第九話 作戦開始
クーメ公爵領に向かうマティアス達の乗る馬車より遥か前方を、同じ型の幌馬車が先行して走っていた。
こちらの馬車にはマティアス達と同じく、遺跡探索組のアリナ達が乗っており、ゲリラ組への追加も考慮した分の糧食も積まれている。
今、こちらの馬車内は一触即発の、緊迫した空気が飽和状態となっていた。
荷台前方に積まれた糧食の前に、アリナ達と同乗して来た三人の戦士が、引きつった顔で立ちふさがっている。
その正面には、頭を下げているのにもかかわらず、幌の天井部分を皮の兜で押し上げている巨漢の戦士が、ヨダレを垂らし目を血走らせ立っていた。
「お……おい……冗談はやめとけよ」
「この食糧はマティアスが用意した皆の……くっ!」
突如、巨漢戦士の影から鋭い一撃が繰り出され、食糧の前に立ちふさがっていた細身の戦士が咄嗟に剣で応じる。
「ちっ!さすがにリーチが足りんか!」
細身の戦士は反射的に受け止めた剣に目をやり、襲ってきた得物を確認して驚いた、その得物は剣や槍などの武器ではなく、食事の際に使用するナイフであった。
馬車に同乗していた若草色の髪の戦士が物申す。
「おいベルパルシエ! てめぇそれってこないだメロディが拾って来たナイフじゃぁねぇのかぁ!」
「ふっ……このナイフ、昨日使ったときはアジトが暗くて気が付かなかったが、何か重いと思ってたら、銀製品の値打ち物だぜっ!」
馬車の後方でカードを楽しんでいたロジェが、真紅の瞳から目を離さないまま釘を刺す。
「売ったらちゃんとアジトの資金として計上してくださいよー……っと、“兵士”のフルハウスです!」
艶やかな唇の形をわずかに変化させ、女夢魔と見紛うような魅惑的な微笑を浮かび上げたアリナが、緋色の髪を梳いた手で、裏返した木箱の上にカードを叩きつけた。
「“万物の母”アクレースよ照覧あれ! “聖母”のフォーカードよ!ほほほほほほっ!」
意地の悪い笑い声をあげたアリナは、木箱の上の林檎を手に取ると、そのまま頬張った。
食糧の前に立ちふさがっていた男の一人が、拳を震わせ怒りを爆発させた。
「お……お前らいい加減にしろーっ!」
ロウエム大陸全土を事実上の支配下に置くフルオルガ王国。その八代目国王ヒルブランドは、社交的で包容力があり、知性に優れ、外見も高潔な気品に満ちあふれている……と言うのが王太子時代の彼の評価である。
彼は非の打ち所の無い青年として、臣下からも敬愛の念を抱かれる存在であったが、八代目フルオルガ国王に即位した後に行った悪政は、それまでの彼の衆望を人々の記憶から忘れさせていった。
その施策の一つに、彼の弟妹たちへの対応があげられる。
大陸統一を成した後、ヒルブランドは弟妹たちを他国に追いやる形で宮中から退けた。
七代目フルオルガ国王ノアベアトは正式に後継者を定めぬうちに暗殺されたため、王位の正統性を大義名分に、弟妹たちが謀叛を起こすことを憂惧したヒルブランド王が、弟妹たちの連携を阻害し、その実権を削ぐ布石を打ったのだと世間では噂された。
その際に四男のレイモンドが亡国クーメの統治者として赴任して来たのだが、レイモンドは内政には関心を示さず、ただただ魔導書の探索に心を傾注した。
「長兄は我ら弟妹が王位を狙っていると疑っておられる。私と長女チェチーリアは先王の側室の子ゆえ、これまで肩身の狭い思いをしてきたが、ここで兄上に取り入っておけば、兄妹の中でも優位な立場を築けるやも知れん」
近頃は魔導書の新たな発見もなく、レイモンドは不本意な日々を消化してきたが、先日、森の中で発見した遺跡の、深部に展開されていた防御結界を突破したと報告が上がった。
レイモンドは歓喜した。未開の遺跡深部、しかも結界で護られていた場所ともなれば、魔導書でなくとも、何かしらの貴重な宝物が眠っている可能性が大である。
早急に探索隊を再編成し、いよいよ派遣かと言う段になって、レイモンドの頭を悩ます事件が相次いで勃発した。
「公爵閣下! 急使にございます!」
「今度は何だ!」
「ゴイ神殿跡が武装勢力に占拠されました!」
まったく、昨日から何度目の急使だろうか。ひとまず配下の将に鎮圧を命じながら、レイモンドは心の片隅から湧き起こる違和感と対峙した。
……何かおかしい。
叛乱や暴動などは今更の事ながら、昨日からやけに頻発している。しかも鎮圧隊が現地に到着しても、激しい戦闘までには至らず、賊はすぐに退散しているらしい。
レイモンドは顎に手を当て沈黙の時を紡ぐと、脳裏に浮かんだ考えを整理してみた。
「もし、昨日からの一連の騒ぎが、一つの意志の下に繋がっているとしたら……」
レイモンドは無能ではなく、楽観主義者でもなかった。
領内各地で発生した騒ぎのせいで、かなりの部隊が分散してしまっている。もし“敵”の狙いがこの事態を狙ったものだとするのであれば、考えられるもので有力視すべきは……。
「遺跡探索隊はすぐに進発しろ。それと分散している隊を呼び戻せ。クーメ城の守りを固めるのだ」
クーメ公爵領東に位置する森の中に、二台の幌馬車が停車している。
手慣れた動きで馬車に木々を被せ、迷彩を施している戦士たちが呆れ顔で見ているのは、マティアスの前に正座して並ぶ、修道服を着た女剣士たち一行だ。マティアスの横には、髪や服がボロボロになった三人の戦士たちが、ふてくされた体で立っていた。
「君たちも貧民街に居るからには、食糧の貴重性については説明の必要はないだろう。ましてや今回積んで来た物は僕らの分だけじゃない。各地ですでに戦ってくれている者たちの、予備の分も含めて持ち運んで来たものだ」
アリナ達は正座したまま頭を垂れ、ベルパルシエに至っては、両手を地につき土下座していた。
「取り敢えず食べちゃったものは仕方ないわね。貴方たちへの報酬からは引かせてもらうわよ」
『明けの明星』の経理担当マドレーヌが救い船を出し、アリナ達は開放された。
立ち上がったアリナは、みすぼらしい服を着た男が、いつの間にかマティアスの横に立っていることに気付き、何か言われる前に先制攻撃を仕掛けた。
「あらランド。やっぱりマティアスからの依頼受けたのね。それにしても、相変わらずあなたって防具は着けないのね」
「買う金がねぇんだよ。……ってかお前だって修道服じゃねぇか。このエセ修道女が」
「私のような麗しい乙女が修道服なんて着てると、何かと便宜を図ってくれる殿方がいて便利なのよね。これも全てアクレース様のご加護かしら」
茶褐色の髪の男は小声で、「詐欺の神かよ……」と呟いたが、勝ち誇った顔で胸を張っているアリナには聞こえなかったようだ。
馬車の迷彩がある程度整ったところで、マティアスが全員に移動を促した。
「よし、ここから遺跡の入口までは歩きだ。全員固まって行くぞ」
フルオルガ王国の首都には、国王ヒルブランドの居城の他にもいくつかの重要施設が存在するが、中でも官民の隔たりなく群を抜いて重要視されるのが、アクレース教団の総本山、大法院である。
大法院はロウエム大陸歴五〇八年まではクーメ魔法王国に存在し、歴代の法王がそのまま国王としてクーメ国と教団を統治して来たが、クーメ国が滅亡した後にフルオルガ首都に拠点を移し、銀髪の男ハイラムが法王を名乗り教団を指揮している。
「……で、レイモンド卿は今日にでもその遺跡に兵を送るのですね?」
教会の中にある一室で、銀髪の男から問われた者は、巡礼服の上から羽織った外套の頭巾を目深にかぶり、恭しく跪いたまま、明るい街並みを、暗い部屋の窓から覗く銀髪の男の背中に向かって答えた。
「はい、仰る通りですハイラム猊下。その遺跡に張られていた結界は上位のものでした。展開したのが何者かはわかりませんが、奥に重要な“何か”があることは間違いないかと……」
室内中央には純白の卓布がかけられた長机があり、左右にいくつもの椅子が備えられてある。
広い部屋の片隅に立つ、祭服を着た銀髪の男が重々しく振り返ると、巡礼者はひとしお平伏し、法王の言葉を待った。
「私はまだ動けません。汝はクーメに戻り、引き続き使命を全うしなさい」
「ハイラム猊下の御心のままに」
「アクレース神のご加護があらんことを」
巡礼者が退室した後、銀髪の男も間をおいて部屋を去り、思いを巡らしながら長い廊下を歩いていった。
「すでにこの身は死への恐怖、老いの苦しみから開放されておる。この上は我が信徒のみならず、市井の民草までもが、病を恐れず、怪我に倒れぬようになる国造りを為さねば成らん」
法王が向かっていたのは、アクレース神を模した彫像が祀られている礼拝堂で、人の三倍はあろうかという女神像のまえに両膝をつくと、両手を組み合わせ静かに目を閉じた。
「主よこの身を導き給え。願わくば黒き闇の中彷徨う哀れな子らを、やすらぎの郷へと誘う導とならんことを……」
ランド達は目的の遺跡入口を視界に捉える位置取りに身を潜め、レイモンド配下と思しき部隊が、遺跡内部へ次々と姿を消していく様子を静かに伺っていた。
遺跡は戸建ての住居程度の大きさで、崩れた外壁が醸し出す外観と、十字に二重円の意匠が、この建物が教会であった可能性を示唆する。
露出の高い防具に身を包んだマドレーヌが、自嘲するように小声で呟いた。
「先を越されたわね。私も焼きが回ったかしら」
「今、半数ぐらいの兵が入っていきましたね。残りは二十人ほど……入り口を固めるのでしょうか」
ロジェが疑問を投げかけると、その肩に手を乗せベルパルシエがうそぶく。
「こっちと大差ない数だ……一気に突っ込もうぜ」
「待て……」
長身槍を手に身構えるベルパルシエに、マティアスが静止を呼びかける。
一同が息を呑み様子を見ていると、レイモンド兵が間をおいて突入を再開した。
改めて入り口に残った兵士の数を、ランドが身を乗り出し確認した。
「五人か……いけるぞ」
言葉を受け、マティアスが一つ頷き突撃を命じようと口を開きかけた時、不意をつく事態がその言葉を詰まらせた。
入り口に残った兵士たちの目の前に、修道服を着た美しい女が歩み寄って行くではないか。
麗しい笑顔を振りまきつつ歩み寄ってくる修道女に、兵士たちは戸惑いつつも警戒心を高めた。
「私は巡礼中の……」
「おい貴様! そこで止ま……」
向かって来る者の言葉を遮った兵士も言葉を言い終えることはなく、死角から飛来した矢が兵士の喉に突き刺さった。
矢を放った後のロジェの視界に草葉の影から飛び出すルーの姿が映る。その手から放たれた短剣が別の兵士の眉間に突き立つと、驚き叫ぼうとした兵士の横っ腹を、六尺六寸(約二メートル)の長身槍が鉄の鎧ごと串刺しにした。
「貴様ら、何者……ぼぁっ!」
急な事態の変化に慌てて槍を構えた兵士は、先に喉を矢に射抜かれ、膝から崩れ落ちる兵の腰から剣を引き抜くアリナに狙いを定めるが、先とは異なる方角から放たれた矢に兜ごと頭を撃ち抜かれ、残った五人目の兵士は声をあげる間もなくアリナの凶刃に倒れた。
予定外の援護射撃を披露した人物を、青墨色の髪の少年が目で確認すると、弓弦を指で撫でていた黄赤髪のアロイースが微笑で答えた。
「まったく、君たちは……」
気勢をそがれたマティアスは、隠れる必要もなくなり、呆れ顔で悠々と歩み出てきた。
――ロウエム大陸歴――
五〇四年 第七代フルオルガ国王ノアベアト崩御
ヒルブランド八代目に即位
五〇五年 第一次タニビエス会戦
五〇七年 サーガ王国陥落
キュラント王国陥落
五〇八年 ラージ王国フルオルガ王国に降伏
第二次タニビエス会戦
クーメ魔法王国滅亡
フルオルガ王国 富国強兵政策施行
五一二年 廃魔禁研令発令
五二〇年 現在