20話 記憶の欠片
一転して静寂に包まれた真夜中の王城に、食事を終えたばかりの竜が舞い降りる。
幾度となく見たはずのその姿は、不思議とどこか神々しさを覚え、彼女もまた、自らが上位存在であるという主張を隠そうともしない。
ライエンはその光景に思わず息を呑んだ。
新たな力を得たドラゴンは、いったいこれから何をしでかすのか。
ひょっとすると自分も食われてしまうのではないだろうか。
恐ろしい。だが、そんな彼の懸念も知らずに、彼女はゆっくりと歩み寄る。
そして……
「ん」
「――え?」
メイはクロムの目の前で止まり、頭を差し出すようにわずかに首を傾けた。
クロムはその意味がよく分からず、顎に手を当てて頭に疑問符を浮かべた。
メイはそれが不満だったのか、やや成長したその体をさらに押し付けるように近づけた。
それでもクロムの反応がいまいちだったので、とうとうその口を開いて言った。
「ほめて」
「!?」
「敵、倒したからほめて」
「えっ……ま、まあ別にいいけど……」
さも当然の要求かのように言い放つメイを前に、ほんの一瞬場の空気が凍り付いた。
だが、恐ろしいほどまっすぐなその眼を前に、彼女が大真面目に求めていることを理解したクロムは、差し出された髪を優しくなでることにした。
「ん……」
「ほんっっと自由気ままに生きてるわね、あんたって奴は」
「ふふ、まあでもそのほうがメイさんらしいですよ」
「撫でるのはいいけどついでに吸おうとか考えてないよね?」
「んーなんのことー?」
「まったくもう……」
心地よさそうな声を上げ、まるでペットのように甘えだすメイ。
そしてそれを見て、ルフランたちの雰囲気も一気に柔らかいものとなった。
ライエンはその様子を大口をあけて見ていた。
そしてしばらくしてようやく満足したのか、メイはクロムを解放した。
「しっかしずいぶん立派な翼が生えたものね」
「でもこれだと町に戻った時目立ってしまいそうです」
「ん、邪魔なら消す」
「消せるの!?」
「ドラゴンの体は変幻自在。これくらいは朝飯前」
「ど、ドラゴンってすごいんですね……」
「えへへ、そうでしょ?」
メイはそう言って翼を引っ込めると共に、自身の手を竜形態のそれへと変化させて見せた。
メイにとっては、今の人間の姿はあくまで仮の姿に過ぎず、どのような形を取るかは彼女の思うがままなのだそうだ。
その気になれば大人の姿を取ったり、男になったりすることすら可能だというが、どうやら今はこの少女の姿が一番落ち着くらしい。
「ぼくはクロムから魔力と一緒に人間という生物の情報をもらったから、それを分析してヒトの体を造った。本来の姿じゃないからいくらでもいじれる」
「えっ、僕から情報を抜き取ったの!? 怖いんだけど!?」
「安心して。頭の中覗き見しただけだから」
「余計に怖いよ!?」
「まったく、倫理観のかけらもないわねあんた……だからあんたの一人称が”ぼく”なのね。納得いったわ。なんで男のクロムから情報を抜き取って女の子になったのかは分からないけど」
「んー……クロムの大切な女の子の姿を真似した。そのほうが警戒されないと思ったから」
「はぁっ!? クロムの大切な女の子!? ちょっと、どういうことなのクロム!?」
「ええっ!? メイみたいな女の子の知り合いなんていたっけ……?」
「ちょっと! 隠さないでちょうだい! あ、あたしのライバルになるかもしれないんだから……」
「えっと、最後のほうよく聞こえなかったけど、本当に心当たりないって!」
必死に記憶を掘り起こしてみるが、メイと似たような見た目をした女の子の知り合いなどいないはずだった。
確かになんとなくメイへの警戒心が薄くなっている自覚はあるが、それは決して見た目のせいではない。
しかしルフランがいつになく真剣な表情で思い出すよう迫ってくるので、クロムは頭痛がしそうな勢いで思い出そうとする。
そしてその答えは、メイによってあっさりと与えられた。
「ん……確か、クロムのこと”お兄様”って呼んでた」
「な、なによ。大切な女の子って妹のことだったのね。それなら早くそう言いなさいよ」
「えぇっ、妹……? 僕に妹なんていない……いない、よね?」
「なんであたしに聞くのよ……妹のこと忘れるって結構ひどいと思うんだけど」
「わたしもそうですけど、記憶はそう簡単には掘り起こせないと思うので、無理しなくていいと思いますよ」
「ありがとうエセル。でもなんか、思い出せそうな気も――」
”お兄ちゃん”という単語を聞いて、靄がかかっていたあの時の記憶がうっすらとよみがえる。
当然ながら家の厄介者であるクロムに対しては、基本的に血の繋がった兄弟姉妹とて声をかけようとしなかった。
ジーヴェスト公爵家は、仮にも大貴族の地位にある家だったのでそれなりに兄弟姉妹がいたはずだが、クロムにしてみればたまに馬鹿にするために様子を見に来るギリウス以外ほとんどが顔を見たことすらないので記憶にないのは当然だ。
だが、一人だけ例外がいたような……
「――おにいさま、こわいよぉ……」
「――ッッ!!」
目に涙を浮かべながら怯えて蹲る幼い少女。
まるで鬼を見るような、本能で命の危機を感じているその様がうっすらと浮かび上がる。
その時、自分は何をしていたのか。
そうだ。剣を握っていた。師匠から与えられた、練習用の木刀。とても武器とは呼べないそれを手に、誰かと戦っていた。
「――まさかこれほどとはな。我が武術の真髄たる蒼気をここまで引き出して見せるか。しかしお前のそれはまだ”暴力”の域を出ぬ」
『御しきれてこそ真の力。強者たらんとするならば、己を知り、弁えよ』
「我が師の言葉だ。よく噛みしめよ」
ああ、そうだ。
あの時は確か、彼女を護るために必死に戦ったんだ。
だけどまだ、師匠から剣を習い始めたばかりでちゃんとした戦い方なんて知らなくて、何人もの大人を相手に無我夢中で暴れたんだ。
気が付いたらあたりは血まみれで、後ろで見ていた女の子は震えていた。
そしてその日から師匠の修業は数段階厳しくなった。
「……そっか。あの子のことか。どうして今まで忘れていたんだろ」
「思い出したの? あんなに悩んでた割には速かったわね」
「かなり前のことだし、1か月間くらいしか一緒にいられなかったんだ。あの子は優秀だったから、他国に留学させられちゃってね。今どこにいるかもさっぱりわからないんだ」
「ふーん……まあ、でも少し安心したわ」
「え?」
「だって、他国に行った妹がいるってことは、アナタにもまだ大切な家族が残ってたってことでしょ? 旅をしていたらどこかで出会えるかもしれないわね」
「……そっか、そうだよね」
「――あたしにも、いるから。一緒に探しましょう」
「……うん、そうだね」
クロムにとって家族という言葉は、決して聞き心地の良い言葉ではなかった。
だけど、妹という存在を思い出したとき、不思議と嬉しかった。
なんであの子が自分という厄介者に声をかけてくれたのか、あの子とどんな言葉を交わしたか、どんな別れ方をしたのか。
別れた後の辛い記憶で上書きされてほとんど忘れてしまったが、出来ることならばもう一度会いたい。
もしかしたら今の自分を拒絶されてしまうかもしれないけれど、それでも会ってみたい。
ルフランの言葉で、その想いはより強まった。
「えっと、お答えしにくいことだったら聞き流していただきたいのですが、ひょっとしてクロムさんは、その、ご両親とかは……」
「ああ、うん。もう亡くなったよ。そのことについてはまた今度機会があったら話すよ」
「あっ……すみません。お辛いことを答えさせてしまって」
「ううん。いいんだ。もう割り切ってる」
「じゃあぼくが代わりに教えてあげ――あだっ!?」
「ったく、あんたはもう少し人間の常識ってものを学びなさい。これからもヒトの姿をして生きていくつもりならね」
「うぅ……人間ってめんどくさい……」
メイの頭にルフランの拳骨が落ちて、涙目になっていた。
もし狙いが外れてあの硬そうな角が刺さったら痛そうだなと思いつつ、ルフランは自分を気遣って怒ってくれたのだろうと思い彼女に感謝した。
しかし、師匠のありがたい言葉すらも忘れかけていたとは、弟子失格だなと改めて深く反省した。
至天水刀流は、魂の力を引き出す剣術。己の精神が強靭でなければ、その力を御し切ることはできない。
妖刀を携え、心強いパートナーと優しい人たちに出会ったことで、心の穴は少しずつ埋まっている気がする。
今ならもう少し、力を引き出せるかもしれない。
一部の技にしか使ってこなかった蒼気とも、いずれはちゃんと向き合わなければならないだろう。
真の剣士になるならば、決して避けては通れない路だ。
まさかこのような形で思い出すことになるとは思いもしなかった。
喧嘩をしているメイとルフラン、そしてそれを仲裁しようとしながらもどこから切り出していいかわからず困っているエセル。
賑やかになったな、と改めて感じる。もし師匠が今の自分達を見たのなら、いったいどんな言葉をかけてくれるのだろうか。
「浮かれるな未熟者が! って言われそうだな。はは……」
でも、師匠も言っていた。人は一人では強くなれないって。
だからきっと、これでいい。
クロアもきっと、そう言ってくれるはずだ。




