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笑うマリカ

作者: 阿久根 想一


     1


 秋になったとはいえ、まだ残暑厳しいある日の昼休み。


「ちょっと、なかなか美味しいじゃない」


 運ばれてきた料理を口にしたタミィこと古屋民子が声を上げた。


「本当だ……」


 私、ユッキーこと酒井由紀も同じように声を上げる。


「どれどれ……。あっ、本当だ。美味しい」


 と、かすみんこと結城霞。


 住宅街の中の、一見すると普通の住宅にしか見えないレストランだ。数日前、かすみんが見つけてきて、今日は三人で訪れたのだが、料理も美味しいし、値段も手ごろだ。


「いい店見つけたね、かすみん」


 と、ハンバーガーを食べ終えたタミィ。


「ね、この店のこと、他の人に秘密にしておこうよ」


 と、エビフライを食べ終えたかすみん。


「確かにね。他の人たちに知られたら、押し掛けられて入りづらくなっちゃうわ。いいでしょう」


 と、オムライスを食べ終えた私。


 店内は四人掛けのテーブルと椅子が数組あるだけで、三人のほかには客の姿はない。料理の味を考えると穴場と言えた。確かに、かすみんの言う通り、この店のことが皆に知られたら、押し掛けられてゆっくり食事どころではなくなるだろう。


「よし、この店の事は三人の秘密にしてしまいましょう」


「それにしてもあの絵……」


 と、タミィ。やわらかな陽射しが射しこむ壁には、小学生位の少女の肖像画が掛けられていて、じっとこちらを見つめていた――。


「金髪に青い瞳。まるでフランス人形みたい――」


 なぜかタミィが不安げな顔で呟いた。


「その絵なら知ってる。私がこの店に最初に来た時からそこに掛けてあったもん」


 と、かすみん。


「綺麗だけど……でもなんか……」


「なに、タミィ。その顔は――。あっ、まさかこの絵が怖いなんて言うんじゃないでしょうね」


 長身で落ち着いた雰囲気なのにもかかわらず、お化け怪談などにはまったく弱い。


「まさかまだ夜中に一人でトイレに行けなくなってるんじゃあ――」


「やめて、かすみん」


 さすがにムッとした表情で料理を口に運ぶタミィ。その肩にどこからか一匹の赤トンボが飛んできてかすみんの肩に止まった。


「ぎゃあー!」


 今までタミィに対する余裕はどこへやら、悲鳴を上げるかすみん。


「何よ、大げさね。赤トンボじゃない」


「冗談! トンボだろうがゴキブリだろうがカマキリだろうが、足が6本以上ある奴は私は受け付けないからね! もう嫌! 嫌い嫌い大嫌い!」


 二年程前、私がたまたま草むらで見つけたカマキリの卵をかすみんのバッグ入れたとき、部屋の中で卵が孵ったかすみんにしばらく口をきいてもらえなかった事を、私は思い出した。


「もう嫌、思い出すだけで嫌。ああ鳥肌が──」


 そんな事を言いながら、各自の料理を食べ終わり支払いの時、


「あれ? お釣りの金額、これでいいのかなあ?」


「ユッキー、それ位、小学生だって暗算でできるわよ」


「へへ」


 笑ってごまかす私。そう、私は計算はもちろん、数学にはまったく弱い。


「まったく、そんな計算するのにいちいちスマホ使わないでよ、もう……」


 タミィはそう言ってスマホを取り上げた。


     2


「ねえ……」


 件のレストランに再度訪れた私たち。料理を食べながらかすみんが切り出した。


「何?」


「タミィはハンバーグ、ユッキーはオムライス。なぜいつも同じものを食べているの?」


「好きだからよ」


 どうでもいい事には、よく気が付く奴である。


「そういうかすみんだって、いつもエビフライじゃない」


「だって好きなんだもの。ソースでよし、マヨネーズでよし、タルタルソースでよし……」


 自分の事は棚に上げて、しゃあしゃあと言う奴である。


「ところであの絵……」


 タミィが壁に掛かった少女の肖像画と指差す。この前来た時からやはり気になるようだ。


「ああ、何でも幼い頃に亡くなったマスターの娘さんらしいよ」


 と、厨房をちらちらと見ながらかすみん。この店は初老のマスターとおかみさんと二人で切り盛りしている。まだ話をしたことはない。


「そんなにじろじろ見たら失礼よ、かすみん」


 タミィがたしなめたが、かすみんはどこ吹く風だ。


「あの絵──、確かこの前来た時には、赤いペンダントをしていたよね──。それが、見て。今しているのは青じゃない?」


「えっ」


「言われてみると確かにそうね……」


「またぁ、気にし過ぎよ、タミィ。そんなこと気にしていると、また夜中に一人でトイレに行けなくなるよ」


「かすみんったら、もう……」


 ムッとした表情をしながらも料理を口に運ぶのは止めないタミィ。


「そんなこと気にしているより、自分の体重のこと、気にすれば?」


「……そういうのを何て言うか知ってる?」


「何ていうの?」


「『余計なお世話』って言うのよ!」


 腹立たし気にハンバーグを口に入れるタミィであった。


(でも……、確かにタミィの言う通り、この前来た時にはペンダントの色は赤だった。だけど今の色は青……。これは一体……)


 そんな私の心の内など知る由もなく、肖像画の少女は無表情に三人を見つめている……。


(タミィの考え過ぎだといいんだけれど──)


「そういえばね。この人の名前、マリカさんって言うんだって」


(マリカさん、か)


 その少女──マリカの姿に視線を送りながら、私はもう一度、その名前を心の中で繰り返した。


     3


 ボーン、ボーン。

 

 静かな店内に音が響く。


「あれ、何だろ?」


 かすみんの指の先には、古ぼけた振り子時計がちょうど時を告げていた。


「なかなかいいじゃない。レトロな感じで」


「昭和の雰囲気だね」


「でも……、ちょっと……」


「何タミィ、その顔。ひょっとしてまたあの時計が怖いなんて言うんじゃ……」


「……、うん、少し……」


「もう、タミィったら。また夜中にトイレに行けなくなるわよ」


「かすみん!」


「へへっ」


 イタズラっぽく笑うかすみん。


「そんなことより、これ……」


 私は、かすみんの肩にとまっていたものをひょいとつまみ、彼女の顔の前にぶら下げた。


「それは……、ひぇーっ! カマキリ!」


 一瞬にしてかすみんの顔が引きつり、椅子から転げ落ちそうになった。


「は、早く何とかして、そ、そのカマキリ、何とかしてぇー!」


「まったくもう、かすみんたら……」


 タミィはカマキリをひょいとつまんで、窓の外に逃がしてやった。


「はぁはぁ……。信じられない。あんな物を見ても平気でいられるどころか指でつまめる人間がいるなんて」


「あんたが大げさなだけよ。あんな物なら私の家の庭にもいるよ」


「もう嫌、あなたの家には二度と行かないからね!」


「お好きなように。でも──」


「でも、何?」


「この古時計とマリカの肖像画って、何かいい雰囲気だよね」


「と、いうと?」


「何かお似合いというか。一緒に壁に掛かっているといい雰囲気だと思わない?」


「確かに──、えっ!」


 私は思わず声を上げた。壁に掛かっているマリカの口元に微かな笑みが浮かんだような気がしたのだ。そう言う私にタミィは、


「まさか……。いくら良く描けているといったって、相手は絵よ。そんなことあるわけないじゃない。そうよ、何らかの気のせいよ。そうに決まっているわ──」


 もう一度見直した時には、マリカは元のすました顔で私たち三人を見下ろしていた。


「そうよ、何かの間違いよ。──あれっ」


 その時私は、マリカの左胸に小さな赤い花のバッヂに気が付いた。


(あんなバッヂ、付けてたっけ……)


 私が問いかけても、マリカが答えてくれるはずもなく、相変わらずのすまし顔で私を見つめていた。


     4


「ははははは、あはははは、ああ、おかしい……」


 この前レストランに行った時の、肖像画のマリカが笑ったという私の話を蒸し返し、かすみんは一笑に付した。


「ユッキー、まさかあなたまでこんな話本気で信じているんじゃないでしょうね?」


「だって、本当に動いたんだもん」


「そのうちあなたも、タミィみたいに夜中に一人でトイレに行けなくなるわよ」


 私はあえて知らん顔して道端の樹にぶら下がっていたものを捕えると、何食わぬ顔で後ろを歩きながら機会をうかがっていた。


「それをまあいい歳して、二人とも──」


「ちょっとかすみん、言い過ぎじゃないの。失礼よ」


 タミィが窘めてもかすみんは知らん顔だ。


「聞いてる私まで恥ずかしくなってくるわ」


 もういいだろう──。私は先程捕えてきたものをそっとかすみんの首筋にのせた。


「ん、ちょっとユッキー、何やったの?」


 素早く首筋に手を伸ばしたかすみんが置かれたものをつまんだ。そして目の前に持ってきて──。


「き、きゃぁあー! ひぃぃ──。なにこれ!」


「しゃく取り虫よ。さっき樹からぶら下がってたの。どう、こうして見るとなかなかかわいいでしょ?」


「嫌ぁぁー!」


 かすみんはもう半分泣き顔だ。


「人が真剣に話しているのに笑ったりするからよ」


 ふくれっ面のかすみんの左右を歩いていると、じきに店に着きドアを開ける。


「いらっしゃい」


 と、いつもは愛想のないマスターが珍しく笑顔を浮かべて、


「いつもありがとう。今日は特別メニューがあるよ」


 三人声を揃えて、


「じゃあ、それお願いします」


 マスターの顔に一瞬、してやったりという笑みが浮かんだのを、私は見逃さなかった。


     5


「お待たせしました」


 運ばれてきた特別メニューは、肉と数種類の野菜を炒めた、一般的なレストランでいうところの肉野菜炒めみたいなものだった。


「これが特別メニュー?」


「どこが特別なんだろ。どこにでもあるような料理にしか見えないけど」


 などと勝手なことを言っていた私たちだったが、一口食べてみて「ほう」という顔付きになった。うまく表現できないが、一度食べたら病みつきになる──。そんな味だった。


「美味しかったね」


「なんか不思議な味ね。アタリよ、アタリ」


「また食べよう」


 などと言いながら、私たちは特別メニューをいつもの半分ほどの時間で食べ終えた。


「ごちそうさまでした」


「ユッキー、お金払うのにスマホなんか使わないでね、恥ずかしいから」


「文明の利器よ、利器」


「こんなもん、小学生でも暗算できるわよ」


 と、いつものやり取りをしながら店を出ようとした時、


「ちょっと、ユッキー!」


 タミィが私の脇腹を突いた。


「どうしたの、タミィ」


「マリカ……」


「マリカがどうしたの?」


「リボンよ、リボン!」


「えっ」


 見るとマリカの金髪に、赤いリボンが着いていた。


「あんなもの、昨日までは無かったよ。それがどうして……」


 確かにそうだ。タミィの顔に視線を移すと、すっかり怯えた表情になっている。こいつ、また今夜から一人でトイレに行けなくなるな──、と思ったが、タミィには何も言わなかった。


「ああ美味しかった。すみませーん、この料理、食材は何なんですか?」


 と、一人空気の読めないかすみんがあれこれとマスターに話し掛ける。


「特別メニューだからね、ナイショ」


 マスターが思わせぶりな笑みを絶やさずに応える。


「……」


 マスターの笑顔が気になったが、私もそれ以上はなにも言わなかった。


 一人不安げなタミィを連れて、私たちは店を出た。店を出る時、何かが素早く足元を走り抜けた。


「ぎゃあ! ゴキブリ!」


 大声を上げて逃げ出したかすみんが、入口に置いてあるゴミを入れるポリバケツにぶつかって、大きな音と共にひっくり返った。


「自業自得ね」


 タミィが面白そうに呟いた。


     6


 結局特別メニューの食材については最後まで謎のままだった。私もタミィもかすみんも何かと身辺が忙しくなり、いつしかあの店からは足が遠のいていった。そんなある日──。


「たまにはこういうのも美味しいね」


 たまたま入ったラーメン屋で美味しそうにラーメンを口に運ぶかすみん。


「かすみんったら、フーフーしないと口の中ヤケドするよ」


 と言いながらも、タミィも半チャンラーメンを前にして笑みを浮かべている。


「ねえ、あの特別メニューって何だったんだろうね」


「うん、食材は最後までわからなかったけど美味しかったよね」


「しばらく食べていないけど、またあのお店に行きたいね」


 と、かすみんとしばらく二人で話していると、それまでニコニコしていたタミィがふと真顔になって、


「ねえ、ユッキー」


「何、タミィ」


「弟が通ってる小学校のことなんだけど」


「それがどうしたの?」


「最近ね、学校で飼ってるニワトリやウサギがいなくなるんだって」


「ふーん、それで?」


「私たちがあのお店で食べた特別メニューの肉って、なんの肉だったのかなぁって……」


「えっ、まさか……」


 箸を持つ私の手が止まった。


「そのまさかだったら、どうする?」


 そういえば、家の近所でも最近、イヌやネコが急にいなくなるって話を聞いた──。


「ユッキー──」


「何かの間違いでしょ。そうだよ。きっとそうだよ……。お願いタミィ、そうだと言って」


「今更遅いわよ。そうだったとしても、もう食べちゃったんだもの、あの肉」


「タミィ!」


 今度は私が夜、トイレに行けなくなる番らしい。


     7


 落葉が一枚、誰もいない玄関に、風に吹かれて舞い落ちた。


 店内の客が皆帰ったのを見届けると、マスターはガラス戸に鍵を掛けた。


「もう店仕舞いにするか」


 と、独り言。窓にカーテンを下ろしながら、ついさっき食事を終えて店を出て行った学生らしい三人連れを思い出していた。


(三人三様でなかなか面白い娘だったな。また来てくれるといいんだが──)


 店内を見渡すと、どこから入って来たのか大きな黒猫が、足音も立てず食器棚の上に飛び乗った。


「おかえり、プルート」


 目を細めた店主が声を掛けると、プルートと呼ばれた黒猫はニャァと甘えた声を出してマスターの膝に飛び乗った。


「お腹が空いたかい? よしよし、ご飯にしようね」


 キッチンで洗い物をしているおかみさんに目配せして、持ってきてもらった皿の中の食事を、プルートは脇目も振らずに食べだした。その様を眺めていたマスターは、


「お腹は一杯になったかい? ああそうだ、そろそろ秋だからエアコンの温度を何度か上げておくか。お前は寒いのが苦手だからね」


 と、声を掛けプルートの背中をさすった。


「ミャー」


 喉を鳴らして甘えるプルートとマスターを、壁に掛かったマリカの肖像画が見下ろしていた。その口元に微かな笑みが浮かんだのを、マスターは気付かなかった。落葉が一枚。風に吹かれてどこかへ飛んでいった──。


「プルートや、明日の特別メニューは何にしようかね」


マスターがプルートに、静かに話し掛けた。

Copyright(C)2022 - 阿久根 想一

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