第八話 ヴェルナー
アサラ領主館の一室で、フリーデマンと懇談していた赤毛の客は、飲み終えた珈琲の杯を受け皿に戻すと、何気なしに部屋の壁一面に立ち並ぶ本棚へ歩み寄った。
どれともなく一冊の本を取り出し、パラパラとページをめくりながら会話をつなげる。
「小竜……それに、国宝……ですか。中をご覧に?」
フリーデマンは男から視線をそらし、やや自嘲気味に、その時に見た本の中身を話して聞かせた。
「白紙だったよ……重厚感漂う表紙に騙されたかな」
「国宝なんて、そんな物かもしれませんね。小竜とは、何だったのでしょうか?」
「わからん……私は魔法に関する知識は豊富な方だと自負していたが、あの様なものは見聞きしたことがない。今となっては調べるための文献もないが……。魔物だったとしても、あれ以来見た者がいると言う話は聞いたことがないな」
赤毛の客は手にしていた本を棚に戻すと、かつて宮廷騎士団の部隊長だった男に退室を告げた。
「さて、そろそろ行きます。今日はフリーデマン隊長にお会いでき光栄でした」
「元……な、シュトルン卿」
部屋を後にした赤毛の男に、扉の前で待っていた男が、胸に手を当て騎士の礼を表した。
「行くぞロルフ、次の視察地へ出立する。皆に装備を整え西門前に集まるよう伝えよ」
「はっ!」
凍てつく寒さが世界を白く染める――。
大地に降り積もった雪は遠い連峰をもその支配下に収め、中天に輝く陽光からの侵略に耐えている。
突き出た崖の上で、金属の打ち交わす音を響かせているのは、幼き日のランドであった……。
上空の乾いた空気の中を、彷徨うように高い金属音が鳴り響き、崖先の雪の上に、茶褐色の髪の少年が尻餅をついた。
「うわっ……!」
開いていた両足の間に、空を斬って飛来した短剣が突き刺さる。
その短剣もろともランドを影で覆った人物は、眼下の少年の目前に長剣の切っ先を指し示し、諭すように言った。
「ランド……。お前の剣技は優れているが、“心”が足りない。技術的な強さだけでは生き残ることは出来ないぞ」
剣の指南をしている黒髪の偉丈夫は、数歩退がるとランドに立つよう促した。
少年ランドは驚きから苦々しげな表情へと変化させると、目の前に突き立つ短剣を支えに立ち上がる。
ロウエム大陸歴五〇八年、クーメ魔法王国滅亡時に、ランドはこの男に命を救われ、以来ラージ王国のとある山奥に隠れ住み、ずっと剣の稽古を受けていた。
男は口数が少なく、ランドを助けてくれた理由を聞いても答えることはなく、口を開けば剣の話で、少年のこの男に対する不信感は日に日に増大していった。
ランドの不信感を育てる肥やしとして、男は月に一、二度の頻度で数日間帰って来ない日があった。
「なぁ……あんた、どこに行ってるんだよ」
何度かランドは聞いたことがあったが、男が答えることはなかった。
ラージに来て一年が過ぎたある日、男は言った。
「ランド、お前の父君の死が確認された。クーメが落ちた日だ。勇敢に戦われて逝ったそうだ。会わせてやりたかったが……すまない」
なぜこの男が謝るのだろう。ランドにはわからなかった。わかったのは、この男が帰って来ない日があったのは、どうやらクーメに行っていたらしいという事だけであった。
……予想はしていた。
……覚悟も出来ていた。
だが、七歳の少年が受け入れるには重すぎる現実であった……。
それからも男は変わらずランドに剣を教えた。
変わったことと言えば、剣以外に生活に関することも一通り教授するようになったことである。
狩りや学問を教え、麓の村にも連れて行くようになった。
ある日男はランドに言った。
「ランド、人を愛せ。他人を思いやり、相手の気持ちが理解出来るよう努力するのだ」
それが“強さ”に繋がる。と男は伝えたかったようだが、ランドには理解出来なかった。
ランドの中にあったのは、両親を殺したフルオルガ国への憎悪と、クーメの避難施設で味わった恐怖、そしてこの男への不信感であった。
ランド達がクーメを脱し、ラージでの生活を始めてから四年が過ぎ、ランドは十二歳になっていた。
相変わらずランドは心を開くことはなかったが、男に対して一定の理解は示すようになっていた。
男も口数は少ないままだが、剣と離れた会話も少なからず語るようになった。
「なぁ、あんた家族はいないのか?」
「……妻と娘がいたが、消息はわからん」
なぜ帰らないのか?
……とは聞かなかった。おそらく自分との今の師弟生活がその理由なのだろうが、なぜこのようなことを続けているのか、そもそもなぜ自分を助けてくれたのか、その理由は未だ答えてくれずにいた。
それから数年経ってからも、男は数日間留守にすることがあったが、ある日、姿を消していた男がランドのもとに帰って来ると、唐突に男はランドに告げた。
近日中に男は山を降り、おそらく戻って来ないであろうと。
「家族のところに帰る……わけじゃなさそうだな」
ランドは男から、なにか悲壮な決意のようなものを感じ取った。
「ランド……お前は今、私の雰囲気で気持ちを読んだな。それは思いやりの第一歩だ。多くの人の気持ちに寄り添い、思いやれる男になれ。そうなれたとき、お前は強くなっているだろう」
「……その男が君の探してる相手かい?」
アサラの街から西、クーメに向かう馬車の中で、ランドの話を聞いていたマティアスは、話の核心部分を確認した。
今回マティアスは百余名集まった人員を、各冒険者団体単位で班分けし、いくつかの班を大手の冒険者団体の指揮下において隊とした。
一隊はマティアス率いる『明けの明星』の幹部団にランドを含め、アリナ達を合わせた“遺跡探査部隊”で、その他部隊が遺跡の外で陽動活動を行う。
作戦は数日前からすでに実行に移されており、各班は別日にアサラを進発し、目立つことを避けつつクーメに潜入した。
マティアス達も、アリナ達と二台の幌馬車に分かれてクーメを目指し、その道中ランドの尋ね人について聞いていたところであった。
「あぁ、その男がオレの探してる人だ。話してみて改めて思い知ったが、オレはあの人のことをなにも知らない。髪が黒い偉丈夫で、おっさんだが剣の達人だったってことぐらいだ」
少なすぎる情報に業を煮やしたわけでもなさそうだが、マティアスは手がかりとなり得る情報を求めた。
「その男の名は?」
ランドは幌馬車の後方に見え広がる雄大な大地に目を移し、遠い記憶を懐かしむようにその名を呟いた。
「…………ヴェルナー」
瞬間、マティアスはピクリと反応を表した。
ヴェルナーと言う名は、この広いロウエム大陸においてさほど珍しい名前ではない。ただし壮年の黒髪で、剣の達人という付加が備われば、マティアスの脳内名簿から一人の人物である可能性が急浮上してくる。
「……“無双のヴェルナー”」
押し出されるようにマティアスの口から吐き出された名前は、馬車内に同乗している『明けの明星』幹部たちの、興味を引くのに十分な香辛料を含んでいた。
その幹部の一人、波打つ青紫の長髪が、豊かな胸元を彩る“明星の頭脳”こと、マドレーヌがその見識を披露した。
「確かに、ヴェルナーと聞いてその男が思い浮かばない者は、このロウエム大陸には存在しないわね。でも彼の御仁は、暗黒時代を引き起こしたと言われる先の《黒世拉大戦》でクーメが滅んだときに死んでるはず……」
「それに彼奴はフルオルガ人だぜ。アンタを助けたのはクーメ人だろ?」
二本の短槍を脇に、ランドの向かいに座っていた、紺色の髪を逆立てた戦士も持論を展開させたが問題提起に終わる。
「現状では結論を導き出すだけの情報量が不足しているね。今は取り敢えずこの話はここまでとしようか」
マティアスがそう諭したところで折悪しく口を挟んだのが、黄赤色の髪を首の後ろで束ねた青年だ。
「おいマティアス……あそこ見てみろよ」
「どうしたアロイース?」
促されるまま指の指す先に視線を飛ばすと、馬車の走る峠の崖下遥かに通る街道を、一隊の騎士団が整然と列を成して行軍していた。
全騎が全身を真っ赤な具足で揃え、唐紅に染め上げられた外套の裏地のみが黒い。マティアス達からは遠くて見えないが、鎧の左胸には亀を模した紋章が装飾されている。
マドレーヌが緊張を高めた顔で皆に記憶を喚起した。
「あれは……フルオルガ王国の騎士団の中でも、
最強を誇る宮廷騎士団…………」
二槍を支えに身を乗り出した紺色髪の戦士が感嘆する。
「あれが……宮廷騎士団なのに全く宮廷内に居ないという噂の……」
「そうよシジスモンド。彼らはあらゆる戦地に神出鬼没に現れ、縦横無尽に暴れまくる。常に命の危険にさらされ続ける戦場で、敢えて目立つ、赤い具足で全身を固める狂気の集団」
「あれが……“王家赤備え”……」
街道を二列縦隊で進む騎馬の列。皆全身真っ赤な鎧兜に身を包み、単騎で先頭を往く騎士はその髪までもが赤い。
「おいロルフ、タトーライまではどのくらいだ?」
「は! およそ二里(約八キロ)の距離です」
「注進ーっ! ご注進ーっ!」
列の脇を、一騎の騎士が駆け抜ける。先頭の騎士の下まで駆け寄せると、洗練された動きで下馬し膝をついた。
「何事だ!」
「はっ! シュトルン団長にご報告申し上げます! 我が軍後方街道沿い一〇町(約一キロ)の距離に騎影有り。旗章から、ヒルブランド国王陛下よりの使者と思われます!」
シュトルンは行軍を止め、全騎下馬させ使者の到来を待った。
使者が到着すると、皆臣下の礼をとってその言葉に耳を傾けた。老齢の使者は畏まる騎士たちを卑しむかのように一瞥すると、厳かにその口を動かした。
「勅命である。アサラにて不穏な動きが確認されている由、陛下は貴団にこれを調査し、真実を公のものとするようご下命を下された。」
勅使より国王の勅命を賜ると、毅然と命令を下す。
「ロルフ! 隊を戻せ!」
ロルフは直ちに命令を執行したが、心の片隅に蔓延る凝りに、思わず愚痴をこぼしてしまう。
「アサラですか……まぁ、今しがた出て来たところですから、半刻(約一時間)もあれば戻れましょうが、しかし……我々に調査命令とは……」
通例であればこのような案件は、各所領主や、専門的に諜報活動を行っている機関に下達される。
ロルフ達はいつものことだと自分たちに言い聞かせながらも、どこか釈然としないでいた。
シュトルンはそんな部下たちに今一度、自分たちの置かれた立場を再認識してもらうことにした。
――かつて、フルオルガ王国の宮廷騎士団と言えば、大陸随一の戦闘集団で、花形の任官先でもあった。
数ある騎士団の中から生え抜きの精鋭たちが集められ、国外からの評価も高く、内国においては他の追従を許さぬ誉れ高き立ち位置を保っていた。
しかしロウエム大陸歴五〇八年を境にその名声は地に落ちた。
魔法王国クーメ攻略戦が行われた際、国王親征軍として宮廷騎士団もその戦列に加わったが、よりによって宮廷騎士団の団長が敵方に寝返ると言う、不名誉この上ない汚点を残してしまったのである。
当時副団長であったシュトルンは冷静に団を統率し、他に追従する者などは出なかったが、ヒルブランド国王はもとより、国内におけるあらゆる者たちから批難の声があがり、その矛先は居なくなった個人にではなく、宮廷騎士団と言う組織に対して向けられた。
とりわけ厳しく弾劾の意を表したのが、大法院を司る法王ハイラムであった。
ロウエム大陸歴五〇五年の第一次タニビエス会戦に端を発した大陸統一戦は、長年続いてきた戦乱に終止符を打つ聖戦として、教会を挙げて支持してきた戦であり、その聖なる戦に反目することは神につば吐く行為だと言うことで、信仰心から生じたやり場のない怒りを、残された宮廷騎士団と言う組織自体に対し向けられた、言わば“八つ当たり”であると教会の外では噂されていた。
――ロウエム大陸歴――
五〇四年 第七代フルオルガ国王ノアベアト崩御
ヒルブランド八代目に即位
五〇五年 第一次タニビエス会戦
五〇七年 サーガ国陥落
キュラント国陥落
五〇八年 ラージ国フルオルガに降伏
第二次タニビエス会戦
クーメ国滅亡
フルオルガ国 富国強兵政策施行
五一二年 廃魔禁研令発令
五二〇年 現在