おねがい
この世界は残酷で、常に運命という獣は人の命を刈り取ることに専念しているようだった。
「玲子さん、聞いてください。バカが無線を垂れ流しています」
「無線?」
猟師が連絡用に使っていた海外製、極悪非道な、電波法を無視した子機で遊んでいるときに拾ったその電波はやはり、周波数帯を逸脱した強い通信だった。
本来それらは、緊急使用が必要とされる、消防、自衛隊に割り振られるはずだったが、個人のくだらない世間話が流れていたために農家は顔をしかめた。
まるで、上等なスーツに皺がよるのを嫌うように玲子さんが顔のシワを指で伸ばすが、農家はそれどころではなかった。
通信の相手は、傍受されていることも知らず、12人が病気で苦しんでいること、食料がもうすぐなくなること、自分達の居場所までご丁寧に説明していた。
「どうにもあやしい。こいつらはバカなのか、あるいは、常識が無いのかもしれない」
この、核汚染された状況で、自らの本当の位置を伝えるほど愚かな行為はない。まして、強力な武器もなく、受け身の、なんとかなったら良いな程度の考えを持つ人間が、生き残る手段として最低の行為をとっていることを疑問に思った。
「見に行って見ようと思います」
農家は手短に装備品を担いでチョコバーを握った。
敵の罠だとするならば、どの程度の武力を持っているのか事前に調査する必要があった。
それによって逃げるのか、あるいは、戦うのかを決めなければならない。
「アハハ!」
頭の後ろから玲子さんの高笑いが聞こえてきた。
「ネコチャン、また一人で行動しようとしているね? だけど、私をおいてどこかに行こうというのが、間違いであると理解できない脳みそなのかな?」
彼女が混じったコウモリは空を飛ぶ生き物であるため、体は丈夫ではない。むしろ、重力や風に逆らって飛ぶために体は限界まで削り落とされ、骨もスカスカである。だが、彼女にはほんのささいな音の乱れすら読み取ることのできる特殊な耳があった。
自信たっぷりに一人で行動しようとしていた農家の、もふもふとした胸に、翼竜のような皮膜をもった黒い手が延びた。
「いま、心臓が早くなったね」
ビクッと触れられた銀白色の体が跳ねる。
「触らないでください!」
言葉に驚いたように手が離れる。
農家も自分で驚くほど大きな声を出していた。その声は扉の向こう、外にいる黒い虫溜まりにも如実に反応を与えた。
仲間がいるときは弱音を吐いてはいけない。自分がどんなに苦しく、お手上げな状況でもそれを口にすれば、相手はかならず潰れてしまう。
農家は繕った優しい笑顔で、玲子さんの手をとった。人のそれとは異なる手で、短い指に、ピンク色の肉球のある、一部の人からすればたまらない姿のそれである。
しかしそれは、猫科目に当てはめれば可愛いものではない。ライオンよりも一回り大きなそれは、肉球を押されることで、湾曲したナイフのような巨大な爪が見え隠れするものなのだ。
細く長い腕と、アスリートのように引き締まった足。何かの冗談かと聞いてしまいそうな、全身を覆った短い毛並み。その筋肉は躍動するためにわずかに震え、熱を持っていた。
その手に触れながら、玲子さんはまっすぐな瞳から目をそらし、部屋の隅をチラチラと見ていた。
その姿はまるで、アイドルに会った少女のようである。
思いがけず、近づかれ、あまつさえ手を握られたことを彼女は一晩の思いでとしてずっと生きる覚悟だった。
「残ってくれますか?」
「ネコチャンは、ずるい」
言いながら玲子さんは、部屋の隅っこの方に丸まって布団を被った。
「行ってきます」




