第四十五話 邂逅祭・中
アサラ領主フリーデマンは、夜空に浮かぶ星の光と、地上にたぎる松明の灯りとを受け、崩れた床の端から身を乗り出す勢いで天を仰ぎ、まるで悪魔に気付いていないかのように叫んだ。
「おお、神よご照覧あれ……いや、すでにこの身こそが、新たに神階に与する至高たる存在! 感じる、感じるぞ……膨大な魔力を、極大な力をっ!」
「フリーデマン隊長、ご無事でしたか!」
何か普通でない様子を感じながらも、シュトルンは『宮廷騎士団』元部隊長の無事を確認して、表面上は安堵して見せた。
だがフリーデマンの方はと言うと、シュトルンには見向きもせず、目は血走り、涎を垂れ流し、天を仰いだまま見えざるものに対して語り続けた。
「ぐふ、ぐふふふ……これが玄神の力……計り知れぬほど至大な魔力を感じる! これならば勝てる、あの男……ヴェルナーに!」
「ヴェルナーだと!?」
反応したのはランドだけではなかった。
フリーデマンの話しぶりからは、今起こっている事態、現象に対して、少なからぬ関与が疑われる。
悪魔の動きに警戒しながら、シュトルンはフリーデマンに問いかけた。
「どういうことですかフリーデマン隊長!」
ずっと見えざるものにだけ語りかけていたフリーデマンは、愉悦に浸る顔を少しだけ覚ますと、遥か下方に佇む赤毛の騎士に対し視線を動かした。
「“赤”か……シュトルンよ、私はずっと思っていたのだ。奴の……ヴェルナーのせいで、私は人生を台無しにされた! 私のほうが有能なのに、私のほうが優秀であるのに、ただ……奴のほうが強いと言うだけで……武力のみに固執したノアベアトめが……!」
「貴様っ! 先君に対し不敬な……!」
「ふふふ……何を憤るかシュトルンよ。我はすでに神位を得たり、人界の王など我が敬意の対象となるか!」
これには傍で聞いていたロルフも驚き、口を挟まずにはいられなかった。
「なんと……フリーデマン伯は乱心召されたか!」
「出過ぎるな青二才が! 私は神の力を得て、全ての者たちに証明する、私こそが強者、私こそが支配者であると! そう……死者に対してでさえもなぁ!」
シュトルンとの会話に水を差されたことに立腹したフリーデマンは、左手に持つ本に右手をかざすと、今度は悪魔へとその視線を移動させ、再び愉楽で心を包んだ。
「さあ玄神よ、仮の衣を脱ぎ捨て、我が内へ宿るのだ!」
『宮廷騎士団』の騎士たちは互いに顔を見合わせた。
「玄神だと?」
「あの悪魔を見て言ったように見えたぞ」
「伝承とは違うが、あの悪魔が玄神だというのか……」
皆の視線が悪魔へと戻ったとき、折悪しく次の攻撃が繰り出されようとしているところであった。
フリーデマンは下方の人間たちを蔑むように悪魔に言い聞かせる。
「わっはっはっ。玄神よ、そんなゴミ共など放っておいてよいわ。早く我がところへ来るのだ」
三度、鬣の雨が降り注いだ。
ランドたちは建物や瓦礫の陰に身を隠しその脅威を避けたが、赤い騎士の何名かは、鋼の鎧に打撃を受け身をよろめかせた。
「……ヴェルナーより有能だと?」
不意にランドが瓦礫の陰から踊りだし、領主館の一階の窓に体ごと飛び込んだ。
その意図を察したロルフは赤毛の騎士に尋ねた。
「よろしいのですか?」
シュトルンは少しだけ間を置き、そして答えた。
「我らが護るは人間だ、元人間は管轄外であろう」
シュトルンは憐れみにも似た視線でフリーデマンを見た。
絶対に敵わない存在を前に、それでもフリーデマンは歩みを止めることはなく進み続けたのである。
結果的に道を間違え、その手を汚してしまったとしても、諦めきれない夢や目標に向かって、彼は彼なりに考え、努力し、結果へと繋げてきたのであった。
「彼が手に入れるべきものは力ではなかったようだな……」
シュトルンは信頼する部下を見つめ、わびしげに一つ、ため息を漏らした。
フリーデマンは確信していた。
全ては長年に渡る研究で見出した結果の通りに事が運んでいる。
魔法陣による人からの魔力抽出とその増幅。強大な魔力によって反応する神書。そこから召喚されしは水の神“玄武”であり、召喚した者に宿り、その加護は神の力を授けるに至る。
今まさに、その神の如き力を持った魔獣が姿を現した。
あとは己が身に迎え入れるだけであった。
「なのに……なぜだ、なぜ来ない!」
「お前が間違えてるからさ」
崩れ落ちた部屋で、一人嘆いていたフリーデマンに声を掛けたのはランドであった。
「うぅ……」
地上では瓦礫に埋もれ気を失っていたアリナが目を覚まし、知らぬうちに己が身を護ってくれていた瓦礫を迷惑そうに退かし、なんとか起き上がろうとしていた。
全身が棒で打たれたように痛む。周りを見渡してみたが、状況は好転するどころか目につく全ての者たちが傷つき、巨大な獅子顔の魔獣に対し手をこまねいていた。
「アリナ姉伏せて!」
テオフィルの声に反応し、反射的に身をかがめると、次の瞬間鬣の雨がアリナの体を撃ちつけ、再び地に倒れ込んだ。
「テオ……逃げるのよ。あなただけでも……」
「嫌だ、オレもまだ戦えるよ! ランド兄がそこの建物に入っていったんだ、助けに行かなないと!」
悪魔を注視しつつ、テオフィルは建物の陰から飛び出すタイミングを図っていた。
テオフィルは気付いていなかった。
強大な魔物に気を取られ、圧倒的な攻撃力を警戒する余り、建物の陰に隠れている限りは大丈夫だと、未熟な経験から導き出した答えが間違えていることに気付けなかったのである。
アリナは逃げるように言ったのに、テオフィルは自分の力を過信してしまっていた。
だから気付けなかったのだ……背後からゆっくりと迫ってきていた魚人司祭の鉤爪が、己が背を貫くその時まで……。




