プロローグ 旅立ち
第2部の投稿を開始しました!
早朝。
カーテンを開け、地平線の彼方から顔を出した太陽の光を招き入れる。
すると大きなベッドで眠りについていた家主は、その光を受けて不快そうに掛け布団を引っ張って顔を覆った。
「エルミアさん。そろそろ起きてください。おーい」
「んみゅ……うぅ……あと1時間……」
「それを許したらなんだかんだ昼まで寝続ける未来が見えるのでダメです」
「そんなぁ……クロムくんの意地悪……」
クロムはやや強引に布団を引き剥がすと、薄手のネグリジェを纏ったエルフの美女が、アルマジロのように丸くなっていた。
朝に弱い彼女を無理矢理起こすのは気が引けたが、今日ばかりは早く起きてもらわないと困るので心を鬼にして彼女の体を揺する。
その度にどこか扇状的な声を上げながら抵抗するエルミアに、クロムは小さくため息を吐く。
「しょうがないなぁ……えっとアレは確かあっちに――え、ちょ、うわああああっ!?」
仕方がないので別の手段で起こそうと思ってその場を離れようとすると、不意に手首を掴まれ、そのまま凄まじい力でベッドに引き摺り込まれてしまった。
それと同時に柔らかい感触と甘い匂いに囚われ、体の自由が効かなくなる。
「んふふ……クロムくんももう少し一緒に寝よう。ね、いいでしょ?」
「エルミアさん……その、この状態はあまり良くないというか……」
「んー? 何がダメなのぉ……?」
「……30分だけですよ」
こうなると起こすのはもう無理だと判断して、クロムはエルミアの抱擁を受け入れることにした。
こうしていると、1年前のことを改めて思い出す。
生死の狭間を彷徨っていた自分を救って、快く受け入れてくれ、可愛がってくれた、まるで第2の母親のような存在。
こうされるのは決して嫌ではないもののどこか気恥ずかしくなるので、自分用のベッドを買って貰ってからは一緒に寝る機会は減っていたのだが……
(……参ったな。これじゃ余計に寂しくなっちゃうな)
困ったことにこの温もりには依存性があるようだ。
エルミア曰く、クロムは抱き枕の代わりとして優れているらしく、時折こうして彼女に捕まってしまうのだ。
ちなみにそういう時は大抵、彼女に嫌なことがあった時や気分がすぐれない時だ。
(……エルミアさんも、少しは寂しいって思ってくれるのかな?)
小さく笑みを浮かべながら寝息を立てるエルミアの顔を見ながら、クロムはふとそんな事を思った。
この1年間、彼女の家で生活をして、クロムは様々な経験をした。
いろいろな話をしたし、いろいろなところに連れて行って貰った。
過去12年間の生活で得られなかったものを、たった1年で取り返したのだ。
だがそれも今日で一旦終わり。
今日は始まりの日であると同時に終わりの日でもあるのだ。
(やっぱりもう少しくらい……いいかな……)
ゆっくりと瞼が落ちていく。
気づけば時計にむけていた視線は途切れ、意識は闇に落ちていった。
「――はっ!?」
クロムが目を覚ましたのはそれからおよそ2時間後。
うるさく鳴り響くチャイムの音に叩き起こされての事だった。
クロムは緩まったエルミアの拘束をやや強引に振り払うと、慌てて玄関へ向かった。
するとその途中でチャイムの主と出会った。
長く伸ばした真っ赤な髪を靡かせる少女が、引き攣った笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「あー……その……おはよ、ルフラン」
「アナタねえ……よりによってこんな大事な日に寝坊したの?」
「うっ……はい、ごめんなさい……」
「もう……あたしはいいけど、ギルドマスターが怒ってたわよ? 人を呼び出しといて遅刻なんざいいご身分だな、Aランク冒険者サマよぉ、って」
「うげっ……それは……」
そう言われると何も言い返せなくなるクロム。
しかしこれは目覚ましをかけておかなかった自分のミスだ。
エルミアほどではないが、朝に弱めなルフランに起こされる日が来るとは夢にも思わなかった。
クロムは慌てて寝室に戻り、エルミアを起こしにかかる。
「エルミアさん! 起きてください! もう時間過ぎちゃってます!!」
「えぇ……もうそんな時間……?」
今度ばかりは彼女の三度寝を許すわけにはいかない。
やや力技で彼女を起き上がらせて移動させる。
美しい金髪は寝癖だらけだが、彼女は魔法を使えば一瞬で身支度を整えられるのを知っているので、とりあえず目を覚まさせるために冷たい飲み物を用意することにした。
そして約30分後、大急ぎで支度を整えた二人は、文字通りギルドまで飛んでいった。
「すみませんでしたっ!!」
到着後、クロムが最初に発した言葉は謝罪の言葉だった。
当然だろう。
額に青筋を浮かべたアルファンが、腕を組みながら恐ろしい形相でこちらを見ているのだから。
「あのな、俺は仮にもギルドマスターだぞ。つまり組織のトップって訳で、暇人じゃねえんだ」
「……はい」
「まぁまぁアルくん、そんなに怒らないでよ。せっかくの旅立ちの日が喧嘩別れなんてよくないって」
「ふん。クロムがただの寝坊をするとは思えねえ。大方お前が変なことに巻き込んだんだろ。あとその呼び方はやめろ」
「えー!? 私のせいなの!? まぁ……あんまり間違ってないけど……」
エルミアはわざとらしく驚いて見せたが、寝落ちしてしまったのは自分のせいなのでクロムは苦笑いをするしかなかった。
しかしどうやら想像していたほどは怒っていなかったので一安心した。
クロムは別に朝に弱くはないというイメージ付けが功を奏したのだろうか。
「はぁ……んで、行くんだろお前ら」
「――はい!」
「――ええ」
アルファンの問いかけに、二人は肯定の意を示した。
そう。先日の一件を経て無事Aランクに昇格したクロムとルフランの二人は、この地を離れ、旅に出ることを決めたのだ。
これはもちろん二人の師であるアルファンとエルミアの後押しを受けてのことであり、彼らも旅に出て様々な経験を積むことこそ真の成長に繋がると言うのが共通認識として存在していた。
それに加えてクロムとルフランには人生を賭けて辿り着かなければならない場所がある。
かつての師と己が流派のルーツを求めて。
己の片割れたる姉と生まれ故郷を取り戻す術を求めて。
そのためにここまで積み上げてきたのだ。
「目的地はエルメネスだったよな。だったら一つ頼みを聞いてくれねえか」
「頼み、ですか?」
「ああ。おい、入ってこい」
アルファンがやや大きな声で呼びかけると、ドアが軽くノックされ、ドアが開いた。
入ってきたのは黄金の如き髪色を持つ、長身の美青年だった。
その腰には一振りの剣を携えており、只者ではない雰囲気を醸し出していた。
「げっ……アンタは……」
その顔を見て、ルフランが嫌なものを見たかのような苦々しい表情をした。
しかし男は意にも介さず、逆ににこやかと笑い返して見せた。
その笑顔を見てますますルフランの顔が引き攣っていくのがわかる。
「はじめまして、と言うべきかな。私はAランク冒険者の一人、レオーネ。以後よろしく頼むよ」
「クロムです。よろしくお願いします」
「…………」
爽やかに挨拶をされたので、どこか不審に思いながらもクロムは挨拶を返した。
一方のルフランは完全にダンマリだ。
「エルメネスへ行くんだったらレオーネも途中まで同行させてほしい。どうにもコイツの仲間が、パルメア王国とエルメネス王国を分断する魔境に行ったきり帰ってこないらしいんだ」
「……そうなんだ。たまたま私は別用で依頼からは外れていたのだが、その隙を突くかのようにこのようなことが起きてしまったんだ」
「なるほど……それは大変ですね」
「あの魔境はこの近辺の中でも特に危険地帯だ。お前らの実力を疑ってるわけじゃないが、念の為にもう一人Aランク冒険者を付ける。ついでだと思って手伝ってやってくれ」
「分かりました」
「悪いけど、よろしく頼むね」
「俺からは以上だ。あとは俺の手配した奴と合流して向かってくれ」
その言葉を皮切りに、この場は一旦解散となった。
本当はエルミアも付いて行くつもりだったらしいが、それでは過剰戦力すぎる上、彼女には別の仕事が控えているのでどちらにしろ不可能だったとのこと。
その後、こっそりルフランにレオーネのことについて尋ねてみると、彼女は心底嫌そうな顔をしながら口を開いた。
「昔色々あったのよ。そう、色々ね……」
おそらくはクロムと出会う前の苦い記憶なのだろう。
これ以上は話したくないと言うオーラが前面に出ていたので、クロムはこれ以上追求する事をやめた。
そしてギルドの入り口でしばらく待っていると、やがてクロムが見覚えのある、銀の仮面で顔を覆った人物が姿を現した。
「あなたは――」
「お待たせいたしました。レオーネ殿、クロム殿、ルフラン殿。この度救出任務に同行させていただくヘザードと申します。よろしくお願いいたします」
それはクロムが最初に受けた試験で戦った、重力魔法の使い手であるヘザードだった。
そしてヘザードはゆっくりと己の仮面に手を伸ばし、フードと共にゆっくりとそれを外してみせた。
「――えっ!?」
そして現れたのは、煌びやかな長い銀の髪を持つ美女だった。
声は女性寄りの中声だったのだが、背の高さや仮面の印象も相まって男性だと勘違いしていたクロムは驚きの声を上げた。
仏頂面で、落ち着いた蒼い瞳からは熱量をあまり感じないが、怒ってるわけではない。
「――これから旅路を共にするにあたって仮面をつけたままと言うのは失礼かと判断し外しましたが、戻した方がよろしいでしょうか」
「い、いえそんな事はありません! 仮面がない方が僕は喋りやすいと思います」
「ああ。あなたのような美女が顔を隠すなど勿体無い。是非そのままでいてほしいな」
「アンタねえ……」
仲間の危機だと言うのに調子づいて軽口を叩くレオーネに酷く冷めた視線を向けるルフラン。
確かになぜ顔を隠しているのかと疑問に思ったが、きっと何かしらの事情があるのだろうと思い言及するのは避けた。
一方でヘザードはレオーネに対しては視線すら向けずに、仮面を丁重にしまっていた。
(……なんかちょっと不安だけど、何はともあれこれで旅立ちの準備は整った。さあ、待っていてください師匠。僕はいつかきっと、あなたが示した"高み"へ辿り着いてみせます)
改めてそう心の中で誓い、これから向かうエルメネスの方角を眺めるクロムだった。
♢♢♢
クロム達が旅立ちを控え、準備をしている頃。
深い霧に包まれた森の中で、可愛らしい小さな鳴き声が木々の間に響いていた。
その主は、己の小さな体を必死に動かして、足下に寝転がる一人の少女を起こそうと試みていた。
「――んんっ。いったたたた……ここは……?」
その甲斐あって少女は目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。
それを見て、小さな翼を勢いよく羽ばたかせて喜びを示すと、少女は不思議そうにその体を観察し始める。
「……竜の子、ですか? どうしてこのようなところに……」
少女が不思議そうに呟くと、子竜はゆっくりと少女の膝の上に着地した。
それが人間よりもはるかに強く恐ろしい生物の子どもである事を忘れてしまうほどの愛らしい見た目を前に、少女はついついその頭を撫でてしまう。
それを受けて嬉しそうに声を上げる子竜。
少女はその体をゆっくりと抱き上げ、立ち上がった。
「いったいどこの子なんでしょう……って、それどころじゃなかったです! わたくしは確かあの時――そうだ。彼は一体どこへ行ってしまったのでしょう」
周囲を見渡しても、深い霧のせいで全く状況が掴めない。
近くにはこの子竜以外の生物も見当たらず、音もほとんど聞こえてこない。
自分は一体どこへ来てしまったのだろうと疑問を抱きながらも、このままここでぼーっとしているわけにはいかないと判断し、この場を離れる事にした。
「……あなたも付いてきますか?」
少女がそう問いかけると、子竜はまたも翼を羽ばたかせて肯定の声を上げた。
それを見た少女は小さく笑うと、ではいきましょうかとゆっくり歩き出した。
幸いな事にこの小さな同行者のおかげで、不安や心細さは少し薄れそうだ。
こうして一人と一匹の当てのない旅が始まった。
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