18話 たとえ戻れなくても
かつては小国ながら栄えていた王国の跡地。
舗装されているヒビだらけの石畳、崩れた建物から覗く色あせたタペストリー。
砕けた瓦礫や朽ちた武具が散乱する道を進めば、町のシンボルだったであろう大きな城と崩れかけの時計塔が聳え立つ。
かつて訪れたジプラレア遺跡とは異なり、いまだそこに文明の面影を残しながらも圧倒的な破壊の爪痕を刻まれたその様は、戦争の凄惨さを理解するのに十分だった。
「ここが旧エセル王国の王都か……」
「酷いものね。数年前までここに多くの人が暮らしていたなんて信じられないくらいよ」
「――ここがわたしたちの故郷」
「クロム。急いだほうが良いよ。男の子、竜に襲われそうになってる」
「分かった! 行こう!」
ここまでくる上で、メイの眼は非常に頼りになった。
どうやら彼女の眼は千里眼に近しいもののようで、彼女の案内に従うことでほぼ最短ルートでこの旧王都まで辿り着くことが出来ている。
しかし、天を仰げばもう既に欠けた月はほぼ真上に位置している。
ライエンが飛び出してから相当な時間が経ってしまったが、どうやらまだ彼は無事らしい。
しかしそれも時間の問題との事なので、クロムたちは急いで彼のいる王城へと向かって走り出した。
♢♢♢
「えっと、確かこの辺に入り口があったはず……」
一方その頃、茶髪の少年ライエンは、大きく崩れて中の壁が露出した旧エセル王城を一人で歩いていた。
その背には父の形見である業物の剣。
僅か10歳の少年には到底扱える大きさではなかったが、持ち出したことは決して無意味ではない。
この剣は彼に勇気を与えてくれたのだ。たった一人で真夜中に危険な場所へ赴き、為すべきこと為すための勇気を。
冷たい風に吹かれて体が震えるが、これは決して恐ろしいからではない。
何故なら彼の父は、エセル王国の英傑。剣を握らせれば誰にも負けないとまで言われた将軍なのだから。
「――あった。これがデスペルタルの花……」
崩れた壁を縫うように太い蔦が絡み付き、雑草が生い茂る床。
ところどころに巨大な竜の爪痕や砲撃の後が刻まれる城の中で、唯一光り輝く存在を彼は見つけた。
美しい水晶のような花弁から漏れ出る鮮やかな紫の光。
力強く咲き、見ているだけで心が洗われるようなその存在を前に、ライエンは思わず息を呑んだ。
「これを――全部、抜かなきゃ」
だが、彼はその花を手に入れるために来たわけではない。
里長の家で盗み聞きした内容から、このデスペルタルの花は、どうやら本物のアリア姫を救うために必要なものらしい。
明日になれば流れの冒険者がそれを取りに来てしまう。
そんなのは、決して認められない。あんな奴は、救われるべき人間じゃないんだ。
ライエンの父は、戦争終結後、彼が4歳の時に戦争犯罪者として処刑された。
ライエンの母は、戦争の際に受けた傷から感染症を発症し、その3年後に命を落とした。
すべては戦争のせい――その発端となったアリアのせいなのだ。
その上、アリアは王族のくせに、エセルの民を護らなかった。
戦争犯罪者として公開処刑された父を、ただ無表情に見ていただけなのだ。
辺境の隔離された里で、ひっそりと死んでいく母のことなど知りもしなかったのだ。
そんな奴に、救われる価値なんてあるはずがないんだ。
「――ごめんね」
美しく咲く花の茎に触れ、勢い良く抜こうとしたその瞬間、彼の背に強烈な悪寒が奔る。
慌てて上を見上げてみると、王城に隣接した時計塔の上で、赤き眼で彼を見下ろす魔物がいた。
月光に照らされた黒鉄色の鱗、頭には鋭利な巨大角が並び、広げた翼は町をも多い尽くさんほどの大きさだった。
「えっ、あ、あっ……」
その圧倒的な存在感を前に、ライエンは声を出すことが出来なかった。
やがて巨大な竜は激しい風を巻き起こしながら飛びあがり、彼の前にゆっくりと着地した。
その足元にはデスペルタルの花がある。今ここで竜が一歩踏み出せば、花は無残に踏み潰されるだろう。
だけど、そんな事を考えるよりも前に彼は立っていられなくなった。
「―――――――――――――ッッッッ!!!!」
天を衝く竜の咆哮。空気が震え、ライエンの体は一瞬にして凍り付いたかのように動かなくなった。
しかし、彼は思い出した。自分の背中に背負ったものを。託された勇気の剣を。
ライエンは震える足に無理矢理力を込めて立ち上がった。
そして、身に余る大剣を鞘から取り出し、両手で構える。
あまりの重さに、剣を落としてしまいそうになりながらも、強く握りしめて竜と対峙した。
「僕の父ちゃんは、この国で一番強かったんだ。だから僕だって――」
顔を上げると、恐ろしく冷たい赤き眼で巨竜がこちらを見下ろしていた。
竜からすればライエンなど足下を這う蟻に過ぎない。
それでも、このまま死ぬなんて、そんな情けない男が、尊敬する父の子であるはずがないのだ。
「うおぉぉぉぉっっっ!!!」
思いっきり大地を蹴り、剣を構えながら竜へと突撃する。
どこから力が湧いたのか、この時ばかりはいっぱしの剣士の如く、ライエンは重い剣を勢いよく振り切った。
ガキンッ、と乾いた音が響く。鋭利な刃はその鋼鉄の鱗に、突き刺さらなかった。
足を狙った一撃。それに対する報いは、あまりに重いものだった。
「うあっ――」
土埃を払うかのような蹴りが、ライエンの幼い体に突き刺さり、彼の体は大きく弾き飛ばされる。
その勢いのまま壁に激突し、そのまま地面へと滑り落ちた。
ああ、僕はここで死ぬのか。そう思うと、気づけば彼は冷静さを取り戻していた。
体が動かない。全身が痛い。でも、助け何て来るはずもない。
でも、この竜がこの場所で暴れれば、花が潰れ、アリアも助かることはない。
(なら、もういいや。父ちゃん。母ちゃん。僕――)
「はは……ははははっ……」
乾いた笑いが込み上げる。
竜が片足を大きく上げた。
ライエンは涙が滲む目を瞑り、迫りくる己の運命を受け入れた。
「起爆!!」
「――え」
全てを踏み潰す巨大な足が振り下ろされることは無かった。
巨竜の胸の前で突如として発生した巨大な爆発は、その巨体を激しく吹き飛ばし、後ろの壁へと叩きつけた。
まるで王都全体が震えるかのような衝撃。顔を覆っていた手を退けると、気づけば彼の眼には4人の背中が映っていた。
「間に合った! ルフラン、ナイス!」
「危なかったわ。あと少し遅ければいくらあたしでも届かなかったかも」
「流石です、ルフランさん!」
「間に合ったのはぼくのお陰だから忘れないでねクロム」
刀を提げた少年、杖を構える少女、槍を構える少女、そして何も持っていない角と尾の生えた少女。
間違いない。昼間に里を訪れた冒険者たちだ。
「あんたたち、なんで……?」
純粋に疑問を口にした。
彼らが出発するのは明日の朝のはず。
それがなぜこんなところにいて、しかも自分を護って戦おうとしているのか。
「――話は後だよ。今はそこで大人しく見ていて」
一瞬だけ振り返った少年の眼は、恐ろしく冷たく、覚悟に満ちたものだった。




