第四話 アジト
ロウエム大陸歴五〇七年、南の王国キュラントを打ち負かしたフルオルガ国王ヒルブランド・ディアークは、王位継承権第一位の実弟、ヴィクトル・ディアーク公爵をキュラントの元首に据えた。
大陸一の軍事力で知られるフルオルガ国内において、武人として名を馳せていたヴィクトル公爵は、キュラント国内で相次ぐ叛乱に対し力でもって対応に当たった。
各地で武力蜂起が起こるたび、軍隊を派兵しこれを鎮め、関係者はことごとく極刑に処し、消費した軍事費は増税で賄った。
ロウエム大陸歴五一二年、フルオルガ王国が『富国強兵』を基本政策に掲げると、ヒルブランド王の名の下に、大陸全土より人夫をフルオルガ王国へ派遣するよう要請が出され、キュラント公国からも例外に漏れず労働力が徴用され、国力は衰退の一途を辿った。
国の機能を著しく低下させたキュラント公国では餓死者が相次いだが、同時に大規模な叛乱も起こらなくなったため、ヴィクトル公爵はこの情勢を受け入れ、民にとっては絶望的な時代が始まった。
ロウエム大陸歴五二〇年、フルオルガ王国アサラの街では、月も恥じらうほどの明かりを灯し、まるで幾多の星々に張り合うように、人々の喧騒は果てない夜空を侵食していた。
アサラ南部にある貧民街からも、夜空への進軍は留まることが無く、ひしめき合うテント群の中に、点在する木造の掘っ立て小屋の一つから、今もまた、何か陶器でも割れたかのような音が聞こえた。
「おいおい親父ぃ! ふざけてんじゃぁねぇぞぉ!」
小屋の中には正面にカウンターらしき台が置かれ、左右の壁には物置きが設置してあり、商品と見られるガラクタ類が並べられている。
カウンターの上には食料が詰め込まれた鞄や袋が積み置かれ、乗り切れなかった袋が一つ、台から床に崩れ落ちた。
台の上の荷を掻き分けるようにして身を乗り出し、店主の胸倉を掴んでいる戦士は、若草色の髪の毛を掻きむしりながら主張した。
「今見たろぉ? 米や麦だけじゃぁねぇ……肉だっ! 肉や果実も少し入ってるんだぞぉ!」
足元に散乱した壺だった物らしき破片には目もくれず、ルーは店主を呑み込まんばかりの勢いで睨みつける。
対する店主の大男は、自分よりひと回りもふた回りも小さい客人に両手を上げ、冷ややかな視線を送りつつ、嘲弄するような物言いで応対した。
「だから多目の金額を呈示してるだろ。貧民街じゃ相場だぜ」
不意に店主は違和感を覚え、視線を若草色の髪の毛より上に移した。
そこには狭い入り口をどうやって入って来たのか、天井に頭が届いているのでは……と見間違うほどの巨漢の戦士が、いつの間にか物も言わず立っていた。
フレッドは日頃から小心な物言いをするが、黙って立って居られると、見ている方はその巨躯に圧倒される。
「お、お連れ様ですか……? おっと……ふ、袋をひとつ見落としていました」
店主は床に転がる袋にわざとらしく目をやると、金貨を一枚付け加えた――。
アサラ領主フリーデマンは、辺境の農村を数年で交易の中心地にまで発展させた有能な政治家だが、貧民街の治安に関しては少しの興味も示さなかった。
貧民街では連日当たり前のように犯罪が多発。強盗、暴漢の被害は天気の話より聞こえてくると言われるほどで、知己に会えば“何処で誰が殺された”かが挨拶代わりである。
しかしそんな貧民街でも全くの無法地帯と言うわけではなく、貧民街の中で力を持つ者たちの集まりが街の“顔役”となり、自警的レベルで一定水準の治安は保たれていた。
顔役を成す組織は大小いくつも存在するが、貧民街一の顔役と言えば、団体名『明けの明星』のマティアスの名が挙がる。
顔役はそれぞれ自分たちの縄張りを持ち、喧嘩の仲裁や商売の安全保障等を請け負い、金銭を見返りとして受け取ることで成り立っているが、『明けの明星』はその“顔役たちの顔”として、相互の縄張り争いや様々な諍い事が、大きな抗争にまで発展しないよう、貧民街全域のバランスを保っていた。
そのマティアスが短い茜色の髪を夜の闇に晒しながら、貧民街の狭く入り組んだ路地を歩いていると、見知った顔ぶれが商店の前でたむろしているのを発見した。
「よぅ、アリナじゃないか、珍しい所で会うな。ここは戦場か?」
店先で馬の番をしていたアリナ達は、声の主に気付くと微笑で応じた。
「あらマティアス。そう言えばこの辺りはあなたの縄張りだったわね。さっき北門から帰って来たから、ちょっと寄らせてもらってるわ」
「“盾の女神”と呼ばれる君ならいつでも歓迎するさ」
マティアスは微笑みながら、ごく自然な動きでアリナの頬に手を添えようと試みたが、これを不自然なく払い除けられてしまう。
その事に誰も言及しないまま、マティアスも眉一つ動かさず、気にしていないとばかりに話を変える。
「見慣れないお友達だね」
アリナの後ろに立っているみすぼらしい格好の男に、マティアスは興味を示したようだ。
「始めまして。僕はこの貧民街を統括しているマティアスだ」
「……ランドだ」
軽く自己紹介を交わしながら、握手を求め差し出された手をランドは握り返した。
マティアスは握った手をじっと見つめ、何か得心がいったように僅かに口角を上げた。
「なるほどね……。君、強いだろ? 君も明日の作戦に参加してくれるのかい?」
質問の意味がわからなかったランドに変わってアリナが答える。
「彼が強いってわかるのね。でも残念ながら彼は私たちの仲間じゃないのよ」
街の北側では強張っていたアリナの表情も、貧民街に入ってからはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「へぇ……惜しいな。この街にはしばらくいるのかい? ろくでもない街だけど、もし滞在するなら明けの明星の闇労働組合に話を通しておいてあげよう。金は必要だろ?」
街の顔役なだけあってか、面倒見は良いようだ。だがこういった場所では、甘い言葉にこそ気を付けなければならないだろう。
「せっかくだが旅の途中なんでね。長居をするつもりはない。金も……」
ふと店の方に目を向けたランドに、ちょうど換金を終え出てきたルーが革の袋を投げてよこした。
「――今手に入った」
アサラの街の南部の一画にある貧民街。そのさらに南側に、アリナ達の住処はあった。
どこからか拾い集めてきた木の板とトタンで作られた家はとても粗末で頼りなく、しかし確かに形を成しアリナ達の生活を守り支えている。
ランドはアリナ達に続き家に入ると、予想外の声に一瞬戸惑いを覚えた。
「おかえりー!」
家の中に居た幼い三人の子供たちが、アリナ達の帰りを待ちわびていた。
「どうだった?」
「お食事出来てるよー」
「ゴブリン出た?」
元気よく出迎えた子供たちであったが、最後に入って来たランドの姿を見て動きが固まった。
「ただいまテオフィル、ペパン、メロディ。今日はゲストがいるわよ。メロディ、席を用意して」
ロディとベルパルシエも小さな戦士たちに言葉をかける。
「ごめんテオフィル。今日の戦果は無しでした」
「ペパン!ファヴリスにも餌を頼む」
家の中は意外にも広く感じられたが、大人が六人と子供三人が居れば身動きも取りづらくなる。壁には布で仕切られた出入り口が二つあり、一つは台所。もう一つは女性部屋として使われているテントと併設されていた。
部屋の中央に配置されたテーブルに食事の支度が整えられていく。
大テーブルの横に小テーブルを並べ、人数分の食器が並べられていく。フォークやナイフ、皿のどれも形や色、装飾が異なり古めかしい。どれも拾い集められてきた物なのだろうか。
「ランドさんはこちらにどうぞ」
ロジェに促され、ランドは小テーブルの方に腰を下ろした。
卓上には人数分の皿が置かれ、スープの中には芋が一つだけ入っている。大小二つのテーブルの中央にはそれぞれ一束(約八センチ)程の大きさの、焼いた鶏肉が山と積まれていた。
「今日は残念ながら収獲はなかったけど、ランドが少しだけ食べ物を分けてくれたわ」
「わぁ! ランド兄ちゃんありがとー!」
「おいメロディ!お前肉なんて食うの初めてなんじゃねぇか?」
「何言ってんだペパン!去年お前の誕生日にレイモン爺さんの小屋から盗んで来てやっただろ!」
年少組と同じ小テーブルを囲むランドは、痩せ細りながらも元気に満ちあふれた子供たちを見て、心が穏やかになるのを感じていたが、そんな気分をアリナがぶち壊す。
「本当はもっとたくさん食べさせてあげたいのだけれどごめんね。でもランドの好意でほんとーに少しだけ食べ物を分けてもらえたことに感謝しましょう」
ランドがいたたまれない表情を修道服の女に向けた。女は気付いていない素振りでランプに照らされた緋色の髪を指で隙き、両手を握り合わせると静かに真紅の瞳を閉じた。他の者たちもそれに倣う。
「……今日は大皿があるわ。皆必ずナイフとフォークを使うように、食べたい人が食べたいだけ食べるといいわ。身を乗り出すのは良いけど、食事中に立ち上がったりするのは駄目よ」
大皿で出すことが珍しいのか、妙に細かく説明をするな……と、ランドは奇妙に感じたが、口には出さず目を閉じた。
「――先に逝きし父よ母よ友たちよ、土に還りし其の御霊、木となり火となり金とならん。水の引き手に従いて、やがて土に還る時、我ら四方より廻り集い、共に単とならんかし……」
「「かくあれかし……」」
祈りの言葉か……。と、ランドがまぶたを上げたとき、それまで厳かにさえ感じられた場の空気が一変した。
皆目前のスープには目もくれず、一斉に大皿の鶏肉に手を伸ばす。
「秘技!二刀流ぅー!」
ルーは両手に持ったナイフとフォークで同時に二つの鶏肉を突き刺した。
「大皿が目の前に来る席を確保した時点で勝敗は決していたのですよ!」
ロジェも負けじと肉を口元に運ぶが、許容量の差でフレッドに一歩及ばない。
「フレッド! てめぇ次の肉は食い終わってから取りやがれ!」
あっと言う間に食い荒らされた大皿に残った最後の一つに、最も遠い席からベルパルシエがその長いリーチを活かしナイフを突き伸ばす。
「ふ……一番長いナイフは来るべくしてオレの手元に来たのだ!」
「ふんっ!」
金属のぶつかり合う音が、ランプに灯された薄暗い室内を侵食した。
ベルパルシエのナイフはフレッドのスプーンによって弾かれ、テーブルの上で跳ねると自らの眼下に滑り戻った。ベルパルシエは愕然としたまま声も出ず、頬を汗が伝う。
「頂きましたよっ!」
一瞬の隙きを突いてロジェが最後の鶏肉を獲得した。
「甘いぜぇっ!」
投げられたルーのナイフは正確な軌道を描き、ロジェの手からフォークを弾き落とす。鶏肉が刺さったままのフォークはテーブルに落ちる寸前でフレッドに掴まれた。そのままフレッドは大きく口を開け勝利を確信する。
――刹那!
一息三線の斬撃が卓上を走った。
フレッドの持っていたフォークは手から弾き飛ばされ、肉はフォークの柄から滑るように襲ってきたナイフの背に押し飛ばされた。大空を舞う燕のように翻す切っ先で突き抜かれた肉は、そのままアリナの口に収まり、男たちは皆うなだれて見せた……。
鶏肉をあんぐりと開けた口元まで運んだまま固まっていたランドは、自らを諭すように呟いた。
「なるほど。こいつらの居るところが戦場か……」