変異
その日の夜、背筋がぞくぞくとして、分厚い冬用の羽毛布団のなかでも寒く感じた。キャンプ用の-20度まで耐えられる、みのむし型の寝袋を引っ張り出してきて眠りにつく。
おかしな事に、それでもまだ寒くて、ファンヒーターを設定温度27度でかけ、寝袋の上からジャンパーをかけて眠った。
夜中の2時くらいに寒くて起きる。毛布を取ろうと思って立ち上がると頭から毛が抜けた。
ごっそり、なん十本も。指ですくと、手にタワシを持っているかのように大量に毛が抜けた。
体の寒気、急激な脱毛。考えられるのは、被爆による影響だった。というか、間違いなくそれ。
ワンコが心配そうに頭の回りをぐるぐると回るがそれすらうるさい。頭を万力で挟まれているような激痛のなか、なんとか目を閉じる。
2日目。寝袋から出れない。だるい。食べてないのに吐いた。トイレに行けず……。
3日目
どうやらここまでらしい。ガスマスクやタイベックは内部被爆からは守ってくれても、直接ほうしゃせんでやられたさいぼうはへんか?へんいを始めたらしい。くさり始めた。
いっかげつちょっと、だった。
あのひから。
あのひってなんだっけ。
?日目。
埃だらけの部屋のなかで目を覚ました。
窓は割れ、そこらじゅう、鳥の羽が散らばっていて、鳩の真っ白な綿毛が風に乗ってくるくると舞っている。
天井近くには蜘蛛の巣が幾重にも重なっていた。
心配をしていた被爆のことだったが、どうやら波は越えたらしい。
分からないことばかりだ。なにしろ、人類の大多数が晒されたことのない高い放射線の環境下で、体は完全に拒絶反応を示したようだった。
アレルギーよりも腹出して寝て下したみたいだった。死ぬかと思った。
寒気が収まってよほど暑かったのか、寝袋のなかには脱ぎ散らかした服や下着の感触が足先にあった。
どれくらい寝ていたのだろうか。お腹へった。それに前髪がうっとうしい。
俺には、元々体質的におでこから一本長い白髪が生えているのだが、それが目に入ったようで鬱陶しく思った。
洗面所に行くまでに足元にあったコーヒーのビンと、ビーフジャーキーの袋を蹴飛ばして、脱ぎ散らかした服の山を跨ぐといつもの水道がある。
取っ手を捻っても水がでなくなっていた。水道がとまったらしい。
寝ぼけ眼の目を擦って右へ左へ蛇口を捻っていると、なにか変な事に気がついた。
蛇口を動かしているのは俺の手じゃない。いや、確かに、俺の意思で動いているのだが、いつもの手よりもずっと骨っぽく、爪が長い。そして何よりも、薄い青色の体毛に覆われていた。
良くできた夢だ。
左手で親指の付け根をなぞると、そのびっちりと獣のように生えた毛は、短毛の猫のようになめっこく、毛の根本の方はグレーなことが分かった。
ん?
いつも綺麗にしているはずの鏡がいやに汚れきったその中に、見慣れぬ人の姿があった。
思わずビクッとすると、鏡のなかでも同じように人影は動く。
特に目立つのは、真っ白な髪の毛で、肩どころか腰の辺りまで覆っていた。
顔はまるで部族のペイントみたいに薄青の毛にタンの砂漠色みたいな毛が波打っており不気味だ。その顔で光るのは二つの大きな目。ガラス玉に曇り空がうつったような灰色だった。
妙に痩せている。腹の腹筋はおろか、あばら骨まで浮いているような体つきで、服を着ていないのに、寒くなかった。
全身を覆った毛は、誰かが毛繕いをしたのか、一切の抜け毛も玉もなく、指通りがよい。
階段の方から降りてくる音がしたので、そちらをチラと見る。
チャッチャッチャと爪がフローリングに当たる音がして、にゅっと犬の顔が廊下から現れた。
その顔は一瞬止まって俺を見る。
首をこっちに向け鼻をヒクヒクとやると、その頭は二つ。瓜二つの顔がひとつの体にくっついていた。
姿勢を地面にめり込むほど低くして飛びかかってきたので後ろに逃げると、いきなり背中をひっぱたかれた。
叩かれたと思ったのは背中に壁が当たったからで、自分が後ろに飛び退いたために当たったのだった。
少し遅れて全力で突撃してきたワンコに押し倒される。
「おまえ!でっかくなったな!」
声が驚くほど高くなっていた。まるで別人みたいだ。
ワンコもまるで成犬みたいだし、いったいどうしたんだこれ。
窓が割れているのにマスクをしていないことに気がついた。でももう、それが意味をなさないことを知っていた。
おしりの間で蠢くものがあって驚き、掴んだら、それは自分から生えた尻尾であった。
なぜか、人間の胎児には尻尾が生えている、という話を思い出した。




