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ポットのためのもう一杯  作者: 五条葵
2人のその後
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エピローグ

 ローグスを代表する紅茶店、ブラッドリー商会。その若き当主が妻を迎えてから、短くはない年月が経った。


 その間にいろいろなことが変わっている。社会も国も変わったし、当然お茶も様々な流行が出来てはまた消える。


 商会について言えば、トーマスはその功績が認められ一代貴族の称号をついにもらうことになる。ブラッドリー家はサー・ブラッドリーとして、名実共に上流階級の仲間入りをした。


 貴族位授与の主な理由は「長年の誠実な商売による、ローグス経済と喫茶文化の発展への寄与」

 もっともトーマスなどは「要は王家に多額の金を収めたってことだな」とそっけない。


 とは言え貴族位はただお金持ちなだけでもらえるものでもない。

 その重圧に一時期負けそうになったシンシア。けれどもトーマスの励ましや、アデルを始めとした友人の支えで乗り越え、今や立派な貴族夫人として振る舞っている。


 王族への拝謁も果たした。

 確実に人生一だろうという程緊張したが、女王陛下は噂に違わぬ慈悲深い方で、シンシアを安堵させた。


 そんなブラッドリー家のもう一つの変化は家族が増えたことだろう。ブラッドリー夫妻は3人の娘に恵まれ、彼女達に付く使用人も含めると、屋敷はかなり賑やかになった。


 淡い日差しが温かい初夏の休日の昼下がり。書斎で書類に目を通していたトーマスは、時折文字を追うのと同じくらい真剣に懐中時計に目をやり、補佐をするブラウンの息子ポールは笑いをこらえている。

 ここがブラウンなら遠慮なく笑って、皮肉の一つも言われたかもしれないが、ポールはまだそこまでの域には達していない。そしてトーマスが何回目かに時計を見た時、トントントンっと、とても軽いノックの音がした。


 以前であれば、こんな音はシンシアのものだったのだが今はそうとは限らない。事実「どうしたんだい」と優しく聞く声に帰ってきたのは


「お父様、お茶の準備ができましたよ」


 という可愛らしい声。トーマス自身がドアを開けると、そこには四葉のクローバーの絵が描かれた缶を抱きしめた、長女グレースが部屋に入ってくる。その後ろでカートを押す女性は、もちろん彼の妻シンシアだ。


 まだ大きくはない手のひらで缶を握りしめる姿は、誰から見ても可愛らしく、トーマスはその姿に目を細める。両親や屋敷の人びとの愛情を目一杯受けて、三姉妹はすくすくと成長していた。


「今日は私がお茶を淹れるのよ」

「そうか。それは楽しみだな」


 穏やかに微笑み、娘と視線を合わせる夫を見ながらシンシアは頬を緩める。さすが紅茶店の娘というべきか、グレースは幼い頃からシンシアがお茶を淹れるのに興味津々だった。


 お母様みたいに私もお父様にお茶を淹れるの、と言う娘とお茶を淹れる練習をし、その腕も上達したところで、今日はそのお披露目なのだ。


 まだ幼さも残るグレースは、真剣な眼差しでティースプーンを手に取り、ポットの蓋を開ける。そして缶の蓋も開けると、穏やかで、そしてシンシアのそれより少し高いメロディーが流れた。


「この一杯はお父様のために、この一杯はお母様のために、この一杯は私のために、もう一杯はポットのために」


 そうして危ないから、とシンシアがポットに湯を注いであげると、砂時計をひっくり返す。そうしてからトーマスの方を向いた。


「お母様に教えてもらった美味しいお茶を淹れる呪文なの。お父様も知ってる? ポットさんもお茶が大好きなんだって」

「あぁもちろんだとも。私もいつもそうやってお茶を淹れているよ」


 そう言いつつ、シンシアに視線を合わせる。きっとこの歌も教えているだろうと思ったが、ポットもお茶が好きの話は知らない。おそらく娘に教えるときに分かりやすくするためそう話したのだろう。


 娘に話しかける妻の姿も可愛らしいだろう、そんなことを思いつつ、トーマスは砂時計をじっと見つめる娘の姿を見守る。


 砂時計が落ちきればお茶が入った合図。シンシアが手を添えつつ、並んだカップに均等になるようにお茶を注いでいく。

 上手く同じ量を注げたらしい、満足げな笑みを浮かべたグレースはソーサごとそぉーっとカップを持ち上げ、トーマスの元へ運んでくれる。


「お父様、お茶が入りました。休憩にしましょう?」


 シンシアの口癖を真似た少し大人びた口調にくすっとしつつ


「あぁそうだね、ありがとう」


 と言い、そしてカップを手に取る。グレースは期待半分、心配半分といった様子。一口お茶を飲むと、お茶の香りが口いっぱいに広がり、トーマスは顔をほころばせた。


「美味しいよ、グレース。さすがシンシアの娘だ」


 そう言ってよく出来ました、というようにポンポンっと頭を撫でると、それは嬉しそうに母親のほうへ戻り何やら報告している。


 そして今度はシンシアもお茶を一口飲み、彼女もまた娘の頭を優しく撫でる。そんな彼女とトーマスは視線を合わせ微笑みを交わした。


 そんな穏やかな時間を過ごしていると、今度は控えめなノックの音が聞こえる。シンシアがドアを開けると、そこにはナニーに連れられた次女エステルと三女リシェルの姿。


「グレース様がお茶を淹れに書斎を訪問すると聞いてどうしてもとおっしゃって……」


 まだ幼い次女三女は家族だけのものでもお茶会に交じるにはまだ早い。しかしトーマスは顔をほころばせると、手を広げ二人の娘を呼び寄せた。


「構わないですよ。さあグレース、エステル、リシェル、それにシンシアもあらためてお茶にしよう」


 そう言うと、そばに来た二人の手を引いて大きなソファに座らせる。グレースと彼女と手を繋いだシンシアもソファに座り、エステルとリシェルの前にはミルク、他の3人の前には先程淹れたお茶のカップが置かれる。


 優しい夫と可愛い子どもたち。そしてみんなで飲む美味しいお茶。この家に嫁いだときには想像していなかった幸せを噛み締めながらお茶をしていると、カップの中はあっという間に空になる。


「シンシア? せっかくだしもう一杯淹れてくれるかい」

「もちろんですわ」


 幼いグレースはあまりたくさんお茶を飲むわけにいかないから、今度はミルクにすることにして、シンシアはポットを手に取る。狂いなく準備をしつつ、シンシアはこの家で初めてお茶を淹れた日を思い起こす。

 今考えても結構な無鉄砲だ。だがあれがあったから今がある、とも言える。


 優しい夫に可愛い子どもたち。ここに来た時は想像していなかった幸福な情景がここにはある。そして自分とトーマスを繋いだのは、間違いなく紅茶とあの呪文だ。


「この一杯はあなたのために」


 その呪文は美味しい紅茶をいれるだけのものではなかったらしい。そう思いながら、シンシアは優しくみんなに笑いかけた。

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