28話 脅威にて驚異の国
グレートガルドンが倒された歴史的な日。
未知の大陸から現れたルルイエ王国の名は、その日に大勢の人々が知り、その武力を知らしめることとなった。
なぜならば、神器グレートガルドンの力は遠く離れた国々でも知られている程に有名だったからだ。ガルドン王国が危機に陥るたびに救ってきた救世主、無敵の守護神であり、ガルドン王国が不可侵である象徴でもあった。
大規模な魔法汚染により、大陸全体が魔物に襲われて、人類の苦難の時代でも巨人が各地の魔物の王を倒し、地を埋め尽くす程の魔物を駆逐する。
大陸統一を目指して、ある帝国が各地を侵略していた時も、100万の騎士団と1万の魔法使いたちから構成される帝国軍を単騎で殲滅、以降帝国が小国にまで落ちぶれる原因を作った神器。
その名は畏怖と共に語られていた。たとえ前回発動したのが80年前であっても、記憶は薄れることなく、多くの人々は恐れていたのだ。
それがたった二人の少年少女に倒されてしまった。マナ感知には引っ掛かることはなかったので、持っていた変わった形のシミター型神器の力であろう。
王都に住む者たちは天まで届く紅き光の剣身をその目で見たのだから間違いない。
誰もが耳を疑うその英雄譚はルルイエ王国の強大さとして各国は理解して、怖れと畏れ、2つの意味を心に抱かせたのであった。
恐らくはその場にいなければ、信じることはないに違いない。伝聞であれば、つまらぬ虚言だと捨て置かれる運命だ。
しかしながら、証拠はある。というか、ない。
どういうことかというと、トリコロールの趣味の悪い色合いで飾られていた金属の城は跡形もなく消え去り、隕石でも落ちたのかと思うほどの深い穴が城の跡地にあったからである。
証拠はある。というか、ないということになるのだ。
───グレートガルドンが倒されてから、数日後である。
レーナ王女は信じられない思いで、跡地を見ていた。先日のパーティー会場の庭園にて未だに片付けられていないテーブルや椅子が転がっており、混乱の跡をはっきりと示している中で地面に膝をつき眺めていた。
何もない。数日前まで住んでいた部屋も、人々が政務をしていた部屋も、謁見の間もなく、陽射しの元で輝いていた金属の城はどこにもない。
思考が麻痺して、はしたなくも口をぽかんと開けていても、注意する者はいない。本来注意すべき護衛兼側近のオルケもいないし、侍女もいないので当たり前だが。
「な、何ということだ……。この先どうすれば良いのだ? 我が国の象徴が失われるとは……」
隣に立つお父様が顔を青褪めて、肩を震わせながら絶望の声音で絞り出すように呟く。
私はその呟きに応える言葉を持ちません。私もお父様もグレートガルドンが起動したところを見たことはないですが、その力は伝え聞いていたし、国を守る守護神は有形無形の形で皆の信頼を集めていたのです。それが失われた衝撃は言葉にできないとしか言えない。
この数日間はオロオロと慌てるのみだった。最低限の指示はなんとかお父様が出して、あの日のパーティーの参加者は帰ってもらったが、その後はどうすれば良いかも分からずに右往左往していた。
いつもならばお父様はここまで行動ができないということはない。冷静沈着で穏やかな性格の人であり、思い切った政策は出せないが、大過なく国をおさめる穏健な君主だったのだ。
しかしながらパーティー当日に気絶した後は、危機においての対応力の無さを露わにしてしまっている。スルドルお兄様がフォローしながら、なんとかしているが……。
「危機と言っても何をすれば良いのでしょうか? 被害は城が無くなったことと、街壁の一部が壊れただけです。後は書物が失われて、国庫が空になったぐらいでしょうか?」
「………レーナよ。それだけあれば充分だ。他国の大使たちの半分はこの事件を伝えに帰還して、半分はルルイエ王国のヨグ殿に面会を求めている。貴族たちは顔を突き合わせては、これからの国の舵をとる勢力がどこになるかを毎日話し合っておる」
虚ろな瞳に、僅かに意思の光を取り戻して、苦虫を噛んだかのような表情で私を見てくる。
「意外です。お父様はショックを受けてろくに行動をとっていなかったと思っていたのですが」
「たしかにここ数日は王としての責務を果たしてはおらなんだがな。情報は集めていたわ。しかし……そなたの顔を見れば、そろそろ気を取り直すときだな」
はぁぁぁ、と深く疲れた吐息を漏らして、城跡から踵を返して、ふらつきながらも歩き出す。
「スルドルは既に離宮にいるはずだ。参れ」
グレートガルドンの城は無くなったが、それでは手狭であったので、周囲には普通の宮殿が建てられている。その一つへとお父様は向かうので、私も慌てて追いかける。
庭園内を歩きながら、フォークやスプーン、酒が溢れたアルコールの匂いや、腐り始めている料理を見て、お父様は目を鋭く細めると、チッと舌打ちする。
「儂が命じなくとも、ここの片付けくらいは自主的にできないのか? まったく再教育がお前にも侍従たちにも必要だな。とはいえ、再教育ができる余裕があればだが」
「申し訳ありません。片付けるようにすぐに命じます」
離宮に入り、石床をコツコツンと足音で響かせながら、私をおいていくように足早に歩くお父様へとついていく。
本来は本城が失われたのだから、その代わりに政務をとる離宮は人でごった返してもよいのに、ガランとしており空虚なもの哀しい空気を感じる。
「沈みゆく船からまっさきに逃げるのはネズミであるとはよく言ったものだ。ここまで逃げ足が早いとは思わなんだ」
「王家への忠誠は力があってこそ向けられるものですが……わかってはいましたが、酷いものです。これまで王家の庇護を受けておきながら、さっさと逃げるなんて!」
「オルケもいないようだが?」
皮肉げに口を曲げてくるお父様に、私も口を尖らせて頬を膨らませて見せる。
「オルケはヨグ様の所に向かわせています。様子を見てなにかがあれば連絡をするようにと」
「それは良い。これを機会にネズミと人を分けることができるだろう。まぁ、儂らにその力と時間があればの話だが」
「先程から悲観的な考えしか口にしないのは王として、あまり褒められたものではないのでは? 私は帝王学にてそのように習いました」
「よく覚えているな。国の王はどのような危機においても、余裕を見せて臣下には平然としてみせよ、だったか? 朧げに覚えておるな。たしかにこのような時にこそ相応しい教えだ。もう皮肉は言うまい。悪かったレーナ」
「いえ、臣レーナはいつもガルドン国王陛下に忠実なる猫ですので」
「ふはっ、ネズミをお主が捕らえることができると? まぁ、良いだろう」
ニヤリと笑って軽く頭を下げてくるお父様の瞳に、力がすっかり戻ったことに安堵しつつ、ふざけてニャーンと鳴くと、笑いつつお父様は足を止める。
「さて、スルドルはまともに政務代行をしていれば良いのだが」
いつの間にか臨時の執務室に到着しており、お父様はいつもの雰囲気を取り戻してドアを開けるのだった。
広めの執務室には大きなテーブルが置かれており、スルドルお兄様を中心に数人が座って書類を片付けていた。書類が山となっており、忙しそうだと言えれば良いが、意外や書類の束は少ない。
「父上、ようやく正気に戻りましたか」
ノックもせずに入ってきたお父様に、書類を見る目をあげることもなく、スルドルお兄様が言う。お父様はやれやれと肩をすくめて、テーブルに置かれている書類を見て、フンと鼻を鳴らすと執務机に向かうと、どっかりと椅子に座り肘をつく。
「レーナがあまりにも哀れを誘う目で儂を見てきたのでな。正気に戻るしかならなんだ。で、随分と大変な仕事量であるな?」
皮肉げな言葉にスルドルお兄様は肩をすくめて見せる。
「ここぞとばかりに、貴族たちは庭を喜び駆け回っていますからね。雪が降るのは早いと思うのですが、だいぶはしゃいでいるようです」
「陳情どころか、政務ももはや必要ないと思っているのだろうよ。儂らに書類を出すだけムダだと考えておるわけか」
「ここ最近の不景気に加えてのトドメのパーティーですからね。ルルイエ王国に滅ぼされると考えている者も多いはずです。きっと今はヨグ殿に尻尾を振ろうと、船の周りでキャンキャンと鳴いているのでしょう」
「可愛げのない犬たちだ。餌がなくなるとすぐに飼主を変えるとはな」
書類を机に投げ捨てて、スルドルお兄様は口を歪めて答える。パラリと書類が置かれて、内容がちらりと見えるが、王都の井戸の数をもう少し増やしてくれという、昔からあるどうでも良い内容だった。
お父様とお兄様は顔を見合わせて、真剣な表情となるので、私もその横にちょこんと座る。
「とぼけるのはここまでだ。で、ルルイエ王国はどう出ると思う?」
「すぐに謝罪のために約束を取ろうと使者を送ったのですが、謝罪は既にレーナにしてもらったし、パーティー楽しかったですとの返答でした。謝罪はスリの集団のことで、グレートガルドンとの戦闘は意に介していないようですよ」
困った顔になりお兄様がお父様へと告げると、むむむと唸って難しそうな顔となり、お父様は腕を組む。
「あちらとしては、グレートガルドンが邪魔だったということか? 他国の神器なぞ破壊できるか奪取できるのであれば、躊躇う必要はないからな。あちらの思惑はわからぬが、今は敵対さえしていなければ良い。……謝罪は全力でしていくとして、友好的に、あくまでも友好的に腰を低くして対応をする。まずは現状をなんとかせねばなるまい」
「それが……思惑かは分かりませんが、補給基地としている島を正式にルルイエ王国の版図としたいと遠回しに言われたとか」
「王都からたった4日の距離にある島か……目の上のたんこぶになりそうだが、たいして大きくない島なのだろう? 了承するしかあるまいよ。他にはなにかあるか?」
「ルルイエ王国は持ってきた貨物の取引を早く終えたいとの希望も出されています」
「ふむ……それはこちらも願ったり叶ったりだ。まさかまだ我が国と取り引きをしてくれるとは思わなんだが……窮地になった我が国に肩入れすれば大きな貸しを作れるというわけなのだろう」
「遠方の王国であったのが助かりました。近隣諸国なら、属国にしようとしてくるはずですからね。それか混乱の合間に攻めて来るでしょう」
危険なる状況だと、私の背筋がひんやりとして、慄然としてしまうがお父様はその点は気にしていないようで、鼻を鳴らすだけだった。
「東西の国はここ最近は貿易による利益がないために軍費が無く、我が国を攻める余裕はない。北部の国々は小国ばかりだ。グレートガルドンが失われても我が国の軍は健在。攻めてくる愚か者はいないであろう」
「だと良いのですが……たしかに父上の言うとおりだとは思います。問題は国庫が空になったために相手から貨物を買い取れる余裕がないということですが」
お兄様の言葉に、私はピクリと反応してフンフンと得意げに胸に手を当てて口を開く。ここは私が密かに動いていた事をアピールして役に立つ事を示すチャンスです!
「魔石ならば私の離宮にこっそりと貯めておきました! かの国は代価に魔石での取り引きを求めているらしく、離宮の魔石があればなんとかできることかと! ……なんでそんなに怖い顔をしているのですか、お父様、お兄様?」
なのに、なぜか二人ともぷるぷると肩を震わせています。う、嬉しいのでしょうか? ちょっと違うような?
「だから魔石を集めていたのか……知ってはいたがなんのためかと不思議に思っておったのだ。なぜ黙っていた!」
「それは私が大活躍できるかと……えへへ」
お父様が顔を真っ赤にして、部屋をビリビリと振動させる怒声を響かせる。これは怒られるどころではないと、なんとかして落ち着いて貰おうとする時だった。ノックがして、慌ただしく兵士が入ってくる。
「失礼します。北塔にて謹慎中であったゴライアス王子が逃げました!」
その報告に私たちは新たなる厄介事が起きたと、顔を顰めるのであった。




