第七話 小竜
「話は簡単さ――」
マティアスはその考えをランドに説明した。
昨夜、北貧民街で握手を交わした際、マティアスはランドが手練の戦士であると見込んでいた。
マティアスには前々から推し進めていた計画が有り、その計画にランドも参加してほしい。という事であった。
報酬として尋ね人に関する情報と、作戦成功時には戦果に見合った金銭を提示した。
報酬に関して不満はなかったが、肝要なのはその報酬が見合った仕事なのかどうかであろう。ランドは当然の質問で返した。
「……で、オレは何処で何をやれば良いんだ?」
本題とも言える事柄に移ろうかという時、マティアスは、その席に着く三人の予期せぬ返しを披露した。
「僕はね……ランド君。この貧民街を統括する者として、それなりの危機意識をもって日頃生活しているんだよ」
突然意味のわからない話に変わり、ランドだけでなく、アリナとロジェも当惑している。
二人の気持ちも汲み取ったかのようにランドが端的に聞いた。
「おい、何の話だ……」
「……今、見知らぬ顔が店に入ってきた。単なる旅人が、観光気分でこの貧民街に来ただけなら良いが、役人関係だと作戦が漏れるのは不味い」
やや身を乗り出し、声を潜めるマティアスの席からは、確かに店の入口が見える角度にある。
……が、ランドはこの席に着いてから、一度もこの男から目をそらしていない。先程話し始めてから、この茜色の髪の男はずっと、焦げ茶色の瞳を直視し続けていたはずだ。
同席していたロジェは、この男が皆からなんと呼ばれているのかを改めて思い起こした。
「さすが……“千里眼のマティアス”」
二つ名で呼ばれた男は、満更でもない笑顔でロジェに片目を閉じて見せると、入り口側で飲食を担当している店員の女に、顎で合図を送った。
女は一つうなずくと、先程来店した、赤い髪を清潔に切りそろえた男に声をかけた。
「まいど……アンタ見ない顔だね。ご注文は?」
「あぁ、仕事でちょっとアサラに寄ってね。どうもオレは金持ち連中とは馬が合わないようで、庶民肌って言うのかな……冷たい飲み物を頼む」
「酒しかないよ」
…………声は聞こえなかったが、店員の女から“問題なし”の合図を受け、とりあえずマティアスは赤毛の男への警戒を弱めることにした。
改めて一同は向かい合い、話の続きに戻ろうかとしたとき、店奥のマティアスが来たときの入口から、数人の戦士たちが声をかけながら現れた。
「おいマティアス! もうそろそろ時間だぜ!」
「“盾の女神”じゃねぇか。お前らもそろそろ時間じゃねぇのか?」
「おっと、もうそんな時間か……」
立ち上がったマティアスは仲間から武器を受け取ると、アリナに改めて時刻の到来を告げた。
「アリナ。君たちもそろそろ出発したまえ。ランド君は、悪いが続きは歩きながらでいいかな?」
「……そうね。私たちもそろそろ行くわ」
「おい、とりあえず金は持っていけ」
ランドはアリナ側のテーブルの上に革袋を投げ置いた。アリナは素直に受け取り、依頼の受諾を告げる。
「貰っとくわ。案外早くあなたの依頼に取り掛かれると思うしね」
意味ありげな言葉を残し、アリナとロジェは先に店を出た。
緋色の髪をなびかせ、修道服姿の剣士が退店して行くのを、物珍しげに見ていた一人の客が呟いた。
「へぇ……この貧民街の修道女は帯剣してるのかぁ」
「おまちどぉさん。冷たい酒だよ」
呟いた男の前に、常温の酒が置かれた……。
ロウエム大陸歴五一二年、『廃魔禁研令』の発布により、大陸全土の魔導書がフルオルガ城に集められ、全て焼き尽くされた。
だがそれだけでは終わらず、第八代フルオルガ国王ヒルブランド・ディアークは、その後も自国内のみならず、他国にも魔導書探索の要請を出し続け、隠し持っていた者がいれば、その者は極刑に処された。
ロウエム大陸歴五二〇年となった今でも、廃墟となった神殿や教会、城や砦、洞窟に至るまで、あらゆる場所を徹底的に探索し続けている。
そして、未だに魔導書が残されている可能性が高いと目されているのが、亡国クーメである。
クーメ国では、ロウエム大陸歴五〇八年に滅亡した折り、魔導師と決めつけられた大勢の民と共に、大量の魔導書が火塵と化したが、クーメ国内には魔法で護られた施設、迷宮が多数存在しており、未だ探索途上にあるため、複数の魔導書の残存が見込まれている。
クーメ滅亡後、その地はディアーク王家四男レイモンド・ディアーク公爵の所領となり、それ以来、レイモンドの主な政策課題の中には、常に魔導書探索が居座り続けていた。
昨今、重点探索区域に指定されていた遺跡で、魔法による防護壁を突破したという噂が流れた。
その遺跡深部は未探索であるため、新たな魔導書の発見が予見され、その情報を入手した裏組織『明けの明星』は探索隊を組織したが、準備が整ったときにはすでにレイモンドの部隊が出立を控え、『明けの明星』は予定を前倒しして急遽実行に移す形となった。
「――で、ランド君には僕らの部隊に加わってもらいたいのさ」
マティアスは仲間との集合場所に向かう道すがら、ランドに今回の作戦の概要を説明した。
今回『明けの明星』の名の下、作戦に参加した人数は総じて百余名。貧民街の“闇労働組合”で活動している見知った複数の団体である。
部隊は二手に分かれ、一隊は少数精鋭で遺跡内部へ潜入し、目的は魔導書奪取。残りはクーメ各地でゲリラ的奇襲、暴動を行い、レイモンド軍を分散させ、遺跡への探索部隊の規模縮小と増援回避が目的となる。
ランドは説明を聞き終えるより前に、すでに依頼を受ける気持ちになっていた。
クーメまで行くために、しばらく貧民街で旅費を稼ぐ必要があると考えていたが、この依頼を受ければ、往路は馬車で半日ほどの距離である。
作戦が失敗に終わったとしても、そのままクーメに残り、自分の本来の目的に移行でき、しかもその場合、アリナ達もクーメ現地に来ているはずのため、加勢も期待できる。
「アリナが言ってた案外早くって、このことだったのか」
合点がいったランドは最後に一つだけ、マティアスに聞いておきたいことがあった。
「あんたはなぜ魔導書が欲しいんだ?」
マティアスは数歩を歩く間沈黙していたが、自嘲めいた微笑を浮かべると、前を見据えたまま答えた。
「国を動かすためさ――」
ランドが“闇労働組合”を出てからしばらく経った頃、同じく店を後にする男の姿があった。清潔感を感じさせる赤毛の男は、貧民街を何処へともなく歩いている。
男の身なりは小綺麗で、派手な装飾品等は着けていない。男は歩いている間、自分に向けられる、物色するような視線をずっと感じていた。
「貧民街は“大人”が少ないな」
狭い路地を駆けてくる幼い女の子が男にぶつかった。男は微動だにせず、子供は逆に弾き飛ばされ地に転がる。
「お嬢ちゃん……大丈夫かい?」
女の子は膝を擦りむいていたが、歯を食いしばり素早く立ち上がった。立ち上がるとき、目の前に転がった銭袋を慌てて拾い上げ、一目散に駆け出し路地裏へと消えた。
「……もう少し、多目に持ってくれば良かったかな」
「団長ーっ! シュトルン・キルシュネイト団長ーっ!」
文無しになった赤毛の男は、聞き慣れた声が自分を呼んでいることに気付き、掘っ立て小屋越しに、声が聞こえてくる方角に向かって叫んだ。
「おーい! ここだぁー!」
時を置かずして、一人の砂色髪の青年が赤毛のもとへ駆け寄って来た。
「はぁ……はぁ……。だ、団長……こちらにおいででしたか……」
「ロルフ。すまん心配かけたか」
「団長……こ、このような所、護衛もつけずに、お一人で歩かれては危険です」
「そう思うのなら、大声で私の名を叫ぶべきではなかったな」
青年は恐縮した体で反省の意を示し、本来の目的であった用件を伝えた。
「シュトルン団長。そろそろお戻り下さい……フリーデマン伯爵閣下がお待ちです」
アサラ領主フリーデマン・シュトルフトは、辺境の農村を、数年で交易の中心地にまで発展させた有能な領主であった。
ロウエム大陸歴四七一年に侯爵家の長男として生まれたフリーデマンは、その潤沢な財力でもって、多分野にわたり満足のおける教育を受けた。
少年時代のフリーデマンは特に魔法学に興味を持ち、魔法先進国であったクーメから高位の魔術師を家庭教師に迎え、屋敷内には専用の魔法研究部屋まで用意して没頭した。
ロウエム大陸歴四八三年、十二歳になり元服すると、宮廷に出仕し第七代フルオルガ国王ノアベアト・ディアークの近侍を務めた。
十六歳のとき、近衛兵団の長となり出世コースに乗ると、二十歳で近衛師団長、南部国境師団長を歴任。
当時続いていた国境紛争では多大な戦果を挙げ、ロウエム大陸歴四九六年、二十五歳で国内最強と名高い宮廷騎士団の部隊長に就任。
フリーデマンはその出世の早さもさることながら、作戦行動の迅速さが高く評価されていた。
フリーデマンの運気が変わったのは宮廷騎士を九年勤め上げたロウエム大陸歴五〇五年の時であった。
彼はこれまで驚嘆の早さで出世街道を歩んできたが、結局宮廷騎士団の団長にまでは登れずにいた。
“最強の騎士団”のエースにはなれたが、“最強の騎士”になれなかった男は、気持ちを切り替え、“名声”よりも“実権”を求めることにした。
この時三十四歳になっていたフリーデマンは、長年培って来た人脈を活かし、国王側近の最高武官である親衛隊長へ就任した。
官位こそ低いが、常に国王の側に仕え、ときには政策上の相談に乗ることもある職で、立ち回り方によっては宰相をも動かせる地位である、と見込んだ。
ロウエム大陸歴五〇五年に、王位を継承していたヒルブランド王がクーメに親征した第一次タニビエス会戦の際、フリーデマンは、国宝【玄神之書】を預かるという名誉を手にした。
これは、実際の戦闘で使うことはないと言われていたが、国王が親征するときには常に大本営に置かれ、国を護る神の御神体とされてきた。
そして事態は急転直下に動き出した。
幕舎の中で国宝の魔導書を覗き見ようとしていたフリーデマンは、兵士の叫び声を聞いて外へ躍り出た。
「あ、悪魔だーっ!」
「神様ーっ! お助け下さいーっ!」
兵士たちは叫び、逃げ惑っていた。いつの間にか外は風が吹き荒れ砂塵が舞い、視界が酷く遮られていた。
フリーデマンは何が起きたのか確認しようと試みたが、まともに受け答えできる者は誰もいなかった。皆が動転し、皆が恐怖していた。
このような時、親衛隊長としてまず行うべきことは一つであろう。フリーデマンは絶叫と風音に呑み込まれぬよう力強く叫んだ。
「陛下ーっ! ヒルブランド陛下ーっ!」
主を探すフリーデマンは、南のクーメ軍が守備するタニビエスの街上空に、目を疑う生き物が飛翔するのを見た。
「――あの日、私はなりふり構わずに逃げたよ……」
アサラ領主、フリーデマンの屋敷の一室で、昔の面影を失った肥満の男が、思い出話に自嘲めいた笑いを浮かべた。
高級感あふれるソファーに腰を掛けた赤毛の客人は、テーブルの上に置かれていた珈琲に手をかけ、話の続きを聞いた。
「私は天に光り輝く小竜を見たのだ」
それは伝説に聞く竜神と比べれば、とても小さい見目姿であったが、その咆哮は全大陸に轟き渡るようであり、また、包み込むようでもあったと言う。
恐怖に感染したフリーデマンは、国王の安否も確認せず逃げ出したが、そのことを後日罪に問われ、領地に戻されることとなった。