表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/39

里帰りは悋気と共に 5

「これから庭を散歩しないか?」


 シンシアがトーマスにそう声をかけられたのは、翌日の昼食を終えて、すぐのことだった。


「お庭……ですか?」

「あぁ、夕食前にはまた打ち合わせがあるからあまり遠出は出来ないが……午後に用事があると言った手前どこにも行かないのもな、と思ってな。それにせっかくならシンシアと何処かに出かけたい」

「まあ! でしたらご案内いたしますわ。きっと、いまならひなげしの花が見頃のはずです。少しお待ちになってくださいね」


 突然のことに目をパチパチと瞬かせたシンシア。しかしたとえ実家の庭だったとしても、トーマスと出かけられるのは嬉しい。

 それにレイクトン家の庭は、ちょっとしたピクニックが出来るくらいには広いのだ。シンシアは散歩用の服に着替えるべく、侍女とともに自室へと駆け戻った。


「リーンは絵になる街だ、とはよく聞くが本当に美しいな。まるで風景画の中を歩いているみたいだ」

「でしょう? 子供の頃は『どうして生活が苦しいのにこんな広い庭を持ち続けるのかしら?』と思ってましたけど……今考えれば両親に感謝ですわ」


 レイクトン家の庭は、歩いて1周するのに2時間はかかるぐらい広い。

 当然広い庭を維持するには費用もかかるのだが、シンシアの両親は庭師の数を減らすことも、手入れを杜撰にすることも決してしなかった。

 鉄道会社が庭の一部を買い取って別荘地にしたい、と言ってきたこともあったのだが、それもシンシアの両親はきっぱりと断った。


 シンシアはそんな両親に苛立ちめいた感情を抱いたこともあった。でも今は両親の気持ちも分かる。

 レイクトン家にとって、広く美しい庭は誇りなのだろう。事実、王国の中には、せっかくの美しい庭が取り壊されてしまっている屋敷が多い地域もあるのだという。


「あっ! 見て下さい、旦那様? リスの子供ですわ。お母さんも近くにいるのかしら……」

「どうだろう? もう少し近寄ってみるか」


 普段は良家の奥様らしく、トーマスにエスコートされて歩くシンシアだが、今日は反対にトーマスの腕を引くようにして歩いている。

 可愛らしい子リスを見つけてはしゃぐ姿に、トーマスは大きく顔を綻ばせた。


 レイクトン邸の庭の端は、敷地外にある森とつながっている。リスを追いかけて森までやってきてみれば、小川のせせらぎも遠くから聞こえてきた。その流れはそのまま、庭の中にある池へとつながっているのだ。


 こんな場所があると分かっているから、シンシアのドレスの丈はくるぶしほど。足元もブーツだ。

 森の中の道は草も石も多く歩きづらいが、子供の頃からここに通い慣れたシンシアにとってはなんの問題もなかった。


「旦那様? 大丈夫ですか?」

「あ、あぁ。一応外歩き用の靴で来たのだが……やっぱりこういうものは慣れだな」

「旦那様は王都生まれの王都育ちだっておっしゃってましたもんね」


 一方のトーマスはといえば、なれない泥道にやや苦戦しているらしい。

 うっかりどこかに足を取られたらしいトーマスの手をシンシアが引っ張り上げれば、少しだけ情けなさそうな顔で礼を言われた。


 うっかり敷地外に出てしまったら迷いかねない、と適当なところで引き返して、それから向かうのは屋敷の正面からでも見える丘。

 斜面にはシンシアが言っていた通り、ひなげしが満開となっている。


 そんな美しい花畑が見れる場所で、2人は芝生に腰をおろし、休憩することにした。


「フフッ……ごめんなさい、旦那様。きっと思っていた『庭を散歩』とは違いましたよね?」

「まあ……否定はしないが、でも楽しいよ。それにシンシアの子供時代が覗けるようで興味深い。一体どんなお転婆だったんだろう? ってね」

「まあ!? 至極品行方正なお嬢様でしたわよ。たまーに兄様と冒険もしましたけど……」

「その割には森の道が頭に入っていたようだが?」


 1年半ぶりの実家、という割にはシンシアの歩みには迷いがなかった。そのことをトーマスが指摘すればシンシアは


「もうっ、旦那様は意地悪ですわ!」


 と頬を膨らませて見せる。普段はあまり見せない子どもっぽい姿もまた可愛いらしく、トーマスはそれはそれは甘い視線でシンシアを見つめて見せた。


「あっ! そういえば旦那様? 夕食前に打ち合わせでしたね……ということはそろそろ戻らないと?」

「確かに……そうだな。本当はもう少しゆっくりしたいのだが仕方あるまい。シンシアもせっかくの里帰りなのに済まないな」

「いえ、我が家のために動いてくださってるのですもの。それにこうして一緒にお散歩出来てとっても楽しかったですわ」


 なんだかんだで汗をかいたし、森を歩いたから泥も跳ねているだろう。湯を浴びて、着替えなければ仕事にならない。

 そんな訳でシンシアは、トーマスが差し出してくれた手を取ると、小さく見える屋敷を目指してゆっくりと歩き始めたのだった。






 こうして午後のひとときを夫と共に楽しく過ごしたシンシア。しかし、そのご機嫌な気分はあまり長く続かなかった。


 原因はもちろんレンブル夫人。昨日よりも大胆なアフタヌーンドレスを身に着けた彼女は、これみよがしにトーマスへ流し目を送ってみせ、随分と積極的に彼に話しかける。そんな彼女にレンブル氏はというと、気が気でない様子ではあるようだが、特に何かを言うわけではなかった。


 これがもっとはっきりとした行動にでていたなら、シンシアも抗議しただろう。しかし、レンブル夫人ははっきりとトーマスを誘惑しているわけではない。「夫人の気にしすぎですわ」と言われてしまっては、と考えると、彼女に苦言を呈することも出来なかった。


 モヤモヤとした気分を抱えたまま寝室に帰ってきたシンシア。彼女はこのままでは眠れない、と安眠効果のあるカモミールのお茶を1人分淹れる。

 こんな日に限って、夫はレンブル氏との話が長引いているようだった。


 気分の晴れぬままカップを持て余すシンシア。

 と、不意にトン、トン、トンと彼女がいる寝室のドアがそっと叩かれた。


「シンシア? 入るよ」


 遅れて声をかけたのはトーマス。きっとすでにシンシアは眠っていると思っていたのだろう。彼の声は随分と抑えめだ。

 だからか、シンシアがベッドの上で身体を起こしているのを見て、トーマスはやや驚いたようだった。


「おや、まだ起きていたんだね」

「ええ、旦那様。少しティリア語の復習を……」


 トーマスはティリア商人との商談の件で、シンシアが寝室へ戻る直前に、レンブル氏に呼び止められていた。

 仕事で疲れているはずの夫を困らせたくないシンシアは、眠れない理由をぼやかすべく、手諌みに読んでいたティリア語の書物を掲げてみせた。


「そうか……勉強熱心なのはありがたいが、あまり根を詰めないようにな。ーーところでシンシア? 少し聞きたいのだが……」

「どうされました、旦那様?」


 なんだか微妙な表情をするトーマス。そんな彼にシンシアも何かあったのかしら? と少し不思議に思いつつ小首をかしげてみせた。


「シンシアは義母上とレンブル夫人とで、サロンにいたと思うのだが……もしかして酒がでたか?」

「お酒ですか? いえ……明日も早いですし、飲み物はお茶だけでしたわ。どうかしましたの?」

「いや、私はさっきまでレンブル氏が使っている書斎で話していたのだが、急にレンブル夫人が来てな……」

「まあ! お二人で話しているところにですか!? ……いえ、ごめんなさい、レンブルさんの部屋ですものね」


 広いレイクトン家では、部屋が有り余っている。そのうちの一つは、レンブル氏がここに滞在する際の書斎となっているのだという。

 書斎に呼び出してする話とはつまり仕事の話。そんな場所に夜遅くに来るなんて、と一瞬目を吊り上げたシンシアだが、慌てて口をつむぐ。

 レンブル夫人からすれば、トーマスがいるかなんてわからないはずだ。

 だいたい夜中に夫の書斎を突然訪問する、というのは褒められた行為ではないが、なんといってもシンシア自身がその常習犯だった。


「夫人はきっと私がいると思っていなかったんだろう。随分と酔っているようでな……思い切り躓いて、私のほうへ倒れ込んできた。

 咄嗟に支えたから何事もなかったものの……もちろん! 他意はない。すぐにレンブル氏に預けたし、咄嗟にとはいえ、レディに触れたことは2人に謝った」

「そ、そうですか……」


 夫の言葉を疑うつもりはないが、シンシアの心にはなんとなくモヤが残る。ただそれを夫にぶつけるのも、また違う気する。

 結局シンシアは、


「きっと私達と別れてからお酒を召し上がられたのですわ。怪我がなくて良かったです。私達もそろそろベッドにはいりましょう?」


 と微笑む。その言葉にほっと安堵の息をついたトーマス。

 彼はいつものお休みの挨拶を、とシンシアを抱き寄せようとするが、その腕はシンシアの腕によって阻まれた。


「ん? ……どうした?」

「い、いえ、違うんですの。違うの……」


 別にトーマスに抱き寄せられるのも、口付けられるのも嫌ではない。そう思っているはずなのに、身体が勝手に夫を拒絶し、シンシアは大きく首を振った。


「ああ、分かっている。どうした? 酒の匂いでもするか?」


 ほんの一瞬目を見開いたトーマスだが、すぐにそっとシンシアから一歩離れると、彼女を安心させるように微笑む。それはシンシアの好きな微笑みだ。


 早鐘のような鼓動が少し落ち着いたシンシアは、少し深呼吸し、それからゆっくりと口を開いた。


「違うんです。お酒ではなくて……香水の香りが……レンブル夫人がいつも使っている香りが旦那様から……」


 移り香といっても強いものではない。気付くか気づかないか、というレベルのものだ。きっと一緒に夜会に出たときなんかよりもずっとかすかな香り。

 だが、それでも今のシンシアには、夫からレンブル夫人の纏う薔薇の香りがすることが耐えられなかった。


「あ、あぁ……済まないシンシア。気付いてなかった。もう一度湯を使ってこよう。シンシアは先に休んでいてくれ」

「は、はい。旦那様」


 トーマスはあくまで優しく微笑み、部屋をそっと出ていくが、その声には少し張りがない。


 結婚して1年と少し。シンシアがここまで明確にトーマスを拒絶したのは始めてだ。


「どうしてなの……」


 シンシアは広いベッドに潜り込み、そっと呟く。それはレンブル夫人に向けたものか、それとも自分に向けたものかーー

 これでは眠れない、と思ったシンシアだが、昼の散歩は想像以上に身体を疲れさせていたらしい。

 彼女はいつの間にか浅い眠りの中。そんなシンシアの隣は、その日一晩中ぽっかりと空いたままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ