変質がはじまる
敵に馬乗りになるために飛び付いたとき、敵だと思っていた生き物から「ネコチャン!?」という声が上がった。
ちょっと冷静になった。
なぜこの部屋からは玲子さんとオルチャンの匂いしかしないのか。なぜ、それは、変な発音で猫ちゃんというのか。彼女のその発音は独特で、語尾が上がっているためにネコチャンと聞こえるのだ。
あまりにも単純。自分がそうであったように、彼女も変質を遂げていたのだ。敵など最初からいなかった。
理由は恐らく、遺伝子が破壊されたことによって自己修復する際に、元々くっついてはいけなかった物がくっついて、あるいはちぎれて別の何かに変わってしまう現象が起きた事。
多くの人は体を作る設計図を失って真っ赤な肉だるまと成り果てるが、彼女や俺の場合は違った。おそらく、遺伝子の修復時、まわりにあった遺伝情報も取り込んでしまったのだろう。
俺の場合は猫と同居していた。猫がいれば部屋中は毛だらけである。当然毛にも遺伝情報は含まれているだろう。
真っ黒だった。
農家の説明に対し、毛布を被った玲子さんは頷いた。ガクガクとした素早い首の動きは、何か体に大きな異常をきたしているものと思われたが彼女は肌を見せない。
「虫君っていたでしょう? 彼もきっと元は人間だったのです。恐らく彼は寄生虫と混じった。俺は猫と混じりこの状態」
はぁ。と生ぬるいため息が玲子さんから発せられた。
「私、もう、ダメかもしれない。ネコチャンが羨ましい。運命が憎い。なんで私はそうじゃないの?」
「いや、望んでこうなる人もいないでしょう。俺だって日本狼とかの遺伝情報がよかった」
言いながら、農家は自分の髪の毛を指ですいた。
「この姿は人目につきすぎます。あ、そうそう、虫君はすっかり復活して、今建物の外にいますよ。彼は丈夫です」
少なくとも、人に寄生する虫がいる建物を襲う人間はいない。誰だってそういう汚いのは嫌だ。
そうだ。だから彼は俺が羨ましいのだろう。
こっちの気も知らないで贅沢なやつである。
「勇気をもって下さい。玲子さんの今の姿を綺麗だっていってくれる人もいと思いますよ」
「綺麗? じゃあ、私と結婚してくれますか?」
それまで全然元気がなかったのに、玲子さんは急に声を張り上げて食って掛かった。
「まだ姿を見てないのに、結婚するもなにも決められないでしょう? まずは出てきてください」
まったくもって、長い長い沈黙の中を、オルチャンだけが、よだれを溢しながらワフワフと通っていった。
「ネコチャン、あのね? この建物のなかに、コウモリがいたの」
ああ、と農家は思わず言葉を漏らした。コウモリはどこにでもいる。
夜中の空を飛んでいるためにその姿を見るのは希だが、日中は人の来ない潰れた納屋や、軒下に潜んで夜になるのを待っている。
「そ、そうですか。いや、ビックリだな」
今回の変質が、もし、麦と同じ事ならば、それは彼女のこれからの人生を決めるものとなる。幼い麦は人に踏みつけられることで、風や病気に負けない丈夫な麦へと育つ。が、しかし、もとに戻ることはない。破壊された細胞が修復される際に変質するからそうなるのだが、おそらく、放射能に犯されてこうなった我々も、もうもとに戻ることは無いのだろう、と思った。
「私の体を見てもどうか、悲鳴をあげないでください……あなただけには見せますから……」




