11話 停泊する帆船
意識が深い水中から浮き上がっていく。深い深いヘドロから無理矢理這い上がるように、私は空へと手を伸ばす。
ヘドロを掻きわけて、やがて這い出して身体が軽くなり………パチリと目を覚ます。
「姫、目を覚ましましたか」
ぼんやりとした意識の中で、オルケの姿が目に入る。どうやら助かったらしいと、ホッとしながら身体を起こす。
「嵐はどうなりました?」
いつもの提督用の部屋で私は寝ていた。乾いたシーツに、穏やかな船の揺れ。問いかけながらも、嵐を無事に抜けたと理解していた。
「姫のお使いになった神器『人魚女王の杖』の力により排水ができたため、穴を塞ぎ帆を降ろし、なんとか立て直せたので、3隻とも無事です」
「そこは私の尽力によりと、褒め称えくれて良いのですよ? 今の言い方だと私はいないようではないですか」
「まぁ、レーナ姫のお力もあったと言い直しましょう」
ふくれっ面をして、不機嫌なフリをすると、オルケはにやりと笑う。忠実な従者の姿に涙が出てきますね。
ベッドの横にあるチェストには白き杖が置かれている。国宝である『人魚女王の杖』だ。
『人魚女王の杖』は遥か昔に作られたとされる神器だ。女性しか使用できず、王族でもなければ持たない程の膨大なマナを吸い取り、水を弾く泡を使用者が向けた対象に付与する。
私は3隻へとこの杖の力を向けた。3隻は水泡に包まれて、全ての水を弾いたはずだ。航海において、絶対の力を持つ『人魚女王の杖』。ガルドン王国の国宝にて切り札。
欠点は一時間だけしか効果がないこと。使用中は保管していた水樽の水も排水してしまうこと。マナの消費が激しくて、使用すると同時に気絶することであった。
まぁ、命が助かるならこの程度は容易いことでしょう。この杖がなければ、船は沈没し皆は死んでいたはずだった。
「で、今は帰港中ですか?」
「うーむ、それがだいぶ北西に流されました。幸い我が国に近づいているのはたしかですが……」
躊躇いがちに顎を擦るオルケに心に不安が渦巻く。帰港できないと大変なことになるのは目に見えている。今でも危機に陥っているのです。必ず帰らなくてはいけません。
オルケの言葉を、緊張気味に待っていると、最悪から少しだけ良い内容だった。即ち、かなり悪い内容と言うことでした。
「水が無くなりました。そして、食糧が全てなくなっておりました。どうやら穴が開いたときに、押し流されてしまったようで、姫が起きるまでの一日は絶食。航海士によると後4日は母港までかかるとのことです」
「さ、最悪ですね。では『水創造』にて樽を満たしましょう。4日、いえ5日ですか? それならぎりぎり死ぬ前に母港に帰港できるでしょう」
まだ最悪ではない。本当にぎりぎりだが。
「いえ、それがですな……」
言い澱むオルケに、まだなにかあるのかと僅かに怯み………。
「お、姫、起きましたか! ちょうど良かった、島へとそろそろ到着しそうです。どうやらそこそこ大きな島で緑もあります。食い物があるかもしれません!」
部屋に入ってきた船長が、私を見て報告をしてくれるのだった。
どうやらまだ私たちの運は尽きていないようですね。
◇
小さい島だ。見張りが見つけた島は、私の船ならば半日もかからないで一回りできるだろう。小さな山を中心にして、平原はなくて森が囲んでいる。浜辺が僅かにあるだけであった。
喫水線が浅いために船は沖に停泊させて、小舟で島へと向かう。
3隻からそれぞれ出しており、万が一魔物がいることも考慮して8人が乗っている。
皆、マナを使用して『身体強化』ができる優れた魔法戦士たちだ。
ギィギィと水兵が舟を漕いで、島へと近づきながら辺りを慎重に見渡す。
食糧があればと思うけど、気候が母国とほとんど同じなのだろう。植生も同じようで杉や白樺が多い。果物などは見る限り無さそうだ。
落胆を隠しつつ浜辺に近づいていく。綺麗な浜辺で船などはないために無人島なのだろうと思っていたら、小さな人影があることに気づく。
「正直期待はしてませんでしたが……。浜辺に誰かいますね」
「そうですな、少女が一人で遊んでるようです。こんな島にも人が住んでいるようですぞ」
オルケの言葉に頷いて、希望の光が胸に宿る。たしかに人が住んでいるようなら、食べ物はあるだろう。
それにしても……。
「やけに綺麗な少女ですね。あれだけ綺麗な少女は見たことがありませんよ」
波打ち際でパシャパシャと遊ぶ少女は、陽光の下で美しい銀糸のような髪を靡かせて、見たこともないほどに綺麗だった。その顔立ちは幼いが、人を魅了させる。肌も白く小柄な身体も相まって、可愛らしさを醸し出して妖精のようだった。
近づけば近づくほどに、その可愛らしさがわかり、頬を染めて思わず見惚れてしまう。周りの水兵たちも同じくボーッと見惚れていた。
「こんな島には勿体無いぐらいです。これが本国なら侍女に雇おうなどと考えますが、それどころではありませんね」
舟が近づくと、少女は水遊びをやめて私たちへと顔を向けて、口を大きく開けながら驚いている。きっと帆船や私たちの舟を始めてみるのだろうと、クスリと微笑む。
「この島のことを誰か知ってますか? 私はこの海域に島があるとは聞いたことがありませんし、海図にも載っていなかったと思いますが」
水兵の中でも古株の老兵に問いかけると、ごま塩髭を擦りながら首を傾げる。
「儂らも知りません。ここは近海から遠すぎて、遠海に向かうには補給港にしては中途半端な場所にあります。航路からも外れておりますし、小さな島です。誰も見つけることがなかったのでしょうな」
「それでは、私には神の加護があると証明されたようですね」
ふふっと笑ってみせると、ちげぇねぇと水兵たちは大笑いをする。そうして、私たちは浜辺に到着すると舟を降りる。
少女は既に私たちの小舟の前に来て、ワクワクと目を輝かせている。質素な貫頭衣を着込んでおり、裸足だ。これまで他の国からの舟が来たことなどないのだろう。
「こんにちは、お嬢様。少し舟を置かせてもらっても良いでしょうか?」
私ができるだけ優雅に見えるように礼をすると、少女は少しだけ驚いたようで、顔を俯けてぶつぶつと呟くが、すぐに顔をあげてニパッと笑ってくる。
「はい。ルルイエ王国にようこそ、お嬢様。僕は男ですよ」
「えっ、あ、す、すいません。殿方でいらっしゃいましたか。失礼しました」
こんなにも可愛らしい男の子がいるなんてと、驚きながらも謝罪する。気にしないでくださいと、手を振って微笑む姿は少女にしか見えない。
目の前だからわかる。きめ細やかな傷一つない柔らかそうな白い肌、碧眼は宝石のようで吸い込まれる魅力があるし、艷やかな銀髪は母国でも見たことがないほどに綺麗だ。
こんなにも可愛らしい男の子がいるのかと、頬を染めてしまうが、すぐに気を取り直す。しっかりとした返答にて返さないといけない。
「私はガルドン王国第一王女、レーナ・オル・ガルドンと申します」
「僕はルルイエ王国のラル・トルス・ルルイエの第二子であるヨグ・トルス・ルルイエです。はじめまして、レーナ王女」
きちんとした返答に内心で少し驚く。どうやらこの島は王国らしく、この方は王子ということになるのだろう。
「こちらこそ。はじめましてヨグ様」
ふわりとした花のような微笑みと共に手を差し出してくるので、握手をする。とっても柔らかい肌を感じて少し照れてしまう。
ヨグ様がニコニコと笑顔で尋ねてくる。
「レーナ王女御一行が、ルルイエ王国になんの御用でしょうか?」
「はい。申し訳ありませんが、私たちの船が嵐にあってしまいまして。そのため水と食糧の補給を行いたいのです。そこまで多くの食糧は必要ありません。母国は船で4日の位置にありますので、多少なりとも譲って頂ければ食糧は足りると思うのですが、どうでしょうか?」
「あの船で4日ですか。どこにあるんですか? 北? 北東? 北北東?」
「北北東に4日ですね。よろしかったら、村長にご挨拶できないでしょうか?」
「わあっ、4日ですか。国がそんなに近くにあるんですか?」
キラキラとした無邪気な笑みを見せて、興奮しているヨグ様に、そうですよと笑顔を返す。そんなに近くにあったなんてと、飛び上がって喜ぶその姿は微笑ましくて、笑みが溢れてしまう。
「あ、すいません。興奮しちゃいました。補給は大丈夫です、どれくらいの量が必要ですか?」
ひとしきり喜んだ後に、ヨグ様は私の後ろへと視線を向ける。24名の食糧がどれくらいか考えているのだろう。
「この小舟に乗っている者たちだけではなく、あの大きな船に乗っている者たちの食糧も必要なので、えっと村長にご挨拶できますか?」
これぐらい小さな島では食糧の備蓄も微妙だろう。無理を言うつもりはないが、それでもできるだけ食糧は欲しい。後4日と答えたがアクシデントはどこにでも潜んでいる。できれば多いほどよい。どうせ、倉庫には余裕があるのだ。
「僕が村長ですよ? ですが準備もできたようなので、案内しますね!」
「ありがとうございます、ヨグ様」
ヨグ様が楽しげに歩き出すので、お礼を言って後についていく。森林を切り分けて作られた道を迷いもせずにヨグ様は歩いていく。
「ルルイエ王国とはでかく出ましたなぁ、こんなにも小さな島でも王国というものは樹立するものなのですな、いやはや人というのは業が深い」
「たしかに、どこにでも王国はあるんですな、きっとガルドン王国がどれくらいの大きさかも想像できていないでしょうな。村長の息子でも王子ですか。まぁ、名前だけは立派なもので」
切り開かれた道を歩きながらオルケが苦笑すると、水兵たちもクックと笑う。たしかに皆の言うとおりだが……なにか違和感がありますね……。
少し気になることがあって、先頭を歩く少年へと声をかける。
「ヨグ様は私たちの船を見てもあまり驚きませんでしたね? どうしてですか?」
「あぁ、帆船を見るのは生まれて初めてですよ。でも知識として知ってました」
「そうなのですか。それならここには他の船が来るのですね」
帆船を見たことはないということは、他の船が来たことはあるのだろう。
「どうでしょうか。僕は見たことはありませんけどね」
困ったように笑うヨグ様の姿から、ヨグ様が生まれる前とかなのだろうと見当をつけて、森林の中に進む。
と、少しだけ木々が切り開かれて、掘っ立て小屋が5軒ぐらい建っている場所に辿り着く。
小さな村落だ。住民も30人くらいではないだろうか?
「ようこそ、ルルイエ王国に。レーナ王女、歓迎致します」
くるりと回って、ヨグ様が笑って手を広げてくるのであった。




