32話 贈り物
「むむむぅ……出ろっ! まほー出ろっ!」
そよ風に木の葉が揺らぐ春の森。
間も無く日が落ちようとしている中、赤毛の少女が一人、小さな杖を精一杯握りしめて魔の法をなさんとしていた。
しかし結果はまるでダメ。
その杖先からは小さな火種一つ発生することはなかった。
「あっ、こんなところにいた。ルフラン。もう少しでご飯だよ」
「フェルマ……」
「――もしかして魔法の練習中だった?」
「……うん」
バツが悪そうに頬を掻くルフランの姿を見て、今日も上手くいかなかったんだなとフェルマは悟った。
不思議なことに、ルフランは自身と同じく莫大な魔力を生まれ持ったはずなのに、なぜか魔法の一切を発動させることができない。
フェルマとしても自分が魔法を使ってみせたときのルフランの羨望と悲哀が混ざった眼差しを見るのが辛かった。
「ねぇフェルマ。どうしてあたしは魔法を使えないんだろ。魔力はあるんでしょ? でも魔法はさっぱり。なんでなんだろ……」
「それは……」
それは妹の口から幾度となく聞いた言葉。
フェルマはその問いに対する答えを持ち合わせていなかった。
「――なんてね! いいの! あたしには魔法が使えなくたって、あたしのことを守ってくれるお姉ちゃんがいるから! ね、フェルマ!」
「えっ、ああ、うん。そうだね……どんな時でもルフランのことはわたしが護るから」
「ありがと! さ、かえろっ! ごはんごはん!」
精一杯の笑顔を作って、振り返るルフラン。
ああ、そんな顔しないで。あなたにそんな表情は似合わない。
花は自然に咲くからこそ美しいの。枯れた花に魔法をかけたって本来の美しさには及ばない。
「ねえっ! ルフラン!」
「……? なぁに? フェルマ」
「今日はあなたの大好きなシチューを作ったの! 楽しみにしてて!」
「……うんっ!」
今のフェルマにできることはこれくらいだった。
慰めの言葉が意味をなさないことを知っている。励ましの言葉だってわたしにはきっと言われたくないだろう。
だから、これでいいのだ。
「あっ、おばーちゃん! こんにちは!」
「あらこんにちは。ルフランちゃん。フェルマちゃん」
「こんにちは。メーザさん」
町に帰ると、二人の姉妹に声をかける老婆がいた。
杖をつき、すっかり腰が丸くなってしまったが、二人を見つめる温和な眼差しは変わらぬままだった。
「相変わらず仲がいいわねえ。どんな時でも姉妹仲良く。感心感心」
「えへへっ、そうでしょ!」
「…………」
楽しそうに談笑する二人。
しかしフェルマには一つ、見過ごせない気になるところがあった。
それは彼女の頬に浮かび上がった不自然に白いアザだった。
「メーザさん。その頬のアザ……」
「ああ、これかい? なんか最近になってできちゃったのよねえ……ま、別に痛くもなんともないから気にしちゃいないけどね」
「だいじょーぶ?」
「ああ、大丈夫さ。他にも何個かできちまったけどこの通りピンピンしとるさ」
「――――ッッ!!」
「……? どうしたの?」
「――ううん、なんでもない。それじゃあメーザさん、わたしたちはこれで。さ、帰ろうルフラン」
「ええ。さようなら」
フェルマはやや強引にルフランを連れて家路に着いた。
メーザはその様子を微笑ましそうに見つめていた。
「……ねぇ、ルフラン。手、つなご」
「えっ? もう少しで家に着くのに?」
「……うん。おねがい」
「……? わかった!」
フェルマの突然な誘いに困惑するも、特に断る理由がなかったのでルフランはそれに応じ、フェルマの手を握った。
氷を扱う魔法使いであるフェルマの手は真っ白で少し冷たかったが、ルフランはこの感触が好きだった。
そしてフェルマもルフランの手が触れると、決して離さないと言わんばかりに優しく強く握り返した。
♢♢♢
「フェルマ。どうしてなの……?」
そこはいつもルフランが修行場として使っている空き地。
大木を背に膝を抱えて座る赤髪の少女――ルフランは、遠く離れた存在になってしまった姉のことを思い出していた。
何を思い出しても、頭に浮かんでくるのは楽しい記憶ばかり。
フェルマはいつだって自分の味方だったし、町や家族のことを愛した優しい姉だった。
でも、それより先――あの地獄の日に至るまでの記憶には何やらぽっかり穴が空いているような気がしてならない。
どんな生活をして、どんな出来事があったのかはぼんやりと思い浮かぶけれど、その記憶に深く触れようとすると何故かモヤがかかったようにあやふやになる。
(……あたしは一体、何を忘れているの? あたしはフェルマのこと、本当は何も知らないのかな……?)
これまではあの惨劇を引き起こした犯罪者のフェルマが許せなくて、怒りに身を任せてフェルマに当たることしか考えてこなかったけれど。
あの優しい姉が変貌したのには必ず何か理由があるはずなのだ。
一度対峙してみて、それからこうして冷静になって考えてみると、色々と考えてしまう。
今にして考えてみれば、フェルマは露骨なまでにルフランに興味を示さないどころか、突き放そうとしていたようにすら思えてくる。
「……本当にもう、戻れないのかな」
幸せいっぱいの日常はもう、帰ってこない。
生き残ったたった一人の家族である姉は遥か遠くへ行ってしまった。
精一杯、自分の方を向けとアピールしても、彼女はその顔を隠すフードを脱ごうとすらしなかった。
孤独。どうしようもない寂しさと、虚しさと、悲しさが胸に穴を開ける。
それを埋めるためにはもう、フェルマへの怒りを燃やし続けるしかないのだ。
「…………」
水滴が頬を濡らした。
これはきっと、降り始めたばかりの小雨のせいだ。
今日はもう、帰ろう。そう思っていたら――
「――いたっ! ルフラン!」
「えっ……クロム……?」
彼と別れたのは1週間ほど前のこと。
邪魔をしては悪いと思いこうして一人で修行をしつつ、己の中の気持ちに整理をつけようとしていた。
だが今日も結局納得のいく答えは出ずに帰ろうとしていた矢先に、パートナーの少年は息を切らしながらやってきた。
「はぁ、はぁ……良かった! 間に合った!」
「どうしてこんなところに……」
「エルミアさんが教えてくれたんです! この時間ならここにルフランがいるかもって!」
そう言われてふと思い出す。
あの日、一人で修行をしていた中エルミアに声をかけられたのはこの場所だったなと。
そしてクロムは布に被せてあった何かを自慢げにルフランに見せつけた。
「……それってもしかして」
「――はいっ! できました! ルフランの杖!」
自信満々に布を取り出すと、一振りの小さな杖が姿を現した。
先端に練魂石があてがわれた木製の杖。
シンプルながら洗練されたフォルムには芸術的な美しさすら覚え、何より先端の練魂石には強く目を奪われた。
「名付けるならソウル・グリード――ってエルミアさんが言ってました!」
ソウル・グリード。
それは己の魂の力を引き出し、奪い取り、魔法に乗せて放つことができる革新的な杖だ。
使い手が強くなればなるほどその輝きを増す、未来ある魔法使いに相応しい逸品。
ルフランがその杖を手にとると、その異質さと重さに戦慄した。
「――すごいわね、これ」
「やっぱりそうなんですね! その、僕は魔力が全くないのであまり凄さは感じられなかったんですけど――」
エルミアは相当良いものが出来たと自慢げに言っていたことを伝えると、ルフランはそれに納得して杖を撫でた。
この杖とならば、もっと自分は強くなれるかもしれない。
そう思わせてしまうくらい、魅力的な杖だった。
しかし……
「ありがと、クロム。でもあたしがこんなに良い杖もらっちゃって良いのかな――」
「あっ、待ってください! これだけじゃないんです! もう一つ――えっとこれこれ! これも受け取ってください」
ルフランの声を遮るように、クロムが懐から何かを取り出した。
そしてそれを半ば強引にフェルマに握らせた。
手を開いてみるとそこには、
「……指輪?」
「はい!」
それはやや歪な形をしているが、練魂石を用いて作られた指輪だった。
淡い紫に輝くそれは、他の宝石にも勝るとも劣らない美しさだ。
そしてクロムはまたも自慢げにもう一つの指輪を指で挟んでルフランに見せつけた。
「これって……」
「練魂石が余ったので作ってみたんです。エルミアさんにお願いして、魔力を込めると自動で防御結界を張る術式を組んでもらいました。残念ながら僕には扱えないんですけど、せっかくなのでお揃いで!」
「お揃いって……ええっ……?」
満面の笑みを浮かべながら力説するクロムに、困惑の表情を隠せないルフラン。
「あっ……もしかしてお揃いは嫌でしたか……?」
「う、うぅん。そんなことはない、けど。これって、クロムが作ってくれたの……?」
「えへへ……エルミアさんの知り合いの人に教えてもらいながら作ってみました! ちょっと形は歪になっちゃったけど……」
「そんな……」
軽々と言っているが、そんな簡単に作れるようなものではないだろう。
どうして自分のためにそこまでしてくれるのか。
ルフランには理由が分からなかった。
だがクロムはその考えすらお見通しと言った様子で語り出した。
「……実は僕、ずっとルフランとお揃いの何かが欲しかったんです。これまでもこれからも、ずっと仲間だよって証が欲しくて。やっぱり形あるもので残しておく方が、安心できるじゃないですか」
「クロム……」
「ルフランは……冒険者ギルドで右も左も分からない僕を誘ってくれた。なんの価値もないと思ってた僕のことを対等な仲間として扱ってくれた、たった一人の大切な人なんです」
エルミアはあくまでクロムのことを保護対象としてみているだろう。
アルファンはあくまで弟子としてクロムを扱っている。
そんな中、ルフランだけは唯一対等に、まっすぐ自分を見てくれている存在だった。
初めて出来た仲間――いや、友達と言うべきか。
それがクロムにとっては何にも変え難い宝物で、これまでずっと欲しくてたまらなかったものだったのだ。
「だから、受け取ってくれませんか。僕たちの友情の証。これからも隣で戦ってほしいと言う僕の思い」
「――――っ!」
よくもまあそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるものだと、逆にルフランが顔を赤くしてしまったが、改めてクロムの目を見てみると、どう見ても真剣そのものの眼差しだった。
嘘偽りのない、純粋な気持ち。
まっすぐ、曇りなき言葉で彼は伝えてきた。
(……何が孤独よ。バカみたい。いるじゃない。こんなにすぐそばに、あたしのことを必要としてくれる大切な人が)
家族はいなくても、自分の必要とする友がいる。
それだけで十分ではないか。
勝手に広げた心の穴が、たった一人の小さな少年の言葉でこんなにも簡単に埋まっていく。
「……うん、もらうわ。ありがとう」
素直にそう一言、礼を言って、指輪を嵌めたルフランだった。
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