第四十三話 邂逅祭・先
アサラの街南門を目指し逃げ惑う人波の中に、二人の騎士と一人の少女の姿があった。
騎士の一人は若竹色の短髪を襟だけ伸ばし、後頚部で結んで腰まで垂らしている。
「お待ち下さいゲルベルト閣下、前の様子が何か変です」
三人の前には人だかりが出来ており、南門から外に逃げることもなく、何やらざわついていた。
その原因はすぐに判明した。南側に逃げた者たちにとって、唯一の街の出口である南門が閉じられているのである。
さらに、門に近づこうとする者を、外壁上から兵士たちが情け容赦無く矢を射掛け、
「何と言うことだ……」
三人が目にしたのは、街の中心部で見た光景と何ら変わらぬものであった。
違っていたのは、民を殺めているのが、魔物であるか、人であるかの違いだけであった。
「あ奴らめ、この街にいる人間を魔物の餌にでもするつもりか!」
腰の剣に手をかけ憤慨する若い騎士を、連れの騎士がなだめ留める。
「待つのだカミルよ。さすがにあの人数相手に、我ら二人だけではなんともならん」
「ク……奴ら何の目的でこのような……」
両の口髭を指でなぞり、ゲルベルトは外壁上の兵士を見上げつつ現状を分析してみた。
兵士たちはその装備、盾などに見える紋章から、アサラ領に所属している者たちであることが伺える。
ならば、曲がりなりにも同じ陣営に所属しているゲルベルトたちであれば、外壁上の兵士たちも話に応じてくれる可能性があるのではないか……。
だが、この事態に関する情報がゲルベルトたちには何も知らされていない事実が、一つの可能性を浮き上がらせ、外壁へ歩み寄ろうとするゲルベルトの足を踏み止まらせた。
「もしやアサラ伯の御心中では、我らも餌側でお考えにあるか……」
「閣下、伯がそのようなお考えであるならば、我らはまず一身の安全を図るべきかと……」
この時、街の中心部から木霊してくる巨大な魔物の低く不気味な唸り声が、行き場に惑う人々の心を、さらに恐怖と不安に駆り立てた。
「助けてくれーっ!」
「お願い、子供だけでも外に出して!」
「金だ、金を払うぞ!」
混乱する人々を前に善後策を論じるゲルベルトらの傍で、桃色髪の少女が柔らかな微笑を浮かべ、静かに口ずさみ始めた。
――越えられない壁を目に、天を仰ぐはまだ早く、天は問われずただ問いかける。此の世の界は広く深い。山を仰げば見えるのに、川に臨めば浮かぶのに……。
語るように唄いだした桃色髪の少女の声は、聞く者に不思議と活力を与え、南門前に屯していた者たちは、それぞれが思い思いに行動し始めた。
「とりあえずここに居ても埒が明かねぇ、オレは他の門を見に行くぞ!」
「どうせ外に出られんのなら、私は“赤備え”の下へ行くぞ、奴らこそ最強の騎士団だからな」
そしてこの唄声は、普通では届くはずのない者たちの耳にも届き、その恩恵を施した。
街の中心部で巨大な魔物に向かって斬り込むランドたちも、何処から木霊してきたのか、聞き覚えのある声を確かに受け取ったのである。
「この声……唄声はメロディか!」
「なんだ……この自然と力が湧いてくる感じは……」
ランドと肩を並べ戦っていたシュトルンも、突然の理解を超えた現象に戸惑いを覚えたが、それ以上に沸き立つ勇気と活力が、まるで二人の背中を押し出すように歩を進めさせた。
街の中心部で逃げ惑う人間たちを一方的に殺めていた巨大な魔物は、全体が獅子の顔部分のみで胴体はなく、顔の周りに生えた鬣からは、五本の山羊の足が生えていた。
「見えたぞランド! 師から受け継いだ剣技をどこまでモノにしたか見せてみろ!」
「知ったふうなことを……!」
ランドは大地を蹴ると、放たれた矢のように鋭く、風を裂いて斬り込んだ。
袈裟の方向に振り下ろされたランドの剣は、五本ある魔物の脚の一本に深く食い込んだが、切断するまでには至らず、魔物の苦痛に叫ぶ獅子のような咆哮が、まるで衝撃波のようにランドを襲った。
「そのままにしていろっ!」
咆哮の衝撃を押し返すが如くシュトルンが大きく宙に飛び上がり、振り上げた刀を振り下ろす。
「――ヴェルナー」
ランドは思い出に残る刀を振るその姿に、かつての師を思い重ねた。
シュトルンの刀は魔物の脚ではなく、そこに食い込んだままのランドの剣に撃ち込まれた。
剣はさらに魔物の脚に食い込み、赤毛の騎士は刀を合わせたまま力を込め直すと、体重を乗せてランドの剣を押しやった。
だがそれでも大木のように太い脚を斬り裂くことは叶わず、魔物の反撃に備えて距離を取ろうと、二人が同時に力を緩めたその時であった。
「まだよっ――!」
覚えのある声が聞こえたかと思うと、再び空中に人影が舞い飛んだ。
松明に照らされ夜闇に浮かぶその姿は、まるで舞い降りて来た天女のように見えたが、その天女が纏った衣は血にまみれた黒い修道服で、手に持つは白銀に光る細身の剣であった。
「お昼ごはんが遅くて良かったわーっ!」
緋色髪の天女は自らの剣の背に片足を掛けると、ランドとシュトルンの刀剣が交差する十字を目掛け、全体重を細身の剣に乗せ降り立った。
緋色髪の天女の意図を瞬時に察した二人は再び腕に力を込め、三人同時にランドの剣を押し込むと、剣はようやく魔物の脚から解放され、三人はそのまま体勢を崩して地に転がった。
「やったわね!」
「よし退くぞ!」
「体重の勝利だな」
獅子の咆哮は、痛みによる叫びから、怒りの表明へと趣旨を変化させた。
頬に赤い怒りの表明を印されたランドは、背中越しに刺さるような眼光を受け、臀部に感じる細身の剣先の痛みに耐えながら、魔物との距離をとった。




