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 それからシンシアは、ちょくちょくと商会を訪れるようになった。明るく朗らかで、かつ聡明な若奥様に店の従業員たちは合っという間に打ち解けた。


 シンシアは支配人のブライトを始めとした店員達からお茶の銘柄やブラッドリー家の商売について教えてもらうこともあれば、ブリストルを始めとしたブレンダー達から試飲を頼まれ、お茶を楽しむこともあった。

 もともと商売に興味があり賢いシンシアは、ブラッドリー家の商売について驚くべき速さで覚えていった。


 シンシアが商会のことを覚えるにつれ、夜のお茶会での会話の内容も少しずつ変わっていった。

 9割方をシンシアが話していることには変わらない。しかし屋敷の中でのことに加え、店で教えてもらったこと、試飲したお茶の感想等も、シンシアはトーマスに伝えるようになった。


 トーマスはやはり端的な返事しかしないが、シンシアの疑問にはしっかりと答えてくれるので、シンシアは満足だった。

 リーンでは商売について聞いても教えてくれる人はいなかったし、外で話そうものなら、良くて「女が関わるものではありませんわ」とたしなめられ、悪いと変人扱いされる。

 そんな中でシンシアを若奥様としてだけでなく、当主の妻、として扱ってくれるトーマスに、シンシアは尊敬の念を抱いていた。


 一方トーマスもシンシアの学習能力に驚いていた。もともとお茶に関する知識は豊富だったし、令嬢として得ているべき教養も持っていた。

 しかし彼女はさらに、ブライト達が教える業界の状況や流行、さらに茶の生産国との関係などについてもどんどんと吸収していった。

 彼女が店に来た、という報告があった日には、どんなことを学んだのか聞くのが恒例になったが、シンシアの言葉は端的で、時折される質問は的を得ている。それはトーマスを満足させるものだった。


 シンシアからお茶会の様子を聞いた使用人達は教師と生徒ではあるまいし、と頭を抱えることになる。

 それでも結婚前に仮面夫婦宣言をし、新婚初夜から書斎に逃げ込んだことを考えると大きな進歩だ。

 彼らはそう思って二人を見守っていた。


 一方シンシアの知識量を買ったトーマスは、時折仕事に彼女を伴うようになった。特に上流の者との取引では、向こうが女主人たる妻を伴ってくることは多いし、またパーティーでも妻や婚約者を伴う者は多い。


 これまではそういった場では一人を貫いてきたトーマスだったが、徐々にシンシアを連れて行くようになった。

 朗らかに微笑むシンシアの存在はその場を明るくしたし、また彼女が貴族ではないとはいえ、非常に古くから名の知れた名家の出身だ、ということも家柄を重んじる上流の者たちとの取引ではプラスに転じた。


 シンシアはトーマスが思っている以上の働きをしてくれたが、一方気になることもあった。

 人の目がなくなると、どうも自信なさげな表情をする。明らかに相手は彼女のことを褒め称えているにも関わらず、彼らが去ったあとに


「私、問題なく話せておりましたでしょうか? 旦那様に迷惑をかけていませんか?」


 と潤んだ瞳で訴えてくることも一度や二度ではなかった。

 その度に


「問題ない」


 と答え、庇護欲をそそるその姿に惹きつけられたらしき男たちの視線からそっと隠すのが常だったが、彼女の自信のなさがなぜなのかはわからなかった。


 恩人でもある友人に相談すると、


「なぜそこで一言で済ませる。もっと言葉を尽くせ」


 とお叱りを頂いたが、苦手なものは仕方ない。

 商談相手にであればいくらでもでも言葉が出るのだが、それはあくまでも商売としての上辺の言葉だ。

 シンシアにそんな言葉をかけるのはそれはそれで気が引けるし、彼女はそういう相手ではない、と思っていた。


 とはいえ、どうしてこうも自信がないのか? その疑問の答えはひょんなことからわかることとなった。


 ある日の夜、シンシアはいつものようにティーセットを持って書斎に向かった。

 今日は安眠効果がある、というラベンダーを中心にブレンドしたハーブティーを手にしている。


 シンシアとトーマスの夜のお茶の習慣を聞いたブリストル達は、お茶の淹れ方や選び方の相談に乗ってくれたり、新しい茶葉をシンシアにくれたりした。

 ライセル王国を代表するブレンダーとも言える彼らに教えてもらうなんて、と最初こそ恐縮したシンシア。けれども、お茶の味には厳しいトーマスのために淹れるお茶が、さらに美味しくなるのは嬉しいので、シンシアは彼らの好意に甘えることにしていた。


 今日も屋敷やブラッドリー商会であったことをポツポツと話しつつ、砂時計をひっくり返したところで、トーマスが声をかけてきた。


「シンシアさんはトレシア語は出来たりするのかい?」

「え、えぇほんの少しでしたら」


 そう言いつつ、内心シンシアはどう答えるべきか迷っていた。


 ライセル王国で女性の教養として知っておくべきとされるのは、ライセルと同じくらいの大国であるとともに隣国であり、流行の先端を行くとされるベロニア王国のベロニア語だ。

 同じく隣国のフェンジェルベル語も話せる人はいるが、遠い内陸のトレシア王国の言葉については違う。

 商業が発達した国であることから、特に海を挟んだ大陸と貿易をする商人には必須の言葉であるが、一般の女性の学ぶべき教養には入っていない。


 シンシア自身は、レイクトンの陶磁器はいずれ海外へも販路を広げるだろうと思っていたので、トレシア語を独学で勉強していた。

 けれども、それが普通でないことは知っていたし、過ぎた興味を嫌がる男性が多いことも知っていた。


 そんな彼女の内心を知らないトーマスはそれは良い、と続ける。


「実は今度、トレシアの有力貴族がこちらへ来ることになってね。本店を見てみたいと言っているのでできればシンシアもいてくれるとありがたい。どうかな」

「私はかまいませんが……しかしトレシア語はそれほどではありませんし、ご迷惑になるかも」

『このお茶は素晴らしいですね。特に香りが良い。新しいブレンドですか』


 突然のトレシア語に驚いたシンシアは、とっさにトレシア語で返す。


『えぇ、お褒めいただき光栄ですわ。ラベンダーを中心にいくつもハーブをブレンドしたそうで、ブリストルさんのおすすめだそうですわ』

「それだけ話せれば充分だな」


 そう笑うトーマスだが、一方のシンシアの顔は浮かない


「どうかしたか?」


 そう聞くトーマスにシンシアは目を伏せつつ答える。


「旦那様は……妻が商売に興味を持って、目障りだと思われませんの?」


 その言葉にトーマスは首をかしげる。


「……ブラッドリー商会は我が家そのものだ。その仕事にシンシアさんが興味を持ってくれるのは、むしろ歓迎すべきことだが……昔なにかあったのかい?」


 普段はあまり妻のプライベートや過去には触れない彼だが、流石に妻の変わった様子に疑問を持つ。


「えぇっ……と……そうですわね」


 一瞬言葉に詰まったシンシアだが、目線を上げた先にあった夫の目に促され、言葉を続けた。






 シンシアは子供の頃から家業に興味を持っていた。それはまだ幼い頃の遊び場がレイクトンの作業場であったことも関係しているだろう。


 しかし古くから続く田舎町であるリーンでは女が商売に関わるなんて、という意見のほうが圧倒的だった。

 教養としては身につけていても、女性らしいとされるファッションや芸術に興味を示せず、むしろ政治や経済に興味を示す彼女に、リーンの同世代の女性たちは「変な子」というレッテルを貼った。


 だが極めつけは彼女が愛するレイクトン商会での出来事だった。


 レイクトンの多少値ははるが、古くからのライセル王国の伝統を受け継いだ陶磁器。それに海の向こうの大陸での価値を見出そうとする、トレシア王国の商人がレイクトン家へ来たことがあった。


 交渉をするのはレイクトン商会が雇った人間だが、レイクトンの命運がかかった話、ということで父や母とともにシンシアはその商談に出席した。


 ところが主に国内と近隣のベロニア、フェンジェルベルあたりの商人としか話したことがないらしい商会の男は、もう少しで交渉がまとまる、というところで相手の言葉が理解できなかったらしく、言葉に詰まってしまった。


 重い沈黙が続く部屋で、独学である程度トレシア語を学んでいたシンシアは、とっさに商会の男が詰まった言葉を引き取り続けた。


 そこでなんとか我に返った商会の男は、すぐさまシンシアから会話の主導権を取り戻し、交渉を続けたのだが、結果としてはその話はお流れになってしまった。


 トレシアの商人が帰った後、重い空気の中で部屋を後にしようとした商会の男が、シンシアの側を通るときにこういったのだ。


「女が余計なことをしなければこうはならなかったものを」


 その場は耳ざとくその言葉を聞きつけた父が、


「自分の失態を娘に押し付ける気か」


 と激高し、男が逃げ帰ったことで有耶無耶になったが、男の言葉はシンシアの心に深く傷をつけた。

 実際、父にもレイクトンの商売には関わるなと言われていたのは事実だ。その言いつけを破ったことを反省したシンシアはそれ以降、父に付き添って商談に出るときでも、最小限しか話さないように努めていた。






「と、言うわけなので、旦那様は優しいから何もおっしゃらないだけで、私がお商売の邪魔となったらどうしようかと……」


 そう言って顔を伏せるシンシアだが、トーマスは不思議そうな顔をする。


「だが、シンシアさんの話を聞く限り、その話がお流れになったのはレイクトン商会の男が語学に疎かったからだろう。

 海の向こうの国々の中には独自の礼儀や習慣にうるさい国も多い。こちらの大陸のわりとよく使われる言語すら満足に話せない相手と、交渉したくなくなるのは理解出来るが……」


 その言葉を聞いてもまだうつむくシンシアに、トーマスは椅子から立ち上がって、顎に手をかけて上向かせる。


 二人の視線が交差すると、トーマスは彼女に言う。


「シンシアさんを商談の場に伴うのは私の意思だし、その方が良い結果を生むと思ったからそうしている。邪魔だったらすぐにそう伝えている」


 シンシアの視線が少しだけ上向いたのを見て、トーマスは少し微笑んでさらに続ける。


「シンシアさんは……あぁ……そのあれだ……屋敷のことについてすぐに覚えたし、使用人たちにも好かれている。

 商会のことについても、嫁いだばかりとしては充分すぎる働きをしている。だからもっと自信を持ちなさい。

 自信なさげにしているとそこを相手に掬われる。商人の妻なら自信を持って前を向きなさい」


 口調は厳しいが、優しい言葉にシンシアは前を向く。


「えぇ、旦那様。そうですわよね。なんだか心のつかえが取れたようですわ」


 そう言いながらいつもの笑顔を取り戻したシンシアは、そこでお茶を淹れている途中だったことを思い出したようだ。


「いけないわ。もう時間みたい。少しだけ渋くなってしまったかも知れませんわ」

「気にしない」


 ポットからお茶をカップに移してみると、少し色は濃いめだが、幸いそこまで濃くはなっていないようだ。

 これなら大丈夫と判断したシンシアはトーマスの前にカップを置く。トーマスは椅子に戻りお茶に口をつけた。


「仮にシンシアさんがトレシア語に詰まったとしてもーー他に失敗したとしても、私がフォローする。

 仮に商談が上手く行かなったとして、それをシンシアさんのせいにすることも、させることも絶対しないから安心すると良い」


 そのつぶやきに一瞬手を止めたシンシアは、


「ありがとうございます」


 とこちらも小さく呟いたのだった。

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