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里帰りは悋気と共に 2

 ティリア共和国はライセル王国から西へ向かって海を渡った先にある国だ。

 数百年までは存在すら知られていなかった土地だが、航海技術の発達により、こちらの大陸から人々が移り住むようになり、やがて国を開いた。

 今では、ライセルとトレシアといった大国と肩を並べるようになっており、なんなら経済力では2国を追い抜くのも時間の問題だと言われていた。


「ですがまた……どうしてティリアの方々がわざわざリーンへ?」


 リーンは景色こそ美しいが、言ってしまえば田舎町だ。シンシアからすれば、わざわざ海を超えて来る価値があるとは思えなかった。


「ティリアでは近年、前時代趣味とでも言うべきものが流行っているそうだ。ライセルならば女王陛下の御代以前。そういった時代のものがもてはやされているらしい」

「……なるほど。リーンにはまだそういったものが残ってますし、レイクトンの陶磁器は良くも悪くも昔ながらですね」

「あぁ。……古き良きライセルを感じたい、という訳だな」


 妻の故郷を評するのはなかなか難しいらしい。トーマスはやや苦い顔をしつつ、言葉を続けた。


「ちょうど1年程前、あるティリアの商人がリーンを訪れたそうだ。そこでレイクトンのティーカップを気に入ったらしい。そこから今回の商談へつながったということだ。

 今回は商人の家族も含め、十数人程でいらっしゃるらしい。義父上からは外国からのお客様のもてなし方について助言を求められている」

「確かに、リーンに外国の方がいらっしゃるのは珍しいですね。お父様が困っているのが目に浮かびます」

「手紙での助言だけでも充分だ、と義父上はおっしゃっているがせっかくの好機。私もできるだけのことはしたい。ーーと、いうのもあるが……」

「旦那様?」


 と、突然トーマスは少しばかりいたずらな表情をした。


「シンシアがこっちに来てから2人で遠出をしたことなどなかっただろう? 里帰りさえさせてやれてない。良い機会だと思ったんだ」

「旦那様! ……ですが、お仕事はよろしいのですか?」


 一緒に旅がしたい、というトーマスの言葉に破顔するシンシア。

 しかし、その表情はすぐに心配顔に変わる。商会長として日々忙しいトーマス。実家のことで余計な仕事を増やすだけでなく、長旅をさせてよいものか? 

 そんなことを思案するシンシアに、トーマスはにこりと笑い、そっと手の甲でシンシアの頬を撫でた。


「案ずることはない。このくらいどうにかなる。それよりも私がシンシアとリーンに行きたいんだ。どうかな?」


 そう言われてしまえば、シンシアの回答は一つしかなかった。


「でしたら……私も行きたいです。旦那様にリーンの素敵な場所をたくさん紹介したいですわ!」

「じゃあ、決まりだな。早速明日から予定の調整を始めよう。そうだな……昼過ぎくらいに事務所に来れるか?」

「ええ、構いませんわ。それまでに私と旦那様の社交の予定を整理しておきますわね」

「ありがとうシンシア、助かるよ」


 2人は視線を交わし、微笑み合う。

 結婚して始めての長期休暇、それに旅行。

 シンシアの鼓動は、否応なしに高まってくるのだった。






「……こんなに人がいるものなんですね。しかもこんな駅が他に2つもあるなんてびっくりです!」


 つい20年程前からライセル中に広がった鉄道網。ローグスには、ホームがいくつもある大きな駅が3つもある。

 トーマスとシンシアはそのうちの一つ、シュレンガム駅にやってきていた。


 この駅から伸びるのは王国の北へ向かう路線。

 シンシアの故郷リーンを通り、ライセル第三の都市フォールズへ、さらには北端にある炭鉱の街レームスまで伸びる。

 朝一番の駅は多くの乗客や、その見送りの者たちでごった返していた。


「そういえば……今まではどこに行くにせよ馬車だったな。危ないからしっかり私の腕につかまっていてくれ」

「分かりましたわ、旦那様」


 ライセルを走る列車の客室は、一等、二等、三等に分かれており、それぞれ利用する人々の社会階層は全く違う。3つの等級の客室はそもそも別の客車にあり、乗客同士がすれ違うこともない。

 ただ、列車が発着する駅は流石にそういう訳にもいかなかった。


 日々の生活で精一杯の労働者から、時に貴族まで同じ時間に同じホームを使う。それゆえに中上流以上の人の中には、鉄道というものを忌避する人も多い。

 シンシアの両親もそうで、彼女の数少ない遠出の記憶は、いずれも馬車の旅だった。


 一方、時にライセル中を飛び回るトーマスにとって、鉄道の旅は日常だ。

 朝一番の列車に乗る人でごった返す駅の混雑もなんのそののようで、スイスイと的確にシンシアを導いていく。

 そんなトーマスに手を引かれるまま、シンシアは一番右のホームに止められた列車へと乗り込んだ。


 列車には内廊下に沿っていくつも個室が並んでおり、トーマスはそのうちの1つのドアを開ける。促されるまま部屋に入ったシンシアは思わず感嘆の声を上げた。


「すごいですわ! 旦那様。これが列車の中なのですね。とっても豪華ですわ」

「この会社の看板列車だからな。この会社が持つ列車で、一番豪華なものが使われていると聞く」


 トーマスが予約したのは、ローグスを朝一番に出発し、翌日の昼にレームスに着く列車。

 王都と北部を結ぶ鉄道会社が、今一番早い汽車を使って運行する、花形の特急列車だった。


 シンシア達が列車に入り、十分程するとゆっくりと汽車が動き出す。街の中こそゆっくり走っていた列車だが、やがてその景色は飛ぶように流れ始めた。






「まあ……! 噂には聞いてましたが本当に早いのですね。馬車をあっという間に追い越していきます」

「最高速にもなれば馬車の3倍以上だからな。商売をする上ではなんともありがたい話だ。ほら、シンシア? もうすぐシェルヌ川を渡るぞ」


 トーマスがそう言っている内に、列車はなんとも立派な鉄橋を渡っていく。その様子にシンシアはまた目を丸くした。


「まあーー大きな橋ですわね! それにすごく綺麗な橋ですわ」


 王都で1、2を争う広さののシェルヌ川。ここを渡る鉄橋は、鉄道会社が威信にかけて作った自慢の橋。

 山形の囲いがいくつも並ぶその姿は、建造当初大きな話題となったものだった。


 それからも2人の旅は続く。サービスだ、と車掌が運んで着てくれたお茶がブラッドリーのもので嬉しくなっったり、美しい丘の続く景色に見惚れたり……

 王都からリーンまではおよそ7時間程。しかしシンシアは退屈というものを感じないまま、気づけばリーンの駅のホームに降り立っていたのだった。






「シンシア? 体は大丈夫か?」

「いえ、とっても楽しかったですわ、旦那様。体調も問題ありません。席は広かったですし、途中の駅で体を伸ばすこともできましたもの」

「そうか……なら良いが」

「ご安心ください! それよりも見てください、旦那様!」


 心配げなトーマスを尻目に、溌剌とした声のシンシア。そして彼女は、珍しく子供っぽい仕草で、夫の上着の袖を引っ張るのだった。


「これがリーンの街ですよ! 王都とは随分様子が違いますでしょう? ほら、あっちが風景画で有名なルッソベルーの丘ですーーって……旦那様はもう何度もリーンにいらしたことはあるのでしたね?」

「あぁ……けどこうしてゆっくり眺めてみるとまた違って見えるな。いつもは正直なところ、景色などあまり気にしていなかったから」

「もう! 旦那様ったらーー」


 そんなことを話しつつ、2人は駅の前の馬車止めへと向かう。と、そこでシンシアにとっては懐かしく、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「シンシア!」

「お兄様!?」


 よく通る声を駅前に響かせたのは、シンシアの兄のセドリックだ。その声を聞き、シンシアは思わず少し早足になった。


 少し古めかしい馬車の前に立つセドリックのところへ一直線に向かったシンシア。彼女はそのままの勢いで兄の胸に飛び込んだ


「お兄様が迎えに来てくれたのね!?」

「ああ、シンシア。本当は父さんが行きたがってたんだけど忙しくてね。母さんに『それどころじゃないでしょ?』って怒られて……それで僕がこの光栄な役割をいただくことになったんだ」


 そう言って、ややおどけた礼を見せるセドリック。母に叱られる父が目に浮かび、シンシアは思わずクスリと笑い声を零した。


 それから彼はシンシアを離し、やや後ろにいるトーマスに、今度は帽子を胸に当てて、きちんとした紳士の礼をする。

 トーマスもまた、帽子を脱いでそれに応えた。


「ブラッドリーさん。今日ははるばるお越しいただきありがとうございます。お力を貸していただけるということで、レイクトン一同大変感謝しております」

「いえ、こちらこそ長期間お世話になります。それに妻の里帰りをなかなか叶えられず申し訳ない」

「いえいえ……忙しいのはお互い様ですから……」


 トーマスとセドリックはほぼ同年代。しっかりと握手を交わすと、それからセドリックは「さて!」とトーマスとシンシアの方を仰ぎ見た。


「では、早速ですがレイクトン邸へ向かいましょうか。父と母が今か今かと待っております」

「フフッ、そうね」

「お願いします。義兄上」


 恐らく気もそぞろな両親(特に父)をあまり待たせるのも良くない。3人は旧式の馬車に乗り込み、リーン郊外にあるレイクトン家の屋敷を目指すのだった。

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