何ができるの?
この家には不満があった。
自宅から母屋の畑まで行き来するのにどうしても外を歩かねばならず、その度に厳重なガスマスクとゴワゴワする防護服を着なくちゃならないのだった。宇宙飛行士みたいだ。外にあるのは未知の希望でも何でもなくありふれた光景なのだが。
我が家には、放射線がシャワーみたいに降り注いでいた。木製の箱の中にアルコールで浸した脱脂綿を起き、気化したアルコールに放射線を当てると、冬の畑に霜柱のように無数の針が飛び交っていた。この弾丸一つ一つが壁を貫通し、服を貫通し、皮膚を貫通し、骨を貫通し、反対側へと飛び出すのだ。目には見えず匂いもない。ただ確実に遺伝子を破壊し生き物を死に至らしめる毒なのだった。
気がおかしくなりそうである。
このままだとあぶない。
パソコンの前に滑り込むように陣取って、起動に3分もかかってCAD立ち上げ、直ぐに設計を始めた。特殊な出自をしているので、俺はCADが使えるのだった。それがなにかと言うと、パソコンで設計図を書けるソフトのことである。10年以上の型落ちpcでは荷が重かろう。しかし、書かねばならなかった。
現状を打開しなければならない。
材料は鉄パイプとビニールシートを想定し、家から母屋までの経路を作る。こぎみよくトラス構造を用いた必要以上に頑丈な骨組みに、分厚いシートをかけて、あっという間に二時間が経過した。
強度計算と長年の勘の上で何ら問題ない。が、命がかかっていると分かると慎重になる。むしろ、心配になって自分を疑う。なにしろ、俺はレベルが低いのだった。最低限の人間なのである。自分で言うのもなんだがな、友達すら関係を維持できないでいた。
年収や学歴を自慢げに話す人がいるが、俺に言わせれば世界が違うお話だ。そもそも友達と呼べる人間も一人しかおらず、惚れた女性にも気持ちをうまく伝えられないのが俺だ。
あんまり良いものを持っていない。とくに日本では顔が良くないと相手にしてもらえない。俺はずっとそのような環境で生きてきた。
それはどんなに幸せなことだったのだろうか。少なくとも中性子もγ線も飛んでいないのだから恵まれている。
俺は、農業と、設計と、その二つの軸でなんとか人生を回している。メリーゴーランドみたいに、回りはするが前に進むことはなく、ずっとここに杭を打たれて立ちすくんでしまっている。
あるものと言えば、どこまでも続くような地平線と降り注ぐ日光ぐらいの物で、あとは、街道沿いにラブホが立ち並んでいる。
現実を見ようか。かつて世界では放射線に関する研究が盛んに行われていた。文字通り未来のクリーンなエネルギーであった核は皆が受け入れる研究材料だったのだ。だが、核が生き物の遺伝子を破壊することが分かった。生き物は遺伝子という設計図を元にして古い細胞を新しい細胞に置き換えて生きている。その設計図が壊れ、散り散りになり、また、本来は別なもの同士がくっつくとどうなるか。
それはとても恐ろしいことなのだ。
とても残酷で悲しいことであるが、実際に作業員が被曝する事故が日本でも起きた。
その結果、ただしく組み立てられるはずの肉体が生き場所を失って、人ではない何かへと変わり果てていくなか必死で生きなければならなかった運命を背負った人がいた。
悲しいことだ。人々が望んだ皆が豊かで安く、充実した生活の裏には必ずといっていいほど暗い過去がある。
その世界でどう生きようか、という話なのだ。
人生には一度しか経験できないことも沢山ある。あとからいくら金を積んでも買えない経験はいくらでもあるのに、こんな核まみれの世界で自殺なんてしたら勿体無い!
せこせこと通路作りながら俺はほんのちょっぴり前に進む。
核の夕焼けは嫌に赤くて目に染みる。明日もよく晴れそうである。
農作業のやりすぎで関節に針でも差し込まれたようなぎこちなさで、煎餅布団に体を捩じ込み次の朝が来るのを願って目を閉じた。
日間1位です!!ありがとうです!!私は噛みつかないので、感想とか送っても大丈夫ですよ。でもあんまり面白いこと言えませんので悪しからず。