21話 その想いは否定しない
「な、なあ!」
「ん? あっ、ごめん忘れてた。大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん。大丈夫。その、助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。でも、こんなところに一人で来るなんて危ないよ。里の人たちもみんな心配していたから、早く帰ろう」
「…………」
クロムの言葉に対して、苦虫を噛み潰したかのような顔で何かを訴えるライエン。
彼のすぐ傍には、辛うじて生き延びたデスペルタルの花があった。
はじめての依頼で紅炎竜と戦った時のような失態を犯さずに済んで良かったとクロムは安堵するが……
「……ねえ、兄ちゃん達はこの花、持って帰るんでしょ?」
「うん。その花はとある人を救うために必要なんだ」
「――やめてって言ったら、やめてくれる?」
「……それは出来ないよ」
「そっか……じゃあッ!!」
「あっ――」
不意にライエンが大きく足を振り上げ、勢いよく花を踏み潰そうとした。
クロムは慌ててそれを止めようとしたのだが、次の瞬間、ライエンの姿はそこから消えていた。
少し先に視線を走らせると、そこには自分とそう大差ない体格の少年の体を抱えたメイの姿があった。
「な、なにすんだよ!!」
「それはこっちのセリフ。あれはクロムが欲しがってた花。勝手に潰されたら困る」
「ナイスよメイ。たまには役に立つじゃない」
「たまには余計。ぼくは最強のドラゴンだからいつでもどこでも役に立つ」
「はいはい。とりあえず下ろしてあげなさい」
「ん、分かった」
「わわっ……」
メイは優しくライエンを下ろし、再びクロムの傍へと戻ってきた。
その間に再度踏み潰されてしまわないようにエセルが手早く花を回収していた。
彼女にとってこの花は自身と同一存在ともいえるアリアを救うためのモノであることから、絶対に失う訳にはいかないという気持ちが特に強いのだろう。
「キミのことは聞いたよ。ご両親のことと、キミがアリア姫を恨んでいるということも」
「……だったら分かるだろ。あんな奴、救う価値なんてないんだ。国を裏切った姫なんて!」
「それは違います!」
「違わない! だってアイツは父ちゃんが殺されるときだって、表情一つ変えずに黙って見ていたんだぞ! 国一番の英雄だったんだぞ!!」
「それは――ですが、アリア姫は――」
「……まあ、落ち着いてエセル。ここは僕が」
「――ッ!!」
絶叫にも似たライエンの訴えを受けて、クロムは何かを決断し一歩前へ出た。
その表情に敵意はなく、同情心もない。あるのはただ、彼を理解しようとする意思だけだ。
だからこそ、エセルは頷いて引き、ライエンは彼の接近を許してしまった。
「ライエン、キミは強いよ」
「えっ……?」
「だってキミは、その年で大切な家族の思いを背負って戦おうとしたんだよね。その大きな剣で」
「――うん。でも、僕は弱いから、出来なかった。今の僕には、兄ちゃんたちを止める力だってない。だからせめて、置いていってよ。ここなら、父ちゃんに近いところで死ねるから」
「そっか。ならそうしよう。ここで死ぬのもキミの自由だ」
「――ッ!?」
「えっ、クロムさん!? それはいくらなんでも……」
「エセル。これは”子供”じゃなくて”戦士”の決断だ。それは尊重してあげないと」
「ですが……」
クロムは敢えて、ライエンを突き放した。
理解する意思を示しながら、突き放した。
彼は今、意固地になっているのだ。自分の目的を果たせないくらいなら死んでやると、ヤケになっているのだ。
だけど同時に、彼が助けを求めていることくらい、とっくに理解している。
だからこそ、彼をここへ置いていくと宣言したのだ。
「う、後ろから刺して花を奪っちゃうかもしれないぞ!」
「いいよ。その時は斬るから、覚悟しておいてね」
「うぅっ……」
「クロムさん……」
「――ライエン。キミは復讐を成し遂げたいの? それとも、僕たちに同情してほしいの?」
「えっ、あっ、それは――」
「もしキミが戦略的にここで僕達の同情を引き、花を破棄させようとしているならそれは見事だと思う。それも立派な戦い方の一つだ。だけど――違うよね? キミはただ、自棄になっているだけだ」
「う、うるさい! 兄ちゃんなんかに僕の気持ちは分から――」
「分かるさ」
「うっ……」
その時のクロムの眼は、恐ろしく冷めていた。
ライエンは察してしまったのだ。その目が、復讐者の眼であることを。
一線を越えたことがある者にしかできない、殺人者の眼であることを。
ライエンは次の言葉を紡ぐことが出来なかった。
「僕は、僕を殺そうとした実の兄を斬り、同じく僕を殺そうとした父をこの刀に喰わせた。この刀は妖刀だ。抜けば死ぬと言われてきた呪われた刀。僕は家にいらない落ちこぼれとして12歳の時にこの刀と一緒に半殺しにされて追い出されたんだ」
「うっ……な、なんで……兄ちゃんはあんなに強いのに……」
「魔術が使えなかったからさ。魔術師の名家に生まれておきながら、魔力すら持たない落ちこぼれ。剣の才能があったところで、魔力を武器に宿せないから魔術師を斬れない。まあ、自分で言うのもなんだけど、追い出されて当然かもしれないね」
「な、なんでそんな笑って話せるんだよ! そんな酷いことされて、どうして――」
「どうしてだろうね。世界一の剣士になるって夢はあったけど、一番はこの妖刀を呪い殺されることなく使えるようになったこと、かな。この刀があれば、僕は魔術師を斬れる。世界一の剣士になるっていう夢を追える。だからかな」
「なんだよそれ……運が良かっただけじゃん。ズルいじゃん! 僕にはそんなものなんてないんだよ!!」
「それは聞き捨てならないわね。運が良かっただけ? ふざけないで。クロムの強さは妖刀だけのお陰じゃない」
「でも……」
図らずも、二人でライエンを責め立てるような雰囲気になってしまい、場の空気が一気に重くなる。
だが、これは復讐という言葉を背負ったことがある人間が腹を割って話すために必要なことだ。
それほどまでに復讐心という炎は消し難い。クロムとルフランは、その重さを良く知っていた。
「勘違いしないで欲しいんだけど、僕達はキミの復讐心を否定しない。少なくとも、僕とルフランの二人はね」
「そうね。復讐を選ぶのも個人の自由よ」
「赤色の姉ちゃんも……?」
「あたしも故郷を氷漬けにして逃亡したある女に復讐するために旅をしているわ。どんな手を使ってでも追いつめて、故郷を元に戻させて責任を取らせる」
「…………」
「クロムが問いたいのは、あんたの復讐に対する想いの強さよ。あんたは復讐のために全てを捨てる覚悟がある? どんな手を使ってでも、どんな目に合ってでも、自分の手で復讐を成し遂げるという覚悟がある? そういうことよ」
「自分の、手で……」
「いい? 本当の意味で同情を求めるということは、あんたの復讐心を他人に捨てるということよ。自分一人で出来ないからって、誰かの手を安易に借りようとする。利用するんじゃなくて、代わりに果たしてもらおうとする。そんなのは、復讐とは呼べない」
「…………」
「その上で、もう一度問うわ。あなたは、どうしたいの?」
ルフランは、怒りでも同情でもない、ただ純粋な問いかけをライエンへと投げた。
クロムとルフランは、ライエンに対して中途半端に向き合い妥協することを嫌ったのだ。
「――その花、おいて、いってよ」
「それはできない」
「じゃあ、力ずくでも、おいていかせる」
「……そっか。じゃあ、やろうか」
「お、落ち着いてください! いくらなんでもそれは――」
「落ち着くのはエセルの方。これはクロムなりの対話の形」
「ですが……」
「まあ見てなさい。すぐに終わるわ」
ライエンは背中の大剣をふらふらになりながらもなんとか抜き、その刃をクロムへと向けた。
立っているのがやっとという様子だが、それに対してクロムは隙のない構えで応戦する。
敢えてクロムからは仕掛けず、ライエンの動きを待つ。
そして――
「うおおおおおおっっっ!!」
強い意志で己の体を従え、勝てるはずもない相手に無謀にも剣を振り下ろさんとする。
斬れるわけがない。だが、当たれば斬れる。
振り下ろした剣に、脅しだったという言い訳は通用しない。
振り下ろした瞬間に、剣は殺しの道具でしかなくなるのだ。
クロムは敢えて避けようとしない。刀を使って受けようともしない。
ライエンはそれを見て激しく動揺する。だが既に刃はその体に突き刺さろうとしていた。
「――っ!」
「待ちなさい」
エセルが反射的に槍を構えたが、ルフランがそれを制止した。
決して介入を許さない、厳しい視線を彼女へと向ける。
もう、誰かが彼を止めることなど、出来はしない。
「う、わ、あああああああああああっっっっ!!!?」
ズシンと、重い音が響く。
刃は鮮血を浴びることなく、着地した。ギリギリのところで、ライエンは全力でその刃をずらしたのだ。
彼は、クロムを斬らなかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「――どうして、斬らなかったの?」
「斬りたく、ない。僕はあいつ等みたいに人殺しなんて、したくない……姫様は憎いけど、殺したい、訳じゃない。殺したいわけじゃ……うぅっ、うぅぅぅ……」
「――それが、答えなんだね」
クロムがそう問いかけると、ライエンは大粒の涙を流しながら頷いた。
それを見たクロムは、硬い表情を崩した。
「……もしキミが、本当に斬る覚悟を示したのなら、それでも良かったんだ。その時はキミから強引に奪うという形で、花を持ち帰ったと思う。キミに恨まれる覚悟だってもちろんあった」
「クロムさん……」
「でも、キミは選ばなかった。だったら多分、そのほうが良いと思う」
「…………」
「――キミと同じように、大切な人たちのために、今も孤独に戦っている人がいる」
「――えっ?」
「戦争の起点になってしまった彼女は、それでも最後に残った王族の一人として今も生きている。家族を殺され、国を奪われて、あらゆるモノを失った。それでも、憎くて憎くて仕方がないはずの敵国の姫として生きることを選んででも護りたいものが残っていたんだ」
「それは――」
「それがいったい何なのか。キミなら……もう、分かっているよね」
アリアは、自分のせいで祖国を戦争に巻き込み、全てを失った絶望で破壊の限りを尽くした。
それでも、生き延びてしまった彼女には、護るべき民が残っていた。
アリアには、彼らを見捨てることなど出来なかった。
自分の自由を全て失ってでも、王族として彼らを護らなければならなかった。
いや、そうでもしなければ、彼女の心がきっと耐えられなかったのだろう。
だが、結果としてエセルの里が今も維持されているのは、アリアのおかげであることは揺ぎ無い事実なのだ。
「お願いします。アリア姫を助けるために、この花を譲っていただけませんか?」
エセルが頭を下げた。
彼女の頭の中も今、混乱状態にあることだろう。それでも、自分が救うべき人、やるべきことはハッキリとしていた。
だからこそ、彼のような少年にも頭を下げるのだ。
「……花は、もうそっちが持ってるんだろ。好きにしてよ」
ライエンは後ろ向きのまま、そう呟いた。




