憲兵隊屯所
2024/2/5 台詞一部変更
彼らは王国軍の憲兵で、マリーシャを屯所へ連行した。狭いトイレで無理やり着替えを済ませた後、彼女は隊長から手短な尋問を受けた。
その壮年の男は事務机に座ったまま、ニコリともせずに彼女を出迎えた。
「あのー……、アタシ、本当に何もしてないんですけど……」
彼女は初めできるだけ彼を怒らせないように様子を探っていたつもりだった。
「さすがに『反逆罪』っていうのは、何かの間違いじゃ――」
「今がどういう状況か分かっておるかね?」
彼は彼女の言葉を遮り、険しい表情で彼女を見上げた。その鋭い眼光に彼女は一瞬ビクッ、として黙った。
「今回の事件は独立を目論む北部の半人半獣どもが起こしたものだ」
彼は片眼鏡をクイ、と持ち上げると、机の上に置かれた書類を見た。
「ついさっき、『ノルディア軍』を名乗る勢力から犯行声明があった。これが独立分子の仕業であることに疑いの余地はない」
それは「正しき者たち」や「ヴァルガ山の誇り」など、分離独立を唱える者たちのリストだった。そうした団体の構成員は北部の保守的な農民・漁民たちで基本的に半人半獣であり、マリーシャはまさにそこに当てはまってはいた。
「でも、アタシは違うわっ!」
当然、納得できない彼女は言い返した。
「確かにアタシはノルディア人だけど、それだけが理由で捕まえるなんておかしい。第一、アタシだって事故に巻き込まれて死にかけたのよ?」
マリーシャはこれでも怒りを抑えていたが、男は端から彼女の話など聞く耳を持たない。
「さて、な。今市内にいる無実のノルディア人の中にどれだけの独立分子が混ざっているのやら」
男は机に体を乗り出すと、畳みかけるように詰ってきた。
「ちょうどこんな日にたまたま首都へ来なければならなかった理由は何だ? ん?」
「だから、アタシはただ友達に会いにきただけよ」
すると彼は、今度は失望したように目を閉じて、
「そうかそうか、このご時世にただ遊びに来たとは、結構なことだ」
彼は皺の寄った眉間に拳を押しつけ、しばらく言葉を失っていた。そして彼は、今一度マリーシャを睨むと、
「いいか、これは宣戦布告も同じだ。今後我が国はいつ戦時状態に突入してもおかしくないのだぞ?」
怒気の混じった低い声でそう言い放った。ひどく深刻な表情だった。
あまりにも真剣な様子に、マリーシャはそれ以上何かを言うのを躊躇った。
「……こうしていちいち一人ひとり尋問するのも時間のムダだ。ことが鎮まるまで、貴様らは全員ここで大人しくてしているがいい」
彼はそう言って、彼女を屯所内に勾留するように命じた。
――「ことが鎮まるまで」って、いつまでここにいたらいいのよ……!
あまりの理不尽に彼女は心の中でそう叫んだ。
この日、こうした憂き目に遭ったのは決してマリーシャだけではない。例の汽車の乗客を含め、大勢のノルディア人たちが反逆罪という名目でまとめて拘束され、首都各地で隔離または勾留されてしまっていた。
随分と乱暴な措置ではあったが、現在それだけ状況は切迫していた。ヴァドリア王国は長年ノルディア問題には手を焼いており、首都で本格的な武力衝突が勃発することだけは何としても避けたかったのだった。
●
マリーシャが待機を命ぜられたその鉄格子付きの部屋は、床には家具も何もない代わり一応それ用の穴が空いていた。
――これって……、たぶん牢屋よね?
この粗末な部屋はおそらく犯罪者を一時的に勾留するための場所なのだろうが、お察しの通り大変空気が悪かった。おまけに新しく捕らえられた人がどんどん入ってくるので狭苦しいことこの上ない。今の時点では五人だが、今後さらに人口密度が増えることが予想された。
――にしてもクサいわね……。
立ち込める臭気に彼女が鼻をつまんでいると、外で見張りをしている二人の憲兵が立ち話しているのが聞こえてきた。
「議会で自治法が否決されてから、先月もノルディスタで色々あったらしいけど……、ここまで派手にやらかしてくれるとはな」
「女王の像に『売女』って書いたやつっしょ? よくやるよなー」
彼らは今回の反乱の火種となった出来事について話しているようだった。
ノルディア自治法――それは北部に高度な自治を認める法案で、否決されたのは今回で三度目だった。ノルディア人たちの失望は大きく、もはや合法的な手段では独立は達成できない、という論調すら出てきていた。
先月、北部最大の都市ノルディスタでは怒りに沸いた一部の市民が暴徒化。市議会の建物などが投石による被害を受け、南北を統一した建国の祖オーリア女王の像には「売女」という落書きがなされた。
出動した王国軍により騒ぎはすぐに沈静化されたが、内乱の暗雲は立ち込め続けていたのだった。
「ま、親父がケダモノなら、その子もまたケダモノってこったな」
「アイツら野蛮人どもにゃ、文明社会なんざ到底理解できっこねえからな!」
憲兵たちがハハ、と高笑いしながら話していると――
「なんでそう書かれたか、頭の悪いお前らにも分かるように教えてやろうか?」
よほど聞き捨てならなかったのか、捕らえられたノルディア人の男の一人が憲兵を挑発した。
「それがお前ら売春婦の息子どもに相応しいからだ」
そのガタイのいい男は壁に寄りかかったまま、そう言って鼻で笑った。しかし憲兵も負けてはいない。
「『雌犬』はお前らのことじゃないか、動物なんだから」
すると男は怒りの形相で憲兵の方へ歩いて行き、
「おい、この母犯し野郎。あんまり調子に乗ってるとぶちのめすぞ!」
そう叫ぶと、血管の浮き出た剛腕で鉄格子を引っつかんだ。
「こんなもの、ひねりつぶしてやるっ……!」
彼の全身の毛が逆立ち、男はみるみる内に猪の獣人に変身した。獣人と化した男は大変な怪力で、本当に鉄格子をこじ開けそうだった。
「や、やれるもんならやってみろよ、この豚野郎! そしたらお前のドタマをブチ抜くだけだ!」
「銃さえありゃ、お前らなんてカンタンに殺せるんだからな!」
さすがに焦ったのか、憲兵たちは一斉に銃口を向けた。
――お願いだからやめて……!
部屋の中が一気に緊迫した空気で満たされ、マリーシャは最悪の事態を覚悟した。
しかし、いくら彼の力が強いとは言え、これでは男にとって分が悪いのは明白だった。
「悪魔に連れてかれちまえ、このケツの穴ども!」
血走った目の男は呪詛の言葉を吐くと、一旦引き下がった。
「……いつかお前らの故郷の村を焼き払って略奪の限りを尽くし、俺らが味わったのと同じ苦しみを与えてやるからな」
彼はそう捨て台詞を口にし、そのまま黙りこんでしまった。
マリーシャは彼らの諍いを終始ハラハラした様子で見守っていたが、とりあえず胸をなでおろした。
――みんな血の気が多いんだから。
先ほどから心臓に悪いことが続いて、彼女もいい加減ウンザリしていた。
――いつになったら出してもらえるのかしら……。
薄暗い部屋の中で、彼女は小さくため息をついた。
彼女がしばし憂鬱な気分に浸っていると、見張りの憲兵が交代になった。新たにやってきたその若い男はすらっとした長身のブロンドで、いかにも優男という感じではあった。
だが――
「おやおや、カワイ子ちゃん」
彼は中にいたマリーシャを一目見るなり目を輝かせ、女性への冷やかしに使う言葉を浴びせた。
――こんなところでナンパとか、勘弁してほしいわ。
「……やめてよ、ケーキじゃないんだし」
マリーシャが切り返すも、その男はまるで詩でも読むように、
「マリーシャ……、君の美しさはまるで、暗い谷底に咲くたった一輪の小さな花。それだけでパッと明るくこの世界を照らし出す……」
彼女への愛を鉄格子越しに歌い上げた。これには彼女も困惑して、
「……なんでアタシの名前知ってるの?」
しかし彼の姿を見ている内に、マリーシャはあることに気づいた。
「待って、アナタの顔に見覚えがあるような……」
彼女は手を忙しなく動かしながら、記憶の糸を手繰った。
「あのー……、『シュクラディーニ』って、本当は何て言うんだっけ、ハルホルトパンをおごってくれた人!」
「あれは『ヴァーンツィ・ベーニ』って言うんだけど……、その話は置いといて」
「なんで思い出せなかったのかしら。アナタ、ダーリウさんね! ペーティルの友達の」
「ご名答」
ダーリウはハルホルトの貴族の家の出で、マリーシャの幼馴染のペーティルが以前通っていた学校の同期生だった。その後徴兵されて兵士となった彼は、現在奇しくもこの屯所に配属されていたのだった。
以前三人で一緒に町へ遊びに行ったとき、シュクラディーニというパンの一種を買ってくれた人物こそこの彼だ。
「最近調子はどう? あと、ペーティルは元気にしてる?」
「うん、僕も彼も大丈夫だよ。それより、事情はあらかた聞いたけど、今日は災難だったね」
今日の事故についてダーリウが尋ねると、マリーシャは少し俯いて、
「まぁ、アタシはギリギリ脱出できたけど……、たぶん亡くなった方も大勢いらっしゃるんじゃないかな」
――あの子のご両親も、結局助けられなかった。
彼女は表情を暗くした。そんな彼女を励まそうとしたのか、ダーリウは、
「だけど、橋から飛び込んで溺れてる子を助けたんだって? すごい勇気だね。僕にはとても真似できない」
それを聞いたマリーシャは、いつになく強い口調で断言した。
「目の前で今にも溺れそうな子供がいるのよ。それがどんな人でも、手を差し伸べるのは人として当たり前でしょ?」
彼女が同意を求めるも、ダーリウは彼女のことが全く理解できないようだった。
「君の友愛と自己犠牲の精神には感服するよ。でも、己を省みない勇敢さを人は『純朴さ』と呼ぶんだ」
彼は苦笑しながらそう言った。だが、マリーシャは怒ったように一言。
「……バカって言いたいの?」
実はマリーシャ、「バカ」と言われるのがこの世で最も嫌いだった。
「いや、別にそうは言ってな――」
「いいわよ、どうせバカよ!!」
彼女はむくれ顔でそっぽを向いた。
地雷を踏んでしまったと悟って、彼は急激に話題を転換した。
「……にしても、君みたいな可愛い子をこんな狭くて汚い牢獄に放り込むなんて、マッタクひどいもんだよ」
「そうでしょー? 無実なのに投獄されるなんて、アタシってばカワイそう」
初め彼女は投げやりに相槌を打っていたのだが、このとき天啓を得た。
「ねえねえ、ダーリウさん」
彼女は妙に甘えた声で話しかけた。
「何だい、僕の愛」
――うわ、キモ。
思わず声に出そうになるのを彼女は必死でこらえた。
「アタシ、事件とは全く関係ないし、早くこんなとこから出たいんだけど……、どうしたらいいかしら?」
しかし、ダーリウもこれで簡単に折れるほど職務怠慢でもない。
「そう言われましてもねぇ……。今、厳戒態勢みたいな感じだし、獣人や君みたいな人魚は外を歩いてるだけで怪しまれると思うよ」
「そこを何とか……」
マリーシャは胸の前で両手を握りしめ、わざと上目遣いをした。
「んー……。まぁ、『疑わしきは罰せず』って言うしね」
ダーリウはしばらく腕組みをして何かを思案していた。
「僕がなんとかしてみよっか? もちろん、やれる範囲で、だけど」
しめた、と彼女は内心小躍りした。
――彼をうまく利用すればここから出られるかも。
憲兵に知り合いがいるというのは、好都合だった。




