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噂自体は放って置いても、じきに収まるだろうと思っていたシンシア。トーマスも対策を打つと言ってくれている。
ただそれはそれとして、シンシアはアーシェル子爵夫人とトーマスの関係について気になっていた。
シンシアはこちらに嫁ぐまで彼女との関係を持っていなかった。そう考えると、過去に彼女とトーマスの間でなにかあった、と考える方が腑に落ちる。
今日のボルドー公爵夫人の含みを持った言葉も、シンシアの疑念を確信に変えた。
ところがトーマスは彼女のことについては頑なに口を閉ざしていた。子爵夫人のことについて報告した際に、彼女となにか会ったのか聞いてみたシンシア。
けれどもトーマスはあなたが気にすることではない、とはぐらかされるばかりだった。そして彼女の話になると、決まって分かりやすく話を切り上げられ、聞くことが出来ないのだ。
これではいつまで立っても真相にたどり着くことが出来ない。そう感じたシンシアは、別の方向から彼の秘密を探ることとした。
「いえ。特にアーシェル子爵夫人とトーマス様の関係については存じ上げませんね。取引先としてお互い見知っているでしょうが、それ以上の関係はないのではないでしょうか?」
シンシアが考えたのは、ブラッドリー家の使用人や、商会の従業員達に話を聞くこと。長くこの家に仕える彼等なら何か知っているのではないか? と思ったのだ。
まず手始めに尋ねてみたのは、長くこの屋敷の差配を一手に引き受ける、執事のブラウンだ。
しかし、シンシアの目論見は外れ、ブラウンは表情一つ変えずにそう言い切った。それが本当に知らないのか、夫に止められているのかは彼の表情や声音からは推し量れない。ただ、仮になにか知っていても教えない、という姿勢はありありと伝わってきた。
他に知っていそうな人はいないか? と聞いてみても、分からないの一点張り。この家で一番トーマスのことに詳しそうな彼のそんな様子に、シンシアは肩を落とした。
ブラウンが駄目ならば、と他の使用人たちにも聞いてみたが結果は同じだった。
ブラウンと同じく古くから仕えるメイドのミセスリード、料理長に馬丁まで聞いて回ったが、皆アーシェル子爵夫人とブラッドリー家の関係については知らない、というばかり。なにか噂でも知らないかと思い、代替わりした後に雇われた者達にも聞いてみたが、彼等もまた何も知らなかった。
それなら、と今度はブラッドリー商会の従業員達に尋ねてみたが、それも徒労に終わった。
皆、アーシェル子爵家を取引先として認識はしていたが、トーマスとのプライベートでなにかあったかについては、誰も知らないようだった。
とはいえ、あのアーシェル子爵夫人の行動は裏があるとしか思えない。
使用人や従業員が揃いに揃って何も知らない、心当たりもない、というのも腑に落ちない。やはりもう一度トーマスにきいてみるべきか。そうシンシアが悩んでいると、不意に自室のドアが高い音でノックされた。
「トーマスだ! シンシア? いるんだろう」
その声に、シンシアはドアを開ける。シンシアはほとんど毎晩書斎にお茶を淹れに行っているが夫のほうが自分を尋ねてくることは滅多にない。
どうしたのだろうか? と首をかしげるシンシアの瞳に写ったのは、これまでにない厳しい表情の夫だった。
「アーシェル子爵夫人の過去について探っているようだな」
そういうトーマスの声は低く怒気を帯び、いら立ちを隠そうともしない。
普段から愛想はあまりないとは言え、シンシアに怒りの感情を向けることもなかった夫。その様子に当てられ、シンシアは言葉を紡げなくなる。
もっとも回答を期待していたわけでもないのだろう。トーマスはさらに続けた。
「シンシアが我が家の使用人や、商会の従業員たちに彼女のことを聞いて回っているのは知っている。彼女のことは放っておけと言わなかったか?」
確かにそう言われた。しかし、あまりにも彼女の悪意は不自然で、なにかあるとしか思えない。
それにアデルやボルドー公爵夫人の言葉からはトーマスの過去にも「なにか」があったことが推測できた。そしてその「なにか」を乗り越えない限り、自分とトーマスはほんとうの意味で夫婦にはなれないことも。
「シンシアは賢い女性だから、こういったことはしないと思っていたのだがな……がっかりだ。私が彼女と関係でも持っていると邪推したか? 私はそんな男だとシンシアに思われていたのか」
その言葉にシンシアは自分の失敗を悟る。トーマスは怒ってもいるが、傷ついてもいるのだ。自分の知られたくない過去を勝手に暴かれようとして……それも一応妻として信頼していた女性に、その信頼を裏切られて。
こんなことになるなら知らないままで良かったのだ。そう後悔するシンシアにトーマスは畳み掛ける。
「シンシアが私の過去を知る必要はない。アーシェル家とは何もない、その認識で充分だ。でしゃばるな。ブラッドリー家の妻としてふさわしい行動をしろ」
トーマスは段々とその声が熱を帯びているのには気付いていたが、止めることは出来なかった。商談の場ではどれ程興奮しても、冷静な仮面をかぶることが出来るのに、今日は感情の高ぶりを制御できない。
彼を止めることが出来たであろうブラウンを連れてこなかったのも、後から考えれば失敗だった。
「ご、ごめんなさい、旦那様」
言い過ぎたと気付いたのは、シンシアが完全に泣き崩れた声でトーマスの横を走り去り、女性らしい部屋に一人彼が残された後のことだった。




