預言者
畑仕事は俺にぴったりだ。草取りは、なにも考えなくて良いし、手を掛ければそれだけ答えてくれる。嫌なことと言えば腰が痛いことか。田舎の爺さん婆さんが腰が曲がっているように、俺も将来立派な腰曲がり爺さんになるだろう。それも良かった。
芽吹いた若葉の上へ、ガラス玉のような朝露が溜まるように、未来の備蓄が増えることを考えると気分が良かった。
未来を考えるというのは、余裕があると言うことなのだろうな。今日のご飯を心配しなくても良いということだ。
そんなことを考えていると、急にクラクションをならされたので急いで外に出た。車が三台も家の庭に停まっていて、怖そうなお兄さんがチャラチャラと鎖を握っているのが目に飛び込んできた。
怖い。道の真ん中だけを歩いてきたような生き方をしていらっしゃる。俺とは違う人種だ。嫌いなタイプだ。
「な、なんですか、あなたたち」
「おう!なんか食い物出せや。きったねぇ家だな。茶のひとつもでないのか」
「このようなご時世ですから」
「こんなときこそ茶を出せよ」
非常に威張ったリーダーらしき男がふんぞり返って俺の休憩用の椅子に勝手に腰かけていた。冗談みたいに部下が二人もいる。
猿山の大将みたいだな。誠に残念なことに、この日本ではヤンキーという人種がいて、簡単に言ってしまえば、学校のクラスについていけなかった人種だ。彼らは総じて攻撃的な言動をとる。そうならざるを得なかった理由は、少年院に入っている人間の多くが、ケーキを切れないことにも現れている。知能が低いのだ。勉強をしていないために学力が低いのではなく、この社会でやっていけるほどの知能がない。だから気の弱い連中から金を巻き上げて生きるしか道のない人間なのだ。だからこそ、自分の利益を確保するために暴力という手段をとった。これを他害という。他者との関係を切って悠々自適に生活するだけの経済力も勇気も彼らにはなかったのだ。
見方を変えれば、社会が『正常』とする枠組みが年々狭まっていることにも理由があるが、彼らが攻撃的になるのはまた別の理由。
わずかな時間も惜しいのか、ずっと貧乏揺すりをしてチラチラ視線を投げてくる様は、その傾向が顕著に表れている。他者および環境に対する威嚇。威嚇すればすべてがうまくいくと信じている。自分がイライラするのは周りが悪く、それを改善してもらえないのは周りが悪いからだ、と普通に考える思考回路を持ち合わせた生き物。これが同じ人間なのだということが信じられない。彼らは知能が絶望的に低いのだ。
ヤンキーだ。やっぱり嫌いな人種。ウジ虫。この社会に対する寄生虫だ。どうする? 警察呼ぶか? 来るのに15分以上かかるぞ?
ヤンキーは怒鳴れば人がいうことを聞くと思っているタイプだ。今までそれで生きてきてしまったがゆえに、それ以外の生き方を知らず、そして口以上に、人を殴ったことも殴られたこともないというのが実情である。
彼らが乗ってきた車には大量の缶詰やカップ麺が段ボール箱のまま座席まで積み上げられていて、ここに来るまで各駅停車で家を襲ってきたらしかった。もしかしたらお店も被害にあっているかもしれない。
こういう生き方は、よくない。人間の膿だ。強いて何か悪いというならば、社会が悪いのだ。この社会には彼らが安心できる居場所がなく、こう生きるほかにはなかった。
問題なのは、そういう人間が生きるために、無理を強いられる人間がいるということだった。
「それとなぁ、お前のマスク寄越せ」
ほら、ね? 冷たい薄氷でできたナイフが胸に差し入れられるような気分だ。
学校を思い出す。俺が行っていた学校でも、暴力とカツアゲが横行し、先生たちはなぜか、その落ちこぼれが可愛くて仕方なかったようだった。
全く、全く持って気にくわん!
「食い物だすか。それとも痛い目を見るか」
見せつけるようにチャラチャラと鎖を手のなかでもてあそぶ。あれが武器ということだろうか。鞭みたいに振り回すのか?
過去の自分であれば、言うことを聞いた。
痛いのは嫌だし、この日本では暴力を振るった方が悪いという法律がある。自衛のために暴力を使うことすら、裁判で身の潔白を証明する必要がある。
なんという国家。なんという法律。この日本では犯罪者の方が有利なのである。
こうなった以上、立ち向かわねばならない。
なぜクラスで苛められている人は固定されているのか、何故不良はその人に固執するのか。
それは、反撃してこないサンドバッグという認識をしているからである。
そうならないためには、立ち上がらなければならない。最初が肝心である。噛みつくネコは撫でられない。そう教え込む必要があるのだ。
なにしろ彼らは知能が低いので、話しても話にならない。ならば、もっと原始的で、肉体的な言語に頼るしかない。
つまりは、暴力である。
相手はバカなので暴力を振るうが(知能が低いなどとオブラートに包んでいたが、結局はバカなのだ)俺はわざわざ相手が分かりやすいように同じ土俵に降りてきて、懇切丁寧にまわしを取る他にはないのだ。
日本語を理解しない外国人に日本語で注意しても理解されないように、暴力には暴力で対応するしかないのだ。
「俺は……殴りたくなんか無い。でもしょうがないんだ」
キョトンとした男三人の顔があった。
「おま、え? たかが農家だろ……? 一人で俺達と戦って勝てると思ってるのか?」
まず、まずだ。彼は俺が何を持っているか分かっていない。俺の手にはスコップが握られている。
両手で使うやつだ。
第一次世界大戦では突撃時に敵の頭を叩き割るために使われた武器となっている。くくりがちがう。相手が持つのは鎖である。アレでどう攻撃するというのだ。
単純に俺の方が武器が強い。
武器を持つ手が震える。だが、立ち向かわなければ殺されるのはこちらだ。馬鹿を見るのはこちらなのだ。自由は奪われ、一生コイツらの奴隷として生きるか。それとも戦って死ぬかだ。
立て!俺の足よ!一歩踏み出せ!
まことに、一歩が重かった。いつもと違って体が鉛のように重たい。人を殺すという行為への拒絶。殺されるかもしれないという根元的な恐怖。それが俺を竦ませた。
「バカどもが!!」と、俺は必死に声を張り上げるしかない。
男はビクゥ!、となって目を真ん丸にした。
その隙に、上段の構えにスコップを振り上げて、全力疾走し、たっぷり間合いをつめて振り下ろした。
「ちょ!!ちょっと待てよ!」
パッカン、というこぎみよい音と共に男が体ごとひっくり返って地面に転がる。脱力しきった顔が、脳との接続が切れたことを物語っていた。
手がじーんとした。
振り抜いてしまった。
脳震盪を起こした場合、まだ息を吹き返す可能性がある。頭にもう一度振り下ろす。残念だが俺は運動レベルは低い。だから手抜きが出来ない。そして男の喉に手を当てると、脈がなかった。心臓停止!やった!
心臓はポンプ。新鮮な血液を体全体に行き渡らせる。つまりそれが止まれば体は死ぬ。AEDでもあれば……とも思うが、ここは糞田舎で一番近くのコンビニまでたっぷり車で10分かかる。間に合わない。このとき脳への障害が残ることがほぼ確定した。
相手は複数人、私有地に不法侵入して武器を所持し、こちらに恫喝。『農家殺すぞコラァ!』って言ってた。正当防衛だよ正当防衛。よし。大丈夫だ。裁判でも優位に立てる。
「あれ?」
彼の仲間が彼をおいて逃げ出すのをみた。逃げるのか。随分なことじゃないか。
思いきり走れば追い付ける距離感。相手はあわてふためいていて、今にも転びそう。
全力で追いかけちゃった。
息が上がって汗がところ構わず吹き出す。体の筋肉がほぐれて血の巡りがよくなって、まるで、まるでそう、背中に翼があるみたいに気持ちよかった。
大人になってこんなに走ったのはいつぶりか!? 走ったこと無かったんじゃない?人間は走れるように作られていると思う。
たまたま、逃げる男たちは家の前の竹藪に入って、たまたまわそこは我が家の敷地で、たまたま先日手入れをしたばかり。斜めに切られた切り株がちょうど竹槍みたいに空をついていた。
いい子の皆。竹藪に走って入っちゃいけない。刺さるかもしれないからね。いやほんとに。
特になにもしていないが、蛇のように地面から顔を出した竹の根っこに足をかけられ受け身を取らずに転倒。強かに頭を打ち付けて、その地面には切ったばかりの竹が空を向いていた。
竹は非常に硬い。時にそれは鉄製の鋸を押し返すほどであるので、人の頭など一溜りもなく貫通した。もう、一目見て即死と分かる状況だ。
ふと、道行く老婆がにっこり笑ってグーサインを作り、肩で息をする俺を見ていた。
老婆の目の回りには、真新しいアザがあって痛々しい。殴られたらしかった。
死んだ男の車からカップラーメン一箱をあげたら、羊羮もほしいというので、ついでにバームクーヘンも一袋あげたら喜んでくれた。
「あなたヒーローね。名前なんての?」
「農家です」
「そう。農家さん。死んじゃダメよ。きっとこれから貴方はもっと幸せになるわ」
あんなに笑った人、久しぶりに見た。予言者かも。