芽生え
俺は、どっちかっていうと、一人で何かする方が落ち着くタイプだ。幸いにも、この放射能がありふれた世界では、人との接触は重度の被曝の危険があるために孤立することは予防という面でも優れていると思われる。
実に単純な公式である。一人ならば必要な物資は一人分。奪われる恐怖も生活圏を侵される危険もない。しかし、世間体的に見てどうだろう?一人でいるというのは、特に日本においては異端扱いされる。本人は全然問題に思っていないのに教室で一人でいることは、寂しく、暗いことであると決めつけられるのだ。
確かに俺は教室では一人でいるのが好きなタイプだったが、寂しいだとか、一人だと心配になるようなことは一度もなかった。確かに、一人でできることの限界については認めざるを得ないが、誰かの腕に捕まって濁流に揉まれるよりも、震える自分の足で立つ方がよほど確実なのではないか。
多くの場合、人間は一人で生まれて一人で死んでいくしかない生物なのだから。
即ち、困難に直面したならばできるだけ一人で対処する他はないのだ。例えレベルが低くても、中ボスくらいには立ち向かうという気概が必要なのである。
ホウレン草の芽がなかなか出てこない。これは大変な困難だった。
いや、わかってる。すぐに芽はでない。でも直ぐにでも結果がほしい。
ホウレン草には人が必要とする栄養素があって、これをとらないことには栄養失調で身体がおかしくなる。
この栄養不足を補う方法を俺は知っている。
人が生きるのに必要な栄養素は同じ人を食べることで補うことができるのだ。この共食いともいうべき行為は、人類の歴史ではありふれていて、時折事故等ではこれが行われる。
これが、放射能がありふれた世界では起きる可能性が高いと考える。なぜならば、人は騙されやすく脆い。育てるのは大変だが、老人を殺して食べるのは容易いだろう。
特に、俺のような人と群れることを好まない種族は襲いやすい。
だから必死に食料生産を行うのだった。自分が人を襲わないでいいように、そしてできれば、回りの人も人を食べないでいいように。始めてやったからできるかとても心配だった。室内での栽培は水捌けの関係で外とは状況が全然違うし、どうしても日照時間がみじかくなった。
それでも、それでも、汚染されていない(完璧などではないが)食料を手に入れる必要があった。
気休めで地面へ鈴なりに栄養薬を打ち込んで、あとは祈るしかなかった。
もう、びっちり、気持ち悪いほどちっちゃな子供たちが頭を出して、皆で競争して、少しでも少しでもと背を伸ばしていた。背中合わせお腹あわせでびっちりと。芽が出たのだった。
普通、種まきの時は生えない種があるのでそれを見越して多目に撒く。今回もそうだった。これを大事に選り分けて小さな個体はプランターで、大きな個体はこのままで育てることにした。
植物には成長するのにはスペースが必要で、葉が横の葉を隠し成長を阻害してしまうことがあった。そのため間引いて、ちっちゃい子や細い子はプランターごと日当たりの良さそうなところに移動して伸び伸びと生きてもらう。
願わくばこのまま無事に大きく育ち、大きな実りとなりますように。