里帰りは悋気と共に 8
翌日の夜。アーシェリア準男爵家には、多くの人が集まっていた。
アーシェリア準男爵邸はレイクトン邸よりさらに古く、250年ほど前に建てられたという。その建物は全体的にどっしりとした風格がある。
きっとこういった雰囲気もティリアの人々に対しては武器になるだろう、そういったことを頭の隅で考えつつ、シンシアはフォークを動かしていた。
チャリティーを目的とした夜会、というのは王都でもよく開かれているものだ。寄付の目的は様々だが、今日の場合はこのあたり一帯の自然保護。
王都ほどではないにしろ、リーンにも工業化の波は押し寄せており、また今まで美しい風景を守り続けてきた名家の数々も、財力を失いつつある。
今回の夜会でも、ブラッドリー家を含め、いくつかの新興商人が呼ばれていた。
事実、先程まで行われていたチャリティーオークションでも、落札者の多くはそうした商人達だ。もちろん、トーマスも礼を失しない程度にお金を落としていた。
オークションの後は自然保護を謳う夜会らしく、リーン一帯で採れた食材を使った晩餐会。そして、その後は舞台を舞踏室へ移し、舞踏会へと流れ込む。
準男爵夫妻が一曲目のダンスを披露したところで、シンシアとトーマスは目で合図しあい、会場の中央へと進んだ。
爵位こそ持たないブラッドリー夫妻だが、片や王族御用達の有名商会長、片やリーンで一番と言われる名家の令嬢。
当然彼らには真ん中の特等席が開けられ、その分2人のダンスには多くの注目が集まる。
それでもさすがに王都での経験で慣れたシンシア。彼女は卒なくトーマスとのダンスを踊り終える。と、そこへ薔薇の香りを纏った女性が近寄ってきた。
「素晴らしいダンスでしたわ、ブラッドリーさん。ところで、もしよろしければ次のお相手。私を選んでいただけませんこと?」
妖艶な笑みを貼り付けてやってきたのはレンブル夫人。今日はやや大胆に胸元を開けた真っ赤なイブニングドレスだ。
ストンと身体の線を美しく見せるそれは、所々に薔薇の蔓の刺繍があしらわれており、自信に満ちた夫人の美しさを際立たせていた。
一方のシンシアはと言えば、落ち着いた水色のドレス。清楚さを押し出した可憐な意匠をシンシア気に入っていたが、レンブル夫人の装いの前では少々迫力に欠けるものだった。
「これはこれは……レンブル夫人。大変光栄なお申し出いただきありがとうございます」
「フフッ、でしょう? でしたら……」
「ですが……」
ただし、トーマスはそんなレンブル夫人に惑わされることなどない。
一度言葉を切ると、シンシアの細腰をギュッと抱き、自分の方へ抱き寄せてみせた。
「だ、旦那様!?」
「トーマスさん?」
「残念ですが、今日は3度目のダンスまでは妻と踊ると決めております。どうぞ他を当たってください」
「さ、3度って……」
はっきりと言い切るトーマスにレンブル夫人は、驚いたような呆れたような顔をする。
同じ相手とのダンスは3度まで、とは舞踏会の不問律。しかし、実際に3度も同じ相手と踊ることは少ない。あるとすれば、婚約したての若いカップルぐらいだろうか。
しかしトーマスは、巷で話題の恋愛小説のヒーローさながらに、甘くシンシアを見つめると、
「今日は妻を独り占めする、と決めておりますので」
と澄まして答えて見せた。
「ま、まあ……奥様と何度踊られようと結構ですが……にしたって限度があるのでは? あなただって仕事があるでしょう?」
商人にとっては人脈づくりも仕事の内。夜会はいわば職場のようなもの。レンブル夫人は顔をしかめてそう仄めかす。しかしそれもトーマスには、なんの嫌味にもならないようだった。
「ええ、もちろん、心得ておりますとも。しかし今日は充分義務も果たしましたから。……それに、妻を悪く言うような方との繋がり、というのもね」
後半は、そっと周りの人々に視線を流しながら言うトーマス。
先日の茶会でのことを、優秀な侍女はしっかりとトーマスへ報告している。これには会場の少なくない女性たちが、動揺を隠せないようだった。
「と、言うことでどうぞ、哀れな男のわがままを聞いてはいただけませんでしょうか? あなたもファーストダンスは夫と踊ると良い」
「ま、偉そうにーーでも、分かりましたわ。どうぞ、楽しい夜を」
結局レンブル夫人はそう言って、2人の前を去る。
トーマスの言う通り、夫と踊るのか? と思ったシンシアだったが、彼女はそうせず、ただダンスの輪を抜けてみせるだけだった。
「今になっての話だが……思い切りリーンの女性たちに喧嘩を売ってしまったな」
「えぇ。でも、私も旦那様と同じ気持ちですわ。味方していただけて嬉しかったです」
ゆったりとしたワルツにのせて、会場を回るトーマスとシンシア。先程の1度目のダンスと比べると、少しばかり2人の距離は近くなっている。
レンブル夫人がやってきた時から、シンシアの腰を抱く力が緩んでいないのは気付いていたが、シンシアは特に何も言わなかった。
「なんだか久しぶりですね。こうして2人でゆっくりと踊るの」
「あぁ、いつも大体夜会では話してばかりだからな」
王都の夜会ではついつい、商談に走りがちなトーマス。それは仕方がない、と分かっているシンシアだが、たまには寂しくなることもある。
だからこそ、この貴重なダンスの時間は無駄にしたくない。
ダンスの教本通りの几帳面な仕草でリードされれば、ふわり、ふわりと会場中の景色がゆっくりと回る。
幸福感に包まれながら、その景色を見ていたシンシアだが、ある人物を見つけて刹那思考が止まる。
彼女が見つけたのはレンブル夫人だ。
結局、ダンスの輪には入らなかったらしい。そんなレンブル夫人は、少し辛そうな表情で何処かを見つめている。
その視線の先には、誰かと踊るレンブル氏の姿があった。




