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我儘王女にご用心

「ブラッドリー夫人? こっちの商品は何かしら?」

「これはライセル王国にお茶が入ってきた当時のカップを再現したものですわ、お嬢様」


 ライセル王国の王都ローグス。目抜き通りたるブラニフ通りに面するブラッドリー商会の本店。

 そこではまだ15くらいの貴族令嬢を、彼女よりは年上の女性が案内していた。


 案内役を務めているのは、シンシア・ブラッドリー。ブラッドリー家の若奥様だ。嫁いで1年程経ち、その振る舞いも堂に入ってきた彼女。

 しかし今日のシンシアは笑顔を貼り付けつつも、内心で冷や汗をかき続けていた。


 なんといっても相手があまりにも高貴すぎる。

 そうーーシンシアの前で満面の笑みを浮かべるレディは、ただの貴族令嬢ではない。

 彼女の本当の身分は、ライセル王国の第一王女だった。


 事の起こりはつい先ほど。シンシアが本店のブレンダー達と話していると、突然随分と高貴な雰囲気を纏ったお嬢様が、たった一人お店を訪ねてきた。


 そっと様子を伺えば、彼女は紛れもなくライセルの第一王女ソフィア様。本来大勢ついているはずの侍女も護衛もいないその姿にシンシアは目を剥く。

 それでもなんとか彼女は平静を保ち、王女を店の奥へ招き入れた。


 そこで改めて、大きくドレスの裾を広げるお辞儀をしたシンシア。そんな彼女に王女は可愛らしく微笑み、


「フフフッ、驚かせてごめんなさいっーー今日はね、お忍びなの。だから、私のことはベルドウッド伯爵令嬢として扱ってちょうだい」


 とのたまったのだった。


 確かに言われてみれば、普段姿絵で見る王女様とは随分ドレスの印象が違う。髪も地毛とは違う色で、おそらくカツラで誤魔化しているのだろう。


 ただ、王女様のお顔というのはあまりにも有名。おそらく誰が見ても、彼女が王女の変装姿だということは一目瞭然だった。


「そ、その……お嬢様はどのような御用でこちらに?」

「そうね……お買い物よ。私ね、前からこのお店に来るのが夢だったの。だからねブラッドリー夫人? あなたにはこのお店を案内して欲しいの!」

「ご案内……それはもちろん、喜んでお受けいたしますが……お付きの方は……?」

「まあ! 嬉しいわ。ブラッドリー夫人。じゃあ、早速だけどあちらに飾ってあるものは何かしら?」


 王族ともなれば、たとえお忍びだろうと周りには侍女や護衛がついているものだ。

 彼らはどこにいるのか? と問いかけたシンシア。

 けれども王女様は、それをまるっと無視して、キラキラとした視線を店内へ向ける。


 結局シンシアはこっそりと店の従業員に夫と王城への伝言を頼む。

 それからまずは、王女様とともに店の中を回り始めるのだった。


 幸いと言うべきか、今日この場にいるお客様は『お忍びの王女様』の前で、どのような対応を取るべきかを理解しているらしい。


 表向きは世間知らずなお嬢様を微笑ましげに眺めつつ、視線が交わればそっと高位貴族にたいする礼をする。


 そんな周囲の視線を当然のように受け止めつつ、店内を回る王女様。

 そうして彼女は、天井まである高い棚の前で立ち止まった。


「まあ! すごい棚ね。ここには何が入っているのかしら?」

「こちらは我が商会で扱っているすべてのお茶のサンプルをしまってある棚でございますわ」

「全ての!? だからこんなに大きいのね」


 王女はシンシアの説明に頷き、目を輝かせて棚を隅から隅まで見渡す。その様子にシンシアは、自分が初めてこの場所を見たときのことを思い出した。


「こんなにたくさん引き出しがあったら、どこに何があるかわからなくなりそうだわ……ブラッドリー夫人はどう?」

「確かにそうにございますね。しかし収納には一定の規則がありまして、それを覚えれば、自ずとどこにどの茶葉があるか分かるようになっているのです」

「まあ……暗号みたいで面白いわ! 教えてもらうことは?」

「残念ですが、これは当商会の機密にございます」

「そう……残念」


 シンシアの言葉に王女は少し肩を落とすが、それ以上尋ねてはこない。

 そのことに少し安心しつつ、シンシアは代わりにとばかりに王女にある提案をした。


「もしよろしければお嬢様? ここから何かお出しして、お茶をお淹れしましょうか?」

「そうね……確かに少し喉が乾いたわ。お願いしようかしら」

「かしこまりました。お嬢様はどのようなお茶がお好みでしょうか」

「うーん……そうだわ! 私、あれが飲んで見たいわ、『ブラッドリー夫人のお気に入り』。あなたの旦那様がプレゼントしてくださったのでしょう?」

「そ、そうですね……ではご用意いたしましょう!」


 王女が口にしたのは、シンシアが嫁いで初めての誕生日に、トーマスが贈ってくれたブレンドティー。

 そのエピソードはライセル社交界中に広がっている。ただ、まさか王女の耳にまで入っているとは思わず、シンシアは思わず声を上ずらせた。


 それでもシンシアは、なんとか落ち着きを取り戻す。

 彼女はちょうど近くにいたロベルに茶葉をとってもらうように頼み、それから王女と共に、店の奥の応接スペースを目指した。


 ブラッドリー商会本店の奥には、お客様と商談するための応接室がある。その中には外部の目を完全に遮断できる個室もあり、シンシアはそこへ王女を案内した。


 おそらく今頃店内は安堵の息を吐いているだろう。とはいえシンシアは、いまだ緊張から解放されないままだった。


 2人が入室して程なくすると、落ち着いた物腰の老紳士が、ティーセットの載ったカートを押して応接室へ入ってくる。本店支配人のブライトだ。

 歴戦練磨の彼とはいえ、王族への対応ともなれば緊張するはず。けれどもさすがというべきか、ブライトにそんな様子はない。

 貴族顔負けの美しい礼を披露した彼は、帰りしなにそっとシンシアへ耳打ちをした。


「旦那様がもう半刻程でお戻りになります。それまで耐えて欲しいと……」


 とりあえず夫と連絡は着いたらしい。彼からの伝言に少しだけ胸を撫で下ろしつつ、シンシアはカートにのせられた白磁のポットを手に取った。


「あら!? ブラッドリー夫人が淹れてくださるの?」


 と、そこで素っ頓狂な声を上げたのは王女様だ。一瞬その声に戸惑ったシンシアだが、すぐにニコリと微笑んだ。


「はい。ーー確かに普通、中上流の婦人は自分でお茶を淹れたりしません。しかし私は昔からお茶を淹れるのが好きで、日頃から自分でお茶を淹れているのです。

 ……特に高貴なお客様をお迎えした時には、店の者に変わり、お茶をお淹れすることもございます」

「そうなのね……手を止めてしまったわ。続けてちょうだい」


 毎日何度もお茶を淹れているシンシアの動きは軽やかで迷いがない。流れるような仕草を王女は食い入るように見つめていた。


「どうぞ……お口に合いましたら光栄ですわ」


 美しい薔薇が描かれたカップ2つにお茶を注ぎ分けたシンシア。

 それから彼女はその片方を王女の前にそっと置き、それから間髪淹れずに、もう片方のカップをに口をつける。

 ふわりと香る春の香りに彼女が笑みを零したところで、王女もまたカップを持ち上げた。


「うーん……良い香り。ーー味もとっても美味しいわ。これは野いちごかしら?」

「はい、ふくよかな味わいの茶葉に故郷の野いちごの香りをつけております。他にもベリーやハーブをいくつか……」

「素敵なお茶ねーーこんなプレゼントを貰えるなんて羨ましいわ! ……私にもそんな素敵な方、現れないかしら?」

「王女様……?」


 お茶を絶賛したあと、王女様は不意に羨ましげにも切なげな表情をしてみせた。


「あら? それは『仲良しと噂の婚約者がいるのにどうしてそんなことを?』って顔ね」

「い、いえお嬢様……そのとおりにございます」

「フフッ……至極当然の疑問だし怒らないわよ、それぐらいじゃ」


 15歳のソフィア王女にはすでに婚約者がいる。海を渡った先の大国、トレシア王国の第二王子ルベルトだ。

 見目も性格も良い、と噂のルベルト王子。彼とソフィア王女はお互い一目惚れだ、ともっぱらの噂だった。


「確かに世間ではそう言われてるわ。でも実際は違うのーーいえ! 不仲ってわけではないから安心して。どちらかと言うと……それ以前の段階なのよね」

「つまり……まだ王子殿下と関係を築けていらっしゃらないと?」

「ええ。だって実際顔を合わせたのは外遊中にダンスを一度踊ったきりよ? 手紙だけじゃわからないことも多いし……」

「それで、今度トレシアをご訪問されるのですか?」

「ええそうよ。……でも、怖いの……」


 王女様はもうすぐ、トレシア王国を訪れることになっている。

 その主目的は婚約者と親交を深めること。そしてーー結婚について詳細を詰めることにある、と言われていた。


「友好国の王子との結婚よ。私と殿下の仲は嫌でも両国の関係の鏡になるわ。さすがに殿下と不仲になったからって、即戦争になったりはしないだろうけど……でもやっぱり、両国の関係にひびは入るでしょうね」

「そ、それは……否定できかねますが……」

「でもね、私は見ての通りの我儘王女よ。殿下に気に入ってもらえるかなんてわからないし……私が殿下を愛せるかも分からないじゃない?」


 店に入ってからずっと無邪気な様子だった王女。

 けれどもそれは、きっと不安の裏返しだったのだろう。15歳の少女なら当然の不安に瞳を揺らす彼女。

 シンシアは慎重に言葉を選ぶべく、少しだけ目を閉じた。


「私自身……恋愛に関する経験は多くございません。ただ、王女殿下に私などがご助言申し上げる無礼を許していただけるなら……愛、というのは様々な形があるものにございます」

「……どういうことかしら?」

「恋愛物語のようにお互い身を焦がすような愛もあれば、同じ目的を持つ者同士、深く尊敬しあうのもまた愛でしょう。

 同じ趣味を持ち、何刻でも語り合える関係もまた愛と存じます。王女様なりに殿下と想い合うことが出来れば良いのではないか? と愚考いたします」


 シンシアの言葉にゆっくりと頷く王女。それから少し何かを考えると、「じゃあ……」とまた口を開いた。


「夫人にとっての愛はどんなものかしら? 今挙げた内に入っている?」

「私は……旦那様のいない人生など考えられませんし、旦那様のことをこの店を導く同志として尊敬しております。

 旦那様と過ごすお茶の時間は、この世の何にも代えがたい楽しい時間ですわ」

「まあ! しっかり惚気られちゃったわねーーでもなんだか安心したわ」


 シンシアとしては、問われるがままに答えただけ。ただよく考えれば確かに惚気だろう。

 そのことにシンシアは今更ながら顔を赤くしたが、王女の表情は晴れやかだった。


 憂いが溶けたようなら何より。シンシアもそう思い自分を落ち着かせるように、カップに手を伸ばす。

 と、そこでトン、トン、トンとリズムよく応接室のドアが叩かれた。


「旦那様!?」

「ああ、そうだ。入っても良いかい?」


 その声にシンシアはドアを開ける。その向こうには、シンシアの夫でブラッドリー商会の商会長トーマス。そして、さらにその後ろには、軍服姿の男の姿も複数見えた。


「ご機嫌うるわしく存じます王女殿下。この度は当店に足をお運びいただく名誉を賜り、心より感謝いたします。ーーただ、次回からは是非、先触れを入れていただきたく……」


 ライセルの王太子と懇意にしているトーマスは王女とも面識があるらしい。

 そんな彼の礼は恭しく、言葉は丁寧。けれども、その表情は全く笑っていなかった。


「あら、ごめんなさい。近くて安全な場所って考えたらちょうどここが思い浮かんで……」

「思い浮かんで……ではありません! こんのバカ王女! どれだけの人にご迷惑をおかけしたか!」

「ひぃっ! り、リチャードもいるの?」


 トーマスの言葉には飄々としていた王女。だがそれに続いて落ちた雷には、文字通り飛び上がった。


 その迫力に思わずシンシアまでビクッと固まると、いつの間にか傍に来ていたトーマスが、


「王女殿下の護衛をする近衛小隊の長だった男だ。今は出世したが……王女殿下の天敵とも呼ばれている」


 と囁く。一方王女はというと、青筋を立てたリチャードによって引っ立てられていた。


「さあ! 王女殿下、帰りますよ! 女王陛下も大層お怒りです」

「お母様もご存知なの!? ーーわ、分かったわ、素直に怒られるから……でもその前に2人と少しだけ話させてちょうだい!」


 首根っこを押さえられた王女様。しかしリチャードに何かを必死に訴えると、スススっとシンシアの傍へやってきた。


「ブラッドリー夫人。今日は迷惑をかけてしまってごめんなさい。ーーお店の方も困られたわよね」

「いえ王女殿下。迷惑など……私どもはいつ何時、どんなお客様でも歓迎いたします」

「妻の申すとおりにございます……先触れはいただきたいですが……」


 シンシアに同意しつつ、チクリと王女を牽制するトーマス。そんな彼にシンシアは「何言ってるの?」とばかりに苦笑いする。

 そんな2人のやり取りを見て、少しだけ羨ましそうにしつつ、王女は改めて夫妻に向き直った。


「分かったわ。これからはきちんと計画を立ててお忍びをしましょう。そうしたら……またお伺いして良いかしら」

「「ええ、もちろん。心よりお待ちしております」」


 ピタリと息を合わせて応えるブラッドリー夫妻に王女は満足げに頷く。

 そうして夫妻や店員達の美しい礼に見送られ、なんとも我儘な王女様はお店を後にしたのだった。


「初めてお会いしましたが……とても楽しい方でしたね」

「……あれを『楽しい方』と形容できるのはシンシアくらいだよ……」


 馬車が完全に見えなくなったところで店に戻る2人。一時はざわざわとしていた店の中だが、すでにそこはいつもの静寂を取り戻していた。


「それにしても……本当によくやってくれたね、シンシア。店の者達にも賞与を与えなければーー」

「ええ、そうですわね。みんなのおかげですわ」


 お忍びの王女様、などというとんでもないお客様を、何の前触れもなく迎えた店。しかし、結局大した混乱はおきなかった。

 そのことに2人はホッと胸を撫で下ろし、いつもと同じように働く従業員達に、そっと感謝の笑みを投げたのだった。


 ーーそれから数日後。ブラッドリー商会には第一王女と、さらに女王からも直筆の詫びの手紙が届き、一同を大いに慌てさせるのだった。

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