ななみちゃんのお母さんの口癖
ななみちゃんとお母さんはスーパーにやって来ました。家計を預かるお母さんは、無駄遣いすることなく、上手なお買い物をすることが目標です。ななみちゃんはお母さんが衝動買いに走らないよう、また店内を走らないよう、厳しく目を光らせます。
「なな、なんですと!?」
「どうしたの? お母さん」
お店に入ってすぐのところで、お母さんが何やら驚いています。
「なな、なんと、バナナが77円ですって!」
本日特売価格のバナナに、お母さんは鼻息も荒く、大興奮です。
「やったー! お母さん、買って、買って!」
バナナが大好物のななみちゃんは、ぴょんぴょん飛び跳ね、手放しで大喜び。
「ね、バナナさんも、ななみに食べてほしいよね?」
ななみちゃんはバナナに話し掛けるくらい、バナナのことが大好きなのです。
「うん、バナナはななみちゃんのことが大好きばなな、ななみちゃんに沢山食べてほしいばなな」
一人二役を華麗にこなし、素早い身のこなしでバナナ前のスペースをお母さんに譲ります。
「うん、うん、そうよね、そうよね。さぁ、バナナさん、お母さんのカゴの中にお入りなさい」
導かれるように足を踏み出し、バナナの陳列棚に近付くお母さん。ななみちゃんはお母さんの説得に見事成功したようです。
ちょっぴり過保護なお母さんは、優しく両手でそろりとバナナを持ち上げて、カートの上の買い物カゴの中にそおっと入れてあげました。
ななみちゃんはにいっこにこ。
「なな、なんてこった!」
「どうしたの? お母さん」
ほんの少し進んだ、小玉のスイカのすぐ側で、またお母さんが固まってしまいました。
「立派な梨が、なな、なんと、777円ですって!」
それはあたご梨という、大きな大きな梨でした。小玉スイカの大きさとそう変わりません。
「お母さん、買ってくれるの?」
期待を瞳に込め、お母さんを覗き込むななみちゃん。
ですが、お母さんは横にぷるぷると首を振るばかり。
「お安いのよ、確かにお安いの。でもね、お母さんには……我が家には……お高いのよ」
涙に近い目薬のような涙を目尻に浮かべ、お母さんは苦渋の決断をくだします。
「さあ、ななみちゃん。立派な梨さんとお別れしましょう」
「……はい、お母さん。……立派な梨さん、またいつか、ななみがうんとお金を稼ぐようになったら、立派な梨さんを買って、おうちに連れて帰って果物ナイフで皮を剥いて食べてあげるからね」
やっとのことで果物が並ぶコーナーを抜け、お野菜、加工食品、お魚、お肉のコーナーなど、店内をゆっくりと進みます。2人のお買い物はまだ続くのです。
「あ、お母さん。コンソメ、これじゃない?」
お母さんのお買い物メモはななみちゃんからの母の日プレゼント。新聞広告の中から片面印刷のものを残して集めておいて、ハサミで同じ大きさになるよう切り揃えたものです。
お母さんはその紙の1枚に、今日スーパーで買う物を書き出していました。
コンソメ、確かに書いてあります!
「うーん、それもコンソメだけれど、お母さんが買いたいのはキューブじゃなくて、粉なのよね」
コンソメはコンソメでも違ったみたい。
お母さんの真似をするななみちゃん。
「なな、なんですと!?」
ごつん。頭の上にゲンコツが降ってきました。
ななみちゃんがよしよし痛かったねと言いながら自分の頭をなでていると、店内のスピーカーからザラザラとした雑音が聞こえてきました。
「な、な、マイクテスト、マイクテスト。な、な、マイクテスト、マイクテスト」
とてもわざとらしいマイクテストです。
「えー、なー、なー、ご来店の皆さま、本日もスーパーななほしをご利用くださいまして、誠に有り難うございます。7のつく日、17時から、7分間限定のタイムセール、タイムセール。スーパーななほし店頭、特設コーナーにおきまして、古米の北海道産ななつぼし7キロを、驚きの七割引、七割引で大ご奉仕いたします」
「ななみちゃん行くわよ、ななみちゃん、急いで」
「新米じゃないよ?」
「だって七割引なのよ!? ほら走って」
「仁多米じゃないよ?」
ななみちゃんのおじいちゃん、つまり、ななみちゃんのお母さんのお父さんは、遠く離れた山の陰に住んでいます。
施設に入る前、今よりもまだ元気だった頃は、とても美味しいお米を作っていました。
自分は子どもの頃からずっとハデ干しの仁多米を食べてきた、というのがお母さんの自慢で口癖でした。ハデ干しは、派手に干してあるという意味ではなく、天日干しのことです。天日干し虚しく、後光差す七割引の威力に、お母さんの自慢話は喉の奥へと引っ込み、見る影も聞く影も残響もありません。ななみちゃんのおじいちゃんの自慢で口癖は、7年前にのど自慢の予選に出場した、というものでした。いつからか何年経ってもずっと7年前です。
「お母さん、大丈夫?」
購入した食品をエコバックに入れ、エコバックはななみちゃんがよいしょと持って、お手伝い。
お母さんは7キロのななつぼしを、生後7ヶ月の赤ちゃんのように抱きかかえます。万一にも落っことして、袋に穴が開いてしまっては大変なので、それはそれは大切に、微笑みかけ、背中をとんとんして優しくゲプ運んであげます。
「27キロのななみちゃんを抱っこ出来ちゃうお母さんですから。ななつぼし7キロなんて、なんぼのもんじゃい。お母さんには軽い軽い」
スーパーななほしを出ると、いつの間に雨が降ったのでしょうか、足元が濡れています。
淡い藍色の広いお空のパレットに、ほんのりみかん色がぼややんと混ざっています。
駐車枠にギリギリ納まっている、斜めに止まったナンバープレート「な・773」の車が見えました。
靴を水没させないように、つま先立ちで、水溜まりを避けながら近付きます。
「なな、な、な、何これー!?」
「どうしたの? お母さん」
雨粒残る車のフロントガラスの上に、ななみちゃんが図鑑でよく見て知っている、とても可愛い虫さんが遊びに来てくれていました。
「ななみ知ってる! この子はね、なな、なな……」
「なな、なな……?」
虫さんは羽を広げ、今にも飛んでいきそうです。
「ななふしぃー!!」
「なな、なんですとぉー!?」
お母さんが叫ぶのと同時に、ナナフシは夕空に架かる七色の虹に向かって飛んでいきました……とはならず、ナナフシはびょんと車から飛び降りただけでした。
「なな、なんで?」
「あのね、お母さん。いまの子、飛べないんだよ」
お母さんがこの後なんて叫ぶか、もう分かりますね。