ス、タ、ァ
がり、じゃり、と。金平糖を食べる。指は忙しなく動いている。
お星さまの鋭角のところが折れて、甘く刺さるのが楽しい。
ピンク、いちご。
黄色、レモン。
黄緑、メロン。
白、ハッカ。
オレンジ、…マンゴー?
砂糖と着色料しか入っていないのに、舌は勝手に色から味を読み取るから、本当は味覚なんてないのかもしれない。
「バカッこのグズ!!」
「い゛た゛い゛ぃぃぃぃ」
「痛くないッ!バカッ!グズッ!!」
ずるずるずる、と、引き摺られるようになっている子供が、引かれる腕の痛みで叫ぶのを、ほとんど悲鳴に近いシャウトで罵倒する母親。視界を流れていく。不快。
産みたくて産んだ子供によくもまあそんな口を、と憤ることはもうない。同調はシャットアウト。コドモの時間はとうに終わってる。
色んな人がいる。
産みたくて産んでない人。
自分の膣から出てくるものを正しく予想できない人。
可愛くて素直で素敵なものしか出てこないと信じてる人。
だからマトモでもヤバくてもムカついても同じように可愛がる、なんて覚悟しなかった人。
でもそれ言っちゃうとマジのクズ人間扱いされるから、思うことすら無意識に避けてる人。
せめて言葉や思考になれば掬い上げられたはずの悶々とした心が澱となって、向けちゃいけない相手に噴出しちゃう人。
あのババアはどれだったのだろう。全部に該当している気がする。
大体「産みたいから」なんて純度の高い理由でいのちを、つくって、年中無休24時間営業の過酷な育児のデスマーチの中、尚そのポジティブさが正しく継続する人のほうが、あたしにはとてつもない奇跡に思える。
聖母。
目当ての電車に乗り込むと、バカーンとハの字に開いた脚があった。干乾びた泥のついたスニーカー、優に三人分のスペースを占領、股間に開封したストゼロ、於優先席。
「あァに見てんだおおぅ」
全ての筋肉が弛緩した酔っ払い特有の馬鹿でかい声が飛んできて顔を上げる。
はい、いい発声。
お尻の概念が消失したようにデレンと凭れ掛かるようになったジジイ、赤ら顔、口元に唾液。椅子に溶けた体、きったねぇダリの時計。
不快。
そこに掛かってたビニ傘で刺す。
女に反撃される想定がそもそも無いらしい赤ら顔が、きょとん、とする。
もう一発刺す。
傘のメインの骨が折れる。折れた傘で殴る。シンギンザレイン。
殴る。
蹴る。
踏む。
アスファルトでジャリジャリに削れた太ヒールをまっすぐ突き刺す。
男が動かなくなる。
ビニール袋の中にある未開封のストゼロは触るとよく冷えている。拝借。男は空き缶を離さない。
一笑。
力無い手と乾杯。砕けた金平糖がシュワシュワ流れる。虚無で飲み下す甘い流れ星。二日酔い不可避、と赤札掲げた酔いが来る。
このジジイは汚いダリになるまでに一体どんな夢を売ったのだろう。
ジミヘンのギターを売った。
あたしの、ジミヘンのギター。Fender Stratocaster、…に、似てるやつを見掛けて、うっかり、買った。ジミヘンはデカくて、サイケな柄シャツを着ていて、あたしが知ったときにはもう死んでて、それでも、なんかかっこよくて、女抱くみたいにギター弾くオッサンだなと思った。
演奏中にマジでイッてたらしいと知って笑った。
慧眼じゃん、あたし。
がり、じゃり、がり、
ライブに出た。ジミヘンのデカい手にはすっぽり収まってたネックを、あたしは抑えることすら一苦労で、でも板の上じゃしょうがないから弾けてるぜって顔で歌った。楽しかった。のに。
「それ」がいつだったか、思い出せない。
決定的なきっかけがあったわけじゃない。
ちりつも、だ。
ジミヘンの音は出ない。毎日練習した。
ギター持ってなくても運指した。上手くもないのに自称ファンが付いた。自称ファンはラインで感想をくれた。「頑張ってる」とか「可愛い」と書いてあった。
そんなんじゃ嬉しくなかったけど、それ以上の感想が出るようなパフォーマンスができてるとは思わないから「ありがとうございます」と返信した。
がり、じゃり、
つまんなそうと思いながら付き合いでチケット買って、行ったらマジでクッソつまんなくて、ほとんど曲も聞かないでこっそり泥酔した。あたしもクッソつまんねぇのかなぁと不安になった。
がり、じゃり、
仲間内でのスタ録、スタッフが15歳の子の曲を面白がって、あたしの3倍時間かけて録音してた。
がり、じゃり、
30も年上の既婚者の小屋主から「カノジョ」になってくれと言われた。自称ファンにしつこく食事に誘われて、断ったらライブ来なくなった。それから上手いとか頑張ってるとか可愛いとか全部、一発ヤろうぜにしか聞こえなくなった。
がり、じゃり、
だんだんギターに愛憎入り交じるようになった。
がり、じゃり、
売れてる奴全員に嫉妬して「それっぽいメロ、エモエモ媚びた脳死歌詞、青っぽいPVで売れて気持ちいいでちゅねぇ」とひとしきり脳内で罵倒しながら、がり、じゃり、あたしには思いつきもしない彼らの独自性を承知しながら、がり、じゃり、その罵倒の冴えなさイケてなさに、がり、じゃり、寧ろ自分の救いようのない才能のなさを感じて、がり、じゃり、せめてキレキレの罵倒ができれば。
チケット売るのが後ろめたくなった。
あたしが万一何か事件起こして捕まったら「自称ミュージシャンの無職」として報道されるんだろうなぁと思った。
ジミヘンの音は出なかった。
毎日練習した。
ギター持ってなくても運指した。
指は忙しなく動き続けた。
ジミヘンの音なんか出るはずなかった。
あたしはギター弾いて射精、なんて、できない。
それで、ジミヘンのギターを売った。
穴が空いたみたいになった部屋がなんか空虚で面白くなっちゃって、ラインのストーリーに写真を上げた。
ラインが来た。
父だった。
「ジミー、売ったんやね」
「スターに、なりたかったんやろ」
返信。「わざわざ、ありがとう」。即非表示。
ス、タ、ァ。
気持ち悪い。
あの人の言うスターって、何て厭な言葉なんだろう。空虚で、無価値で、ばかばかしい。いい年して、いつまでもそんなもんに縋り付いて、何やっとるんや、ばかたれ。
今言われていない言葉を勝手に裏読みして、にちゃあ、と空気が粘つく。汚いヤニの匂いまで漂ってきた気がした。
大体ジミヘンはジミ・ヘンドリックスであって、「ジミー」なんかじゃない。不快、不快不快。あなたに何がわかるの。何が、わかるの。
ジャリィと。大きい音を立てるように力を込めて思い切り金平糖を噛み砕く。ストゼロで飲み流す。流星群。甘くてシュワシュワの流星群が、あたしだけの為に流れる。
大丈夫。
大丈夫に、なりたかった。あたしは、これ以上誰にもばかにされたくなかっただけだ。
誰にも軽んじられないもの、ばかにされないもの、誰が見ても絶対、絶対絶対絶対、大切にするべきもの、大切にするのが当たり前のもの、に、なりたかった。
唯一、絶対、一等星。
肚に傘が刺さったまま動かなくなったビニ傘ジジイも、とっくに引き千切れた子供の腕をブン回しながら虚空に向かってグズ、グズと叫び続けるクソババアも、大丈夫、になりたかったのかもしれなかった。
尊い命、とか、いらない人なんていない、とか、皆幸せになる権利がある、なんて安っぽい、嘘くさい、そんなの要らない。
ひとくくりの皆なんて知らないどうでもいい、今この瞬間目の前にいるこの、あたし、あたしを、大丈夫にしてよ。嘘でいいから、大丈夫って言って。
大丈夫になりたくて、あたしたちは叫ぶしかない。
大丈夫。あたしは、大丈夫。
ジミヘンは泥酔ODで死んだ。あの脱毛広告の女優は現場でパキってヤバいらしい。あの芸人パパ活だって。画面の向こうで白い歯見せて笑ってる大ス、タ、ァ、大丈夫に見えるあの人たち誰ひとり、本当のことなんて何もわかりゃしない。
赤信号みんなで渡れば怖くない、が結論なんて我ながら陳腐で凡庸さに笑うけど、汎用性が高いからよく使われ、よく使われるから陳腐になるのだ。
ひときわ大きい金平糖を噛む。一等星。ジャグ、と耳障りな音がして、舌で触ると虫歯を放置していた奥歯が欠けてた。
飲み下す。飲み下す。飲み下す。
巨星は墜つ。
流れ星は飲み干した。
指は忙しなく動き続ける。
「そんなだから売れねんだよ バーカ。」