15話 英雄アイワス
「冥界の竜神――冥竜神。この地上よりも遥か下に存在するとされる闇の世界の中で最も強大な力を持つという竜神は、我が国の英雄アイワスによって確かに封じられたはずだった。しかしおよそ1年前のある日、遠き地で紫の閃光が空を割ったあの日から、竜たちが暴れだす事態が多発し始め、遂に一月ほど前にかの竜は、長き眠りから目覚めてしまった」
ロールス王子が語った内容を受けて、クロムは顔を引き攣らせた。
天を割く紫の閃光。まさかそれは自分の妖刀のせいではないだろうか、と。
同時にルフランも1年前のある出来事を思い出していた。
そう、あれははじめてクロムと依頼に赴いたあの日のこと。
Cランク相当の依頼だったにも拘らず、何故かAランクの紅炎竜が襲撃してきた事件だ。
「それで、その後はどうなったんですか?」
「その時はもちろん我が軍が総力を挙げて迎え撃とうとしたのだが、あろうことか、アリアがたった一人で冥竜神と対峙して、自らと共にその体を再び封印してしまったのだ」
「――それじゃあ、冥竜神は今あの子の中にあるってことなの?」
「恐らくは。あの小さな体のどこに封印しているのかは分からないが、冥竜神が姿を消したと共にアリアがあのようになってしまったから、そう考えるしかない」
その言葉を受けて、再度メイの方を見た。
彼女は特に言葉を発することなく、無機質な眼で封印されしアリア姫の姿を見ていた。
「メイ、そこのあたりどうなの?」
「ん……確かに、あそこに本体がある。たぶん」
「そもそもなんでアンタは本体から離れて行動してるのよ。普通に考えたら一緒に封印されてないとおかしいじゃない」
「うーん……あっ」
何かを思い出したかのように、メイは自らの胸に手を当てた。
そして彼女に蘇るある記憶。それはまるで自分の体を真っ二つに割かれるような、凄まじい痛み。
それと共に彼女が発したある言葉を思い出した。
「今の私では、あなたの全てを封印することは出来ない。ならば、せめて体だけでも――」
「な、なによ急に。一体誰の言葉なのよそれは」
「エセル……それともアリア……? でもどっちかが言ってた。きづいたらぼくは体から引き剥がされて、変なところにいた」
「ってことは、エセルもその時……?」
「アリア姫の分体……それがわたしの正体、という訳ですか。不思議と、そう言われると納得してしまいます」
今度はエセルに視線が注がれる。
エセルは自分の正体を理解すると、アリア姫に対してゆっくりと手を伸ばした。
「先ほどから気になっていたのだが、その竜人のような見た目をした子は、冥竜神なのか?」
「恐らくは。エセルと一緒に行動していたところを見つけて、自分のことを冥竜神だと名乗ったのでそうだと思います」
「――君たちが来たことで事態が動き過ぎているな……一度いろいろと整理したい。アイワスとも相談しなければ」
「お呼びですかな、ロールス殿下」
「――っ! なんだ、聞いていたのか。それならばもっと早く出てくればよかったものの」
「いえいえ、私如きが殿下の会話中にお邪魔するなどとてもとても」
陰から這い出たかのようにするりと現れた、深く被ったフードで顔を隠す老人。
何とも言えないうさん臭さを放つ彼だが、纏う雰囲気は穏やかだ。
「しかしお呼びいただいたのであれば、まずは自己紹介をしなければなりませんな。私の名はアイワス。現在は宮廷魔導師団の特別顧問をやらせていただいております」
「このアイワスは、件の冥竜神を封印した我が国の英雄だ。見た目こそ怪しいが、頼りになる男だから安心してほしい」
「ほっほっほっ。怪しい見た目なのは否定できませんな。何分、人様にお見せするほどの顔ではありません故……」
杖を突きながら、一歩前へ踏み出すアイワス。
顔こそ隠れているが、彼の視線が誰に注がれているかは明らかだった。
「しかし、かの冥界の竜神が人の形を取り言葉を喋るとは、実に興味深い。もしよろしければ、是非ともいろいろと調べさせていただきたいものですが……」
「いや。お前、歪で気持ち悪い」
気配を察知したメイは、慌ててクロムの後ろへと隠れてしまう。
そして不快感丸出しの顔でそう言い放った。
「ちょっ、メイ。そういう言い方はマズいって」
「ほっほっほっ、良いのですよ。しかし嫌われてしまいましたな。残念残念。まあひとまずは、我が国に危害を加える様子ではないので良いでしょう。してロールス殿下、例の件でございますが……」
「おお、何か分かったか! アリアを解放する手段が!」
「ええ、しかしクロム殿ご一行がお越しになったのはまさに僥倖と言わざるを得ませんな。解放に必要なものの一つ目は、エセル殿がお持ちのその槍――雷霆の槍。そしてもう一つは――デスペルタルという花でございます」
「デスペルタル……聞いたことがないぞ」
「ええ。それもそうでしょう。デスペルタルは、エセル王家が代々育ててきた、夜明けの象徴とも呼ばれる希少な花です」
「それは――手に入れる手段はもうないという意味で言っているのか」
「いえ、そうとも限りません。エセル王国の跡地へ赴けば、あるいは生き残ったエセルの民であればその所在を知っているかもしれません」
そう言うと、二人の眼がクロムたちを向いた。
ここまで会話を聞けば、次に彼らが何を言うかなど容易に想像がつく。
「クロム殿、もしよければ貴殿らでデスペルタルの花を取ってきてもらえないだろうか。侵略者である我らが、彼らの集落に近づくことは好ましくない。しかし、無関係のあなた方なら話を聞いてもらえるかもしれない」
「アリア姫と同じ姿をしたエセル殿もおりますからの。彼らとてむげには出来ないでしょうぞ」
「それは構いませんが――一つ、聞かせてくれませんか?」
「なんだ?」
「……もしアリア姫の解放に成功したとして、あなた方はアリア姫をどうするつもりなんですか? もしまた彼女に過酷な運命を背負わせるつもりなのであれば、僕たちは――」
協力できませんよ、と暗にロールス王子に伝えた。
それを聞いたロールス王子は、怒るのではなく、逆に笑顔を浮かべた。
そして堂々と言い放つ。
「――私は、アリアを自由にしてやりたいんだ。今は父上――現国王が在位しているが、いずれ私が王位を継ぐことになる。その暁には彼女を解放したいと思っている」
「ロールス王子……」
「例え血が繋がっていなくても、かつての敵国の姫であろうとも、彼女が8歳の時から私の妹なのだ。アリアはもう、十分すぎるほど罰を受けた。何も悪いことはしていないのに、だ。それなのに、このまま一生封印状態で生を終えるなど、あまりに惨いだろう。だから私は、せめて兄として……」
「……分かりました。あなたの想い、十分すぎるほど伝わりました。先ほどは疑うような発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいんだ。我らは既に清算しきれないほどの罪を犯している。これも私のエゴ、身勝手な押し付けに過ぎないのだから……」
ロールス王子の想いを聞き届けたクロムたちは、早速旧エセル王国の民が暮らす集落へ向かうことを決めた。
見送りに来たアイワスが最後に見せた不気味な笑みがどこか引っかかったが、今はアリア姫の解放が最優先なので、ひとまずは気にしないことにして……




