第五話 亡郷
「そういや少しだが酒を持ってたんだ。飲むか?」
粗食を済ませた一同は、満たされぬ腹の足しになればと不揃いの器を並べた。
「ランド兄ちゃんそれ何?メロディも飲みたいー」
最も幼い桃色髪の少女がランドにまとわりついて甘えるが、一つ年上のペパンが年長風を吹かせ諌める。
「おいメロディ、ボクたちは後片付けがあるだろ!」
食べ盛りだというのに少量の食事に文句も言わず、言われた仕事を健気にこなしている。ランドは憐れみにも似た感情で子供たちを見送ったが、食べ物にありつけるだけまだマシな方だと言うことも知っていた。
「……よく働くな」
とりとめも無い言葉を呟きながら、ランドは手持ちの水筒から、金髪の戦士が持つ器に酒を注いだ。
「年少組はまだ自分だけで生きていく力がないからな……」
ベルパルシエは語った。今は自分たちが闇労働組合から貰った仕事や、時にはチルセン駐屯所のときのような盗み等で銭を稼ぎ、生計を立てている。
だが自分たちがやっていることは常に危険と隣り合わせだ。魔物の討伐などになれば死に直結する仕事だし、死ななくても、盗み等の犯罪で役人に捕まれば銭を持って帰ることが出来ない。
自分たち年長組の中で、だれも帰ってくる者がいなくなれば、それは即ち年少組の死へと繋がる。
だから自分たちは仲間を見捨てることになろうと、必ず一人は年少組の下に戻って来ようと固く約束している。
「そして、誰も帰って来なかったときに備えて、今のうちから出来ることを増やすために、敢えて仕事を与えているんですよ」
自分にも酒をくれ、と器を差し出しながら、青墨色の髪の少年が話を補完した。
「おいおいロジェぇ、お前酒なんて大丈夫かぁ?」
ルーがロジェの肩に手を回し、冷やかしながら器をランドの目前に掲げる。下戸のフレッドは大人しく水を口にしていた。
“自己犠牲の精神”――ランドにはわからない思想だったが、そういう思考の人物と出会ったことが無いわけではなかった。
ランドはふと脳裏をよぎった疑問をそのまま口に出してみた。
「お前らは一体どういう関係なんだ……?」
孤児の集まりだということは大方察しが付く。だが、血も何も繋がりのない者に対し、どうしてそこまで一方的な献身的思考を持つことが出来るのだろうか。
「……家族よ」
答えはとても簡潔に示された。
テーブル越しのランドに、しなやかな指で器を押し寄せたアリナは、話題の剣先を今夜の客に変化させていった。
「探してる人がいるって言ってたわね。どういう関係の人なの?」
ランドはアリナの器にチルセン駐屯所からくすねて来た酒を注ぐと、水筒に直接口をつけ残った酒を一気にあおろうと試みた。
…………酒は残っていなかった。
ロウエム大陸歴五〇七年、西のサーガ王国、南のキュラント王国がフルオルガ王国の軍門に下ると、翌五〇八年、東のラージ王国が北のフルオルガ王国に帰順し、大陸中央に位置するクーメ魔法王国は四面楚歌の情勢に黯然銷魂の風潮を抑えきれずにいた。
かつてクーメ魔法王国は東西南北の四国を圧倒する魔法軍事力を誇り、その研究は他国の追従を許さなかった。
国土自体は一地方都市程度の大きさでしかないが、ロウエム大陸歴五〇五年には、第一次タニビエス会戦でフルオルガ軍を敗走させている。
東のラージ王国の帰順を受け、フルオルガ国王ヒルブランド・ディアークは、満を持してクーメ侵攻の軍を挙げた。
この時、クーメ国と隣接するフルオルガ王国アサラの領主、フリーデマン・シュトルフトが私財を投じて兵を挙げ、タトーライの戦いで白星を上げると、勢いに乗ったフルオルガ軍は第二次タニビエス会戦で勝利を収め、そのままクーメ本国を陥落せしめた。
「クーメが落ちた日、オレは彼処にいたんだよ……」
空になった水筒を逆さに垂らし、ランドは恨めしそうにアリナの酒に視線を送った。
アリナはその視線を遮るように、酒の注がれた器を手で隠し、己の側に引き寄せた。
「クーメが陥落したとき、国内は悲惨な状況だったって聞いてるわ。よく生き延びられたわね」
「助けてくれた人がいたんだよ」
ロウエム大陸歴五〇八年の秋、クーメ国内にまで進駐して来たフルオルガ国軍は、逃げ惑う民衆に対して残虐の限りを尽くした。
「団長!この辺りには民間人しか居ません!」
最前線で指揮を執っていた騎士は、報告に対し耳を疑う返しで命令を下した。
「クーメは兵士でなくても魔法を使う! 女子供であろうと気を許すな! 全員が魔術師と認識して任務に当たれ!」
フルオルガ軍は東西南北の四ヶ国で成る連合国軍であったが、純粋に北のフルオルガ国属の兵士には、大陸一の小国に対し、敗戦という苦い経験を持つ者が数多く在籍し、末端の兵士に至るまで“魔法”に対し過度な警戒心を備えていた。
さらに時のフルオルガ国王ヒルブランド・ディアークの名の下に発せられた勅命は、兵士たちを執拗な殺人鬼へと駆り立てた。
指揮官達は躍起になって部下たちに命じた。
「クーメ国内に“神の加護”を受けたと言われる者がいるはずだ! 年齢性別は不詳だが、必ずこれを見つけ、首級をあげよ!」
誰だかわからないが首を獲ってこい。そんな司令が全軍に通達され、戦後『神の加護を受けた者の首』がクーメ城門前に晒されたが、その数は百を数えたという。
そして当時のランドが暮らしていた城下町の避難施設にも、その狂騒は無作法に押し入ってきた。
ランドは母に連れられて、避難施設の最奥にある倉庫にその身を潜めていた。
「キャー!」
蹴破られた扉は室内を駆け回り床に倒れ込んだ。扉の従者のように金属鎧の擦れる音を室内に持ち込んだ兵士たちは口々に叫んだ。
「動くな!」
「喋るなよ!喋れば魔法の詠唱とみなし殺す!」
「“神の加護を受けた者”を知っているか! 知っているなら正直に話せ! 黙っていれば殺す!」
言っていることは滅茶苦茶だが本人たちは必死である。
基本的にフルオルガ国の者は大陸一魔法に対して無知であり、少しでも不審な行動をとられると過敏な反応を見せてしまう。
「お願いします! 子供だけは……!」
嘆願を言い終えるより早く、母親は狂気に取り憑かれた兵士に斬りつけられ、床に血の泉を作り出した。
「しゃ……喋るなと言っただろ!」
兵士の眼は病的な興奮に血走っていた。
「ランド……逃げ…………」
「しゃ、喋るな! 喋るな! 喋るなああああっ!」
最後まで我が子の身を案じていた母親は、最愛の息子の目の前で、何度も何度も剣で突き刺され、無惨な最期を遂げた。
幼い日のランドは声を出すことも出来ないでいた。
兵士たちはここに来るまでに血と絶叫を織り交ぜたカクテルを何杯も飲み干し、戦塵に酔っていた。
現実に焦点が合っていないその目が着目したのは、ただ立ち尽くしている少年の、震える手足や流れる涙などではなく、腰から下げた短剣であった。
ランドは幼い頃より、王国の兵士であった父に師事し剣技を身に付け、日頃から実剣を携帯していた。
「こいつ、武器を持ってるぞ!」
兵士の一人が叫び、母親を殺した兵士が顔を引きつらせながらも剣を振りかぶる。
ランドは反射的に腰の剣に手をかけた。刀身が摩擦音を奏でながら鞘を走る。
……が、抜剣しきれぬまま壁に柄尻が当たり、恐怖と動揺が全身を縛り思考を停止させた。
兵士が剣を振り下ろす。ランドは目をつぶり、母の血がついたままの鉄の悪意が、己の身を通過する現実が来るそのときを覚悟した。
――鈍い音がした。
覚悟した瞬間が来ないことに待ちくたびれたわけではないが、ランドは薄っすらと目を開けた。
母を殺し、自分までも殺そうと剣を振り下ろした兵士が消えていた。今のいままで目の前に居たのに……。
その兵士が自分の足元で、血を流して倒れていることに気が付いたのは、先程まではこの部屋にはいなかった騎士が、フルオルガ兵の最後の一人を斬り伏せた後だった。
「…………その人がそのままオレを連れて戦火の中クーメを出国。東のラージ国の片田舎で隠れ住んでたんだ」
アサラの街にある貧民街の薄暗い部屋の中で、軽い気持ちで立ち入ってしまった茶褐色の髪の男の過去に、聞かなければよかったと後悔している緋色髪の女が一人。恋愛譚を期待していたことを反省している金髪の男が一人いた。
青墨色の髪の少年は冷静に話を整理していた。
「その方とはお知り合いではなかったのですか? 助けられたのはランドさんだけですか?」
「あぁ連れて逃げたのはオレだけだったぜ。六歳の時だったから記憶が曖昧だが、知らない顔だったな。その後ラージで二年ほど一緒に暮らしたが、あの人が教えてくれたのは剣と生きていく術だけだったよ」
じりじりと身をずらし、自然と席を離れようとしていたアリナが、会話の一端に反応し苦虫を噛み潰したような顔になる。
「クーメの時で六歳……今十八歳? げ……同い年」
「ん?お前も十八かよ。皆はいくつなんだ?」
ベルパルシエが酒の空いた器を逆さにし、恨めしそうに眺めながら答えた。
「オレ、フレッド、ルーが十七、十六、十五歳で、ロジェが十三歳、コイツは来月で十二歳だ」
ランドの隣でずっと聞き入っていたテオフィルが、ベルパルシエに急に引き寄せられ態勢を崩した。
「大人の話に興味があるのか」
「子供扱いすんなよベル兄! オレだって来月からは一緒に仕事連れて行ってくれるんだろ!」
“ボス”はアリナだ。と言わんばかりにベルパルシエはニヤけ顔でアリナに視線を飛ばす。
「十二歳になれば“大人”よ。嫌でも働いてもらうわ」
「やったぜ!」
テオフィルはランドに向き直ると、すがる様に頼み込む。
「なぁなぁランド兄ぃ、オレに剣を教えてくれよぉ」
テオフィルは普段アリナやルーに剣を教えて
もらっているが、男のテオフィルにとってアリナの柔軟な剣技は本懐ではなく、ルーは小器用に剣を使うが、基本を知らないので人に教えることは苦手であった。
「悪いがオレは一晩泊めてもらいに寄っただけだからな、それにアリナの剣技はお前が大人相手に戦うには理想的だと思うぜ」
ランドはバツが悪そうに茶褐色の髪を掻きながら、申し訳無さそうに辞退した。
食事の片付けを済ませ戻って来た二人が、話を聞きつけランドにまとわりついてきた。
「えーランド兄ちゃん一緒に住むんじゃないのかよ」
「なあんだぁ。せっかくメロディの魔法見てもらおうと思ってたのにぃ」
意外な申し出にランドが食いついた。
「メロディは魔法が使えるのか?」
ランドが驚きの顔を見せたことに嬉しくなったメロディは、ランドに抱き着き得意気に語った。
「いつもアリナ姉ちゃんに教えてもらってるんだよ。えとね、きほんは出来てるんだけど、まだぞくせいがわからないの」
――魔法は基本となる魔力を身につけ、普段は目に見えていない精霊に対し、魔力を乗せた言葉で語りかける。精霊が答え具現化すれば、そのこと事態が現象となり効果をもたらす。
だがこの“言葉に魔力を乗せる”と言うのが一筋縄ではいかない。意識を魔力の発生に集中しているときは限りなく無意識に近い状態になる。その上で呪文を想起し、一言ひとこと言葉の意味を捉えつつ、時に感謝し、時には敬服の念を込めながら詠唱しなくてはならない。
これを実行するために、魔法使いは魔導書を用いる。書に記された呪文を視界に収めつつ魔力を高め、無意識下でも目に映る呪文を理解しながら詠唱出来るよう訓練しているのだ。
そして魔法使いは個人の資質により属性が決まる。
属性は己で探さなければならないが、最も簡単で確実な方法が、“実際に魔法を行う”ことである。属性が異なれば効果が現れることは無い。
「そうか、メロディは凄いんだな」
「次のお仕事で、もしかしたら魔法の本がもらえるかも知れないんだって、もしもらえたらメロディにも見せてもらうんだ」
「あ、やば……」
何かを思い出した素振りでアリナが立ち上がった。
「そろそろ明日の最終打ち合わせに行ってくるわ。皆は先に寝てて」
急ぎ出かけるアリナを見送り、一同は就寝の支度に入った。
ランドは明かりの消えた暗がりの中、独りでない夜なんていつ以来だろうと思いにふけった。賑やかなのも悪くはないなと……。
――翌朝、アジトにランドの姿は無かった。
部屋の隅に寄せられたテーブルの上には、食料を換金した銭が入った革袋が置かれていた。