仕掛ける。
それはスピードを持つ戦士の常套手段であり、アリア自身も用いることがある戦略だった。
だからこそ、こうして的確な反撃を仕掛けることが出来――
「ッ!?」
即座に電撃属性の魔力を練り固めて生成した槍を握り、右方向からの斬撃を受け止める。
気配は一切感じなかった。否、気配は確かにあった。だが、その方向からではなかったはずだ。
そう。これはクロムが仕掛けた三段構成の必殺剣術。
前方を警戒させ、後方からの奇襲を仕掛ける。これが通る相手ならばそのまま斬って終わる。
だが、一流の戦士であればあるほど、気配には敏感だ。後方からの単純な攻撃などいとも簡単に防がれてしまう。
故に剣術・三界流転は、対象に後方に気配のみを残像として残し、さらに別方向から気配を消して斬る。
無論、三段目で完全に気配を消すことは不可能だが、直感のみに頼って迎撃する戦士ほど引っかかってしまうのだ。
「――まさかこれに対応してくるとは思いませんでしたよ」
「……今の剣術は見事と言っておきましょう」
この剣術の素晴らしい所は、一度この技が通ってしまうと、これ以降の攻撃全てにこの技を警戒させることが出来る。
二段構えなのか、三段構えなのか、あるいはそのまま何も仕掛けずに突撃してくるのか。
疑念は妄想を育て、妄想は恐怖を生む。これにより、相手の迎撃は一段階質が落ちる。
そのはずだったのだが、アリアはその恐るべき反応速度を以って初見殺しを封殺した。
これには流石のクロムも冷や汗を滲ませた。
現在のアリアは、全力とは程遠い状態にある。
自らの最大の得物である雷霆の槍はエセルの手にあり、精神世界故に竜を呼び出すことも叶わない。
さらに自身の精神世界とは言え、長く封印状態にあるが故に消耗しているはずなのだが、それを全く感じさせない恐るべき力にクロムは戦慄した。
だが、アリアは意識外からの攻撃を仕掛けられたことで意識のほぼ全てをクロムに向けることとなってしまい、それは致命的な隙を生み出してしまった。
そう、一対一であればこれで良かったのだ。しかし、アリアを狙う者は一人ではなかった。
クロムが生み出した隙を突くように猛烈なスピードで突撃してくる金色の光を前に、アリアは一瞬表情を歪めた。
「まずい――はぁっ!」
「うぐっ……エセル!」
だが、それでもなお、対応して見せるが強者の証。
強烈な放電によってクロムを強引に引きはがし、即座にエセルに対して迎撃の構えをとる。
幸いにして、エセルはクロムとは違い真正面から突っ込んでくるだけのようだ。
これならば十分に対応できる。突きつけられた槍を致命傷を避けるギリギリの位置まで逸らし、その隙だらけの体に一撃を叩き込むだけのこと。
僅かな時間で明確な勝ち筋を見出し、それを実行に移す。
その動きに一切の無駄はなかった。
「はああぁぁぁっっ!!」
「ぐうぅっっ――しかし!!」
「っ! あぁァッ!!」
エセルが突き立てた槍は、アリアの左胸を穿ち、その体に深い傷を残した。
しかし自らの肉体を盾として生み出した隙は、アリアに相討ちという勝機を与えてしまった。
雷の魔力で構成された高密度の槍は、エセルの腹に大きな穴を開けた。
一瞬の出来事だった。だが、傷は明らかにエセルの方が深い。
「ぐ、ぅ……偽物にしては、なかなかやりますね。ですが、偽物がオリジナルに敵う道理はありません……」
「はぁ、はぁっ、ふふっ……」
「なにが、おかしいのです……?」
「確かにわたしはあなたには敵わない……最初から敵うつもりで、挑んでは、いません……ですが、わたしの目的は、最初から、これです……」
「いったい何を――ッ! 放しなさいっ!!」
お互いの槍で相討ちになったエセルとアリア。
だが、自らの優位を確認するアリアに対して、エセルは空いた片方の手でアリアの腕をしっかりと掴んでいた。
そしてまるで抱き着くかのようにアリアの体を拘束し、決して逃がさないという強い気迫を押し付けた。
腹に刺さった槍すらも二人を繋ぐ枷として使い、エセルとアリアは確かに接触を果たした。
「エセル――」
「クロムさん……ここまで連れて来てくれて、ありがとうございました」
「……これで、良かったんだよね?」
「はい……これが私の、私達の、望みでした、から」
「……そっか」
「さっきから何をぶつぶつと――いい加減放しなさい!!」
まるで最期かのような挨拶を交わす二人に強い苛立ちを示し、最大限の出力で電撃を放つアリアだったが、エセルは意にも介さず、ただ純粋な眼でアリアを見つめた。
それはまるで母が子に与える慈愛の眼の如く、絶対的な庇護の意思をアリアへと向ける。
「あなたのことは、わたしが一番よく分かっています。こうしてあなたに触れて、やっと思い出せました。わたしの存在意義と、何を成したかったのか」
「ッ、偽物風情がいったい何を――」
「そう。わたしは確かに偽物。あなたに成りそこなっただけの存在でしかありません」
「ならば――」
「だからこそ、あなたを理解してあげられます。わたしはいつだってあなたの傍で、あなたのことを見守ってきました。何故ならわたしはあなたの――」
「エセル……!!」
凄まじい勢いの放電は、やがて黄金のベールと化し、二人を優しく包み込んでいく。
眩い光が、最後の記憶を呼び覚ます。
「さあ、ゆっくりと思い出してください。あの時、何があったのか。あなたの本当の望みは何なのか。そして、わたしのことも――」
「な、にを、言って……あ、あぁ、あぁぁぁぁっ……」
気づけばアリアは、抵抗する力を失っていた。
心の奥底に封じ込めていた最大にして永遠の絶望の扉の鍵が、今開かれる。
残酷な現実の呼び声が、鳴り響いた。




