里帰りは悋気と共に 1
ライセル王国において『ブラッドリー商会』の名を知らない者はおそらくいない。
半ば冒険じみた航海をして、遠く東方からお茶を輸入することで莫大な富を築いた初代。
彼が起こした貿易会社は、やがて王国一の紅茶店として名を馳せるようになる。
初代同様に海を好み、世界中を旅して新たなお茶を開拓したのは2代目。
彼のお陰で商会は、市井の者から王族まで、誰もが満足出来る品揃えを誇るようになった。
そうして現在、商会の舵を取るのは3代目。
父や祖父と違い、3代目当主のトーマスは国内の販路を開拓し、同時に思わぬことで商会が揺らがぬよう、組織として骨組みを整えることに尽力する。
もっともそれはまだ道半ば。
そんな彼がとある名家から妻を迎えたのは、1年と少し前のことだった。
妻の名前はシンシア。彼女の生家の援助と引き換えにトーマスが求めたのは、何代も続く名家にしか持てない『格』。
歴史ある王国においては、いまだ新興商人扱いされるブラッドリー商会。彼等からすればそれは、喉から手が出るほど欲しいものなのだった。
そんな訳で政略結婚した2人。だが、結婚当初こそギクシャクしていた2人は、シンシアの努力もあり深い愛で結ばれる。
今やブラッドリー夫妻、といえばライセル経済界きってのおしどり夫婦。
そんな2人は本日、ライセル王国の王城で、なんとも固い笑みを作っていた。
「2人は新婚旅行にはいかないの?」
「残念ながら……商会が忙しく……」
「まあ! それはズバリ『言い訳』というものよ。そうは思わない? ブラッドリー夫人?」
「い、いえ、その……夫が常日頃忙しいのは事実ですし……私自身あまりあちこち外出する性分でもなく……」
気品ある微笑みを浮かべながら、ズバズバとした物言いをするのはライセルの第一王女、ソフィア。そんな彼女にブラッドリー夫妻はタジタジとなる。
そんな彼等を見かねたらしいのは、これまで後ろで控えていた彼女の侍女。彼女はそっと王女に近づくと、王女に小さな声で苦言を呈した。
「王女殿下……あまり他所の家のことに口を出すものではありません。それより本日の目的をお忘れになったのですか?」
「あっ!? そうだったわ。あのね、今度のトレシア訪問の時に、是非ともあなた達のピクニックバスケットを持ち込みたいの」
「ピクニック……にございますか?」
ピクニックといえば、今や大陸中で流行っている余暇の過ごし方だ。
豊かな自然の中で、食事やお茶を楽しむ。そんなピクニックに必要なもの一式を詰め込んだバスケットは、ライセルで今非常に熱いアイテムだ。
もちろんブラッドリー商会も、自慢のお茶に茶器や食器を合わせたバスケットを用意している。
「えぇ。ロルフ様がね、王室所有の森に連れて行ってくれるそうなの。だからせっかくなら私がお茶を淹れてさしあげたいなってーーシンシアさん? 教えて下さるわよね」
ロルフ様、とは王女の婚約者。ライセルとは海を隔てて北東に位置する大国、トレシア王国の第二王子だ。
婚約者にお茶を振る舞いたいという、可愛らしい気持ちはシンシアとしても是非応援したい。ただその指南役が自分となればまた話は別だ。
シンシアは内心冷や汗をかくが、もちろん断るわけにもいかない。そっと彼女がトーマスの方を伺うと、彼は「仕方ない」とばかりに頷いた。
「王女様のご希望とあれば……役不足にはございますが……」
「まあ、何を言ってるの? ライセル一の紅茶店の奥様よ。紅茶について請うならこれ以上ない師だわ」
「それは身に余るお言葉にございます……」
その後、結局シンシアは王女の前でお茶を淹れる様子を披露する羽目となる。
そうして彼女は、帰りの馬車の中でぐったりとした表情を浮かべるのだった。
「お疲れ様、シンシア。緊張しただろう?」
「は、はい……こちらに嫁いでいろいろ場数も踏んで来たつもりでしたが……まだまだですね」
「何を言う、シンシアは充分立派に振る舞ってくれていたよ」
トーマスはそう言いつつ、シンシアの髪をいたわるように優しく梳き、そしてそのまま肩を優しく抱き寄せる。
柔らかい手つきにこわばっていた体がほぐれていくのを感じたシンシアは、されるがままに夫のほうへそっと体を寄せた。
「ところでシンシア?」
「どうなさいましたか、旦那様?」
「実はその……決して王女殿下に言われたから、という訳ではないんだが……今度、リーンへ行かないか?」
「リーンへ? 私の実家にですか?」
リーンと言えば、ライセル王国の王都ローグスから汽車で半日程の場所にあるシンシアの故郷。シンシアは突然の提案に、疑問符を浮かべつつ夫を見上げた。
「ああ、そうだ。実は今朝、義父上から手紙が届いたんだ。なんでもティリアの商人団がリーンを訪れるらしい」
「ティリアの皆さまがわざわざリーンに!?」
思わず大声を上げたシンシアに、トーマスは「うむ」と1つ頷いてみせた。




