第六話 始まりの予感
ロウエム大陸北部に位置するフルオルガ王国は、北側は海に面し、他国と国境を面する南部の陸地が東西に延びている。地図上では亀を横から見たような形になる。
西に延びる陸地を頭とするならば、首の付け根辺りに王都があり、王都より北西は海を臨み、その他王都周辺が平地に囲まれている。
そのフルオルガ王国の第八代国王ヒルブランド・ディアークは、“弑逆の王”と陰ながらに噂されている。
ロウエム大陸歴五〇四年に、第七代フルオルガ国王ノアベアト・ディアークが何者かに暗殺され、王位継承権一位である長子、ヒルブランドが八代目の王位に即いたが、先王ノアベアトは、次男のヴィクトルに王位を継がせようとしていたと、宮廷内ではまことしやかに噂されていた。
ヒルブランドが即位し、大陸の覇権を獲得した後、王位継承争いを噂されていたヴィクトル公爵を、遠方の戦火に荒れた南国キュラントの元首に据えたことが、さらに噂に拍車をかける要因にもなった。
「一番の政敵であるヴィクトル殿下を退けなされたか」
「事実上の追放だな」
宮廷内の黒い噂を掻き消すように、昇る朝日が王都を明るく照らしていく。
王の間では、気品に満ちた壮年の男が、玉座に腰を据えている。
王の間の天井は高く、壁だけでは支えられないのか、人よりも太い柱が何本も室内で床と天井に挟まれている。
五間(約九メートル)ほどの高さにある窓からはやわらかな朝日が差し込み、玉座に座る男の纏う衣装に装飾された、色とりどりの宝石も輝きを増していた。
その宝石の美しさも霞むほど、王冠より覗く純粋な金髪が、眩いばかりに光り輝いている。
女官たちが思わず見とれてしまうほどの端正な顔立ちに、均整のとれた体躯、すらりと伸びた足を組み、肘掛けに身を任せるその姿はまるで絵画のようで、見る者たちを魅了する。
この男が第八代フルオルガ国王ヒルブランド・ディアークである――。
ヒルブランド王から見て右手に文官、左手に武官が居並ぶ。部屋の中央に幅の広い深紅の絨毯が敷かれているが、入り口から玉座の裏の壁まで続く長さである。
今その絨毯の上に居るのは、ヒルブランド王と、三段下がった位置で恭しく膝をつく騎士である。
「報告致します。まずサーガ公国との国境に現在建設中のフロンマーエ砦に人足二百、ダーフーザ神殿の建築に二百、キュラント公国への街道整備に六百人を増員致しました。いずれも他国より徴用した者たちにございます」
ヒルブランド王は肘をついたまま、騎士からの報告を大した興味も無さそうに聞いている。ふと視線だけ自らの左に動かすと、玉座の脇に控えていた老齢の文官が、王の代弁者であるかのように質問した。
「東部デンの河川工事はどうなっておる?」
「はっ! 宰相閣下……それは…………」
騎士は戸惑った表情を隠すように頭を下げ言葉を詰まらせたが、さらに問われ、絞り出すように言葉を作り出し質問に答えた。
「ラ、ラージ王国からの人足が未だ……到着しておらず、工期が……遅れている現場もございます」
「ふむ……。先月は貢ぎ物を渋り、今月は人足とは……」
騎士はさらに深く頭を下げ、全身で恐縮の意を表して見せた。
「陛下。ラージ王国は陛下の妹君、チェチーリア公女殿下との婚姻の儀を控えてございます、我が国に対する態度はここのところ目に余るものがございますが、ここは覇者としての器量が問われるところですぞ」
宰相と呼ばれた老人が、自分の孫ほどの若王に向き直り持論を述べると、それまで彫刻の様に座していた王が、足を組み直し口を開いた。
「婚姻の儀は国を挙げての式典だ、人手も必要であろう。河川の工事は長期的視点で見誤らなければ問題はないと思うが……ハイラム猊下は何か意見がお有りかな?」
老齢の宰相は、視線を王からその対面に立つ銀髪の男に移し、同時にその表情を苦々しげなものに変化させた。
“猊下”と呼ばれた男は祭服を纏い、帽子には十字の中央に二重円の紋章が装飾されている。若王ほどではないが、外見には品位が感じられ、呼称に対しては若すぎる印象を与える。
見た目通りの年齢であれば二十代後半であろうが、その声は低く落ち着いていて、至尊の存在であると言わしめるかのように厳かに響く。
「ヒルブランド国王陛下より問われてお答え致します。目下のところ東西南の三国はすでに陛下の御手の中にございますが、各国には未だ不穏分子が潜在し、各王にも信頼しきれぬ要因がございます。今はまだ各国より人材を徴集し、叛乱の目は摘んでおくことこそが、我等が主である、アクレース様の御心に沿うものと存じます」
老宰相が舌打ちするが、聞こえなかったのか、王も銀髪の男も反応はしない。代わりにヒルブランド王が発した言葉は、老宰相が懸念したものであった。
「確かにラージ王国は油断のならぬ相手である。命令は撤回せぬ。直ちに催促の使者を遣わし、速やかに人夫を移送させよ」
何か言いかけた老宰相をヒルブランド王が目で制す。老宰相は恭しく一礼すると半歩下がり元の位置に戻った。
未だ階下で臣下の礼をとっていた騎士に、老宰相は手を振り退出を促したが、騎士はもう一つ報告があると言う。
「我が国南部の街アサラにて、不穏分子の動きが見られます。これはまだ不確定情報ながら、昨日チルセン駐屯所にて襲撃事件があり、その不穏分子が関係している可能性が……」
「なんとっ!国内でじゃとっ!?」
老宰相が身を乗り出す。ヒルブランドも眉を寄せるが、それ以上の感情を面にはださない。
「陛下っ! これは捨て置かれませぬぞっ! 国内でそのような動きを看過しておれば、他国に要らぬ野心を持たせかねませぬ!」
ヒルブランドは一つ間を置き思案すると、呼び起こされた記憶を整理し、先とは異なる呼称で銀髪の男に問いかけた。
「アサラには以前から懸念すべき材料があったな法王よ」
「……はい。アサラは過去に、クーメより多数の難民を受け容れていながら、陛下が大陸全土にクーメ人の捕縛をご下命なされた折り、アサラ領主は実際とは異なる人数で報告を上げ、多くのクーメ人を労働力として確保しようと試みました。これは陛下のお定めになられた『廃魔禁研令』に抵触する疑いがございます。」
「其方から再三に渡り追及の必要性を説かれていたが、辺境の田舎街が故に捨て置いてあったツケが回って来たかな」
「畏れ多いことでございます」
ヒルブランドは自嘲するような笑みを見せたが、すぐに口もとを引き締め、しなる鞭のように右手を前方に指し出した。
「南部には今“赤”が巡察に出ておろう。そのままアサラの調査に向かわせよ」
「「御意のままに!」」
フルオルガ王都を照らしていた朝日は、同じ時、アサラの街にもその光を降り注いでいた。
天からの恵みは、貧民街に暮らす者たちにも平等に分け与えられているが、ひときわ美しく輝いて見える修道服姿の女を見ると、世の不公平感を否めない。
だがその女は自らに与えられた特権を浪費するかの如く、緋色の髪は振り乱し、真紅の瞳は鋭く眼光を放ち、鬼気迫る勢いで貧民街を駆け抜けて行く。
男たちは女の美しさよりも、その気迫の方に意識を向けさせられる。
アサラの街南部にある貧民街の中心地に、界隈一の大きさを誇る建物がある。見た目は貧民街の例に漏れずボロだが、中は広く、朝から酒や食事を提供する店が営業していた。
観音開きの入り口が勢いよく叩き開けられ、蝶番を支点に、壁に叩きつけられた扉が非難の声を店内に轟かせた。
「おい……“盾の女神”じゃねぇか」
「何か機嫌が悪そうだぞ……」
「誰だ奴を怒らせたのは……」
朝から賑わっていた店内は一気に静まり返った。
客たちは真紅の瞳に捕らわれぬよう視線をそらし、大声で行われていた歓談は小声の密談へと移行していった。
店の最奥には、飲食店とは別にカウンターが設けられ、真紅の瞳はそのカウンターに寄りかかった男の後ろ姿を捉えた。
言葉を発することも無いまま、緋色の髪で表情を隠した女は、剣を背負った男に足早に詰め寄って行く。一歩進むごとに、床板が鼓を鳴らしたような呻き声をあげた。
男が周りの様子と、ただならぬ気配を感じ取り振り返ると、その胸元に重い革袋が投げつけられた。
「ぐぇっ!……アリナか!?」
すかさず両頬を片手で掴み上げられ、茶褐色の髪の男は、アヒルの様な口になりながらも制止を訴えかけた。
「ひょ、ひょっほはへ!よふほほはははっはは」
衆人環視の下に数瞬沈黙し、真紅の瞳が突き上げるような視線で焦げ茶色の瞳を睨みつける。
「あなたナメてるの? お金がない、土地勘もないあなたが行くところなんて、闇労働組合しかないじゃない。そんなことより! お金は私たちの命と交換した物でしょ! 置き忘れたなんて言わせないわよ!」
「へ、へほははひへふへほ」
赤く、指の跡がしっかりと残った両頬を撫でながら、ランドは言葉を選んで話をはぐらかそうと試みた。
「昨日チルセンで出会ったときの寒気を思い出し……」
「私たちは貧しいけれど、憐れみは受けないわ!」
「ま、まへまへ!」
ランドは再び頬を掴まれ、降参の仕草でアリナの感情をどうにか落ち着かせようと試みた。
「まぁ聞けよ……」
ぎこちない笑顔を作り出し、弁明の機会を逃さないよう、引きつった口から言葉を繰り出す。
「金は必要だろ? とりあえず貸しにしといてやるから、あの年少組のためと思っ……おぐぅっ!?」
年少組を引き合いに出したのは逆効果だったようだ。ランドの持つ革袋の下から、拳が鋭くみぞおちを刳る。朝飯を食べていたら店の床を汚していたかもしれない。
「年少組のためにも、何もせずにお金が手に入るなんてことは、覚えさせたくないのよ」
「だが……現実問題として、金がねぇと……飯は食えねぇだろ。お前のエゴで……年少組を、飢え死にさせる気か……うっぷ」
「そんなこと……させない…………」
言葉に詰まったアリナが反撃の文句を思考している。ランドが好機とばかりに追撃の一言を繰り出そうと口を開きかけたが、ここでアリナの増援部隊が到着した。
「そこで提案があるのですよ」
アリナの背中越しに声をかけてきたのは、青墨色の髪をもつ少年であった。
ランドは提案とやらにやや身構えたが、今はアリナとの間で、緩衝材となってくれそうな人物の登場を素直に喜んだ。
「そのお金で僕たちを雇いませんか?」
「……雇う?」
「はい、ランドさん人を探しにクーメに行くんですよね? 人探しなら人数が多いほうが良いと思いますよ」
「ほぅ、君はクーメに行きたいのか」
更に会話に割って入ってきたのは闇労働組合の組合長マティアスだ。カウンターの奥から続く隣部屋に居たようだが、店内が静まり返ったことに気付き、様子を見に出て来たようだ。
「闇労働組合に来たと言うことはお金が必要なんだね」
言いつつマティアスは近くの円卓に三人を誘導した。
周りの客たちは自分たちの会話を再開しだした、マティアスが出て来たのであれば、これ以上事態は悪化しないだろうと判断したようだ。皆のマティアスに対する信頼の厚さが伺える。
アリナが座ろうとした椅子を引いてあげ、微笑を浮かべながらアリナの腰に手を回す。洗練された紳士的な動きだが、アリナも微笑を返しながら、さもそれが常識的な返礼であるかのように、優雅にさえ見える動きでマティアスの手を払い流した。
ランドとロジェはそのやり取りが視界に入っていたが、特に何か言うこともなく席に着いた。
マティアスは微笑を崩すことのないまま椅子に腰掛けると、静かに目線をランドに合わせた。
「君がアリナ達を雇う雇わないは別の話として、僕が君に仕事を依頼したい」
「オレに……?」
「クーメで人探しなら僕も力になれるかも知れないよ。交易で知られるこの街には情報も集まる。その多くは僕の下に流れてくるからね」
この男を信用するわけではないが、金と情報は確かに欲しい。ランドはとりあえず話だけは聞いてみることにした。
ご一読頂きありがとうございます。
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m(_ _)m