三話目 部長との勝負
放課後。
かすかに埃臭い将棋同好会に、また入ることになるとは。
「ルールはさっき言った通りだ。今回はどうぶつしょうぎじゃなくて、将棋盤と駒を使ってやる。もう銀と金の動きはわかるだろ?持ち時間は10分に秒読み30秒だ」
寺川はそういうと、並べた駒のうち寺川の陣の歩を5枚取ると手でしゃかしゃかと振った。
結果は『歩』が3枚、『と』が2枚。寺川の先手となった。
「よろしくお願いします」
寺川は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
武史も頭を下げた。寺川のような金髪ピアス野郎でも挨拶はしっかりするんだな、と武史は思った。
寺川が秒読みのボタンを押すと電子音で「ヨロシクオネガイシマス」と機械が言った・
1手目▲77歩
寺川は甲高いパチっと、木片が盤に打たれた音をさせて一手目を宣言した。
77歩は前回、丸井が差した手と同じ角道を開ける手だ。
2手目、武史の指し手は△44歩。
またしてもパックマンである。
しかし、今回のパックマンは偶然ではない。
きちんとネットでパックマン定跡を学んでから来ている
武史は数学のグラフ作成ソフトで普段遊んでいるのもあって、将棋の符号を読むことになんの違和感もなかった。また、本に載っている途中図までの駒の動きも、いつも頭の体操でやっている脳内積分に比べたら簡単であった。
さあ、パックマンに乗ってこい。
武史は意気込んた。
しかし、3手目、寺川の手は▲26歩だった。
パックリと歩を取ってくれなかったのである。
こうなると、パックマンはやれそうにない。
棋は対話なり。
とはよく言ったもので、今回、武史がパックマンをやりたいのですが、と伺いをたてたのに対し、寺川は拒否したのである。武史としては折角用意していた奇襲だけに拍子抜けした。(乗ってこねえのかよ。)
武史は仕方なく△34歩を指した。
一応、四間飛車も少しは勉強してきた。
そう、昨晩、武史はさらにどっぷりと将棋アプリにはまっていた。課金をして、設定をすごく強いにして、四間飛車も指していたのだ。大体初段〜二段までなら一発入り、三段、四段には勝てない程度ではあったが、自信を持つことができた。武史は寺川の実力がどんなものかは知らないが、勝てるつもりでいた。
以下の進行は▲48銀△42飛▲68玉△72銀▲78玉△94歩▲96歩△62玉▲56歩△71玉▲58金右△32銀▲68銀△82玉▲57銀左△52金左▲36歩△54歩▲68金上△64歩となった。
武史としては四間飛車に振り、覚えたての美濃囲いに組めたので、ひと満足といったところだ。
ところが、次の一手が意外だった。▲38飛
武史が将棋アプリで対戦してきた、これまでの相手は大体▲37桂馬だったので、この手を指されて、(なるほど?)と思った。
と、そこで、将棋部のドアが開いた。
「いや〜おまたせ、おまたせ」
丸井だ。
丸井はいつも少し遅れてやってくる。
そして盤面を覗いて桜にだけこっそりと言った。
「鷺宮定跡だね」
「ですね」
鷺宮定跡はプロ棋士の青野照市が創案し、米長邦雄永世棋聖がタイトル戦で連続採用したことで広まった戦法である。
この定跡は、四間飛車側はごく自然に駒組みを行えるので、パックマン定跡のようにロープの上を歩くような緊張感はない。事実、武史もここまで特に気を使わずに、自然と駒組みを行っていた。
(ノーマル四間飛車に対して、鷺宮定跡をぶつける。誠、本気だ…)
丸井は寺川の本気度に内心驚いた。
△45歩▲33角成△同銀▲31角△65歩▲77桂△44角▲42角成△同金▲28飛△55歩▲37桂△56歩▲同銀△66歩▲同歩△35歩▲同歩△46歩▲同歩△35角▲47銀△34銀▲54歩△32金▲36歩△71角▲45桂△52歩
我慢の歩打ちだった。ここから逆転の目はないか、武史は盤面を舐めるように見た。
▲41飛△31金▲24歩△同歩▲同飛△23銀▲29飛△26歩▲22歩△同金▲31飛成△44角▲57銀△32銀▲35歩△43銀▲23歩△32金▲21龍△31金
『金底の歩、岩より堅し』という格言通りの一手だった。ただ、武史は知らずに打っていたが。
▲36桂△55角▲53歩成△同歩▲56歩△27歩成▲同飛△12角▲同龍△同香▲55歩△39飛▲22歩成△42金▲88角
実に渋い一手だった。玉の底が弱いからと言って、角を打つとは思わなかった。武史は真綿で首を閉められている感覚に陥った。
△19飛成▲23飛成△49龍▲34歩△32歩▲12と△52金▲44香△84香▲43香成△同金左▲62銀△71香▲21龍△41歩▲22と△29龍▲65桂△87香成▲同玉△61歩▲71銀成△同玉▲78玉△85銀▲77香△82玉▲87香△74銀▲12龍△34金▲32と△45桂▲41と△35桂▲45歩△47桂▲同金△89銀▲67玉△42歩▲64桂△63銀▲72桂成△同銀▲42龍△62桂▲53桂成△52歩▲同龍△49龍▲71銀△同玉▲62成桂△同歩▲63桂△同銀▲61金△82玉▲71角△92玉▲82金△93玉▲83香成
「…指す手がないですね。」
武史は盤面を何度も確認すると、言った。
残り時間は武史が3分、寺川は8分も残っていた。時間でも大差だ。
「そういうときは負けましたって言うんだよ。」
丸井が武史にそっと耳打ちした。
「…」
言いたくなかった。
負けました?それは見たらわかるじゃないか。確かプロの棋士だと詰まされる前に投了といって負けを宣言することがあるらしいが、今回は最後まで詰まされているのだから、言う必要はないじゃないか。それじゃまるで泣きっ面に蜂だ。
武史が黙りこくっていると、桜が肩をぽんと押し出した。
「負けました」
武史はしぼるように声を出した。
「ありがとうございました」
寺川はそう言って、
「感想戦するぞ」
寺川は最初の陣に戻してから初手から武史の分まで駒を動かし始めた。
そして、ここの手がどうだとか、そういった解説をしてくれた。
しかし、武史には正直そんな気分ではなかった。ぼんやりと「はあ」とか「なるほど」とか答えていたが、がっくりしていたのであんまり聞いていなかった。
将棋をしっかりと勉強している人と勝負をして、一夜漬けの武史が勝てるほど将棋が甘くないことを知った。
「お前は強くなるよ」
ただ、どういった会話の流れだったかわからないが、寺川が言ったその一言が妙に頭に残り続けた。




