第四十話 陽魔法
人波はまばらになり、だいぶ走りやすくはなったが、ランドはなかなかテオフィルを見つけられず焦りを感じていた。
メロディの姿も見えず、いよいよ街の中心部へと迫ったとき、眼前から迫りくる黒い影が、ランドの胸の鼓動を急速に打ち鳴らした。
その影は魚人司祭と呼ばれる魔物で、尾びれが脚、胸びれが鉤爪のついた腕の形を成し、通例では水中ないし水辺で確認される魔物である。
円錐形の頭を揺らし、直立歩行で歩み寄るその魔物が、ランドの目の前で一刀のもとに両断された。
「ほう……さすがは邂逅を謳う祭りだけあって、思いも寄らぬ人物と会うものだな」
瞬間、ランドは突然目にした未知の魔物ではなく、記憶に深く刻まれた見知った顔に戦慄を覚えた。
その騎士は、全身を真っ赤な具足で固めた『宮廷騎士団』の騎士団長シュトルンであった。
「出やがったな人さらい!」
言われた騎士は不敵な笑みを浮かべ、自らの正当性を主張した。
「あの“歌乙女”のことなら心外だな、我々は彼女を保護しているのだぞ」
シュトルンの言葉にランドは激しく憤りを覚え、奥歯を噛み締め手にした剣を赤毛の騎士に向け踏み込んだ。
「保護だと……今は何処で保護してる? あのロルフとか言う奴なら、今ごろ必死になってメロディを探してるぜっ!」
シュトルンの、わずかに動揺した一瞬にも満たない隙きを逃さじと、ランドは一息に詰め寄り鋭い突きを繰り出した。
ランドの切っ先はシュトルンの予測を超えて迫り、名もなき刀に防がれはしたものの、赤毛の騎士の頬に一本の赤い筋を刻んだ。
シュトルンは驚きと共に、この一年でのランドの成長に目を見張る思いであったが、口にしてみせたのは別のことについてであった。
「ロルフに会ったのか、あの“歌乙女”を避難させているのかと思えば、まさかはぐれていたとは……」
鍔競り合う二人に向かって、新たな魚人司祭がゆっくりと歩み寄って来た。
シュトルンはランドを押しやると、人から魔物へと構え直し、ランドにも矛先を変えるよう促した。
「とりあえずこいつらを食い止めねば街の被害は広がるばかりだ。ここで押し留めれば“歌乙女”の安全を確保することにもなろう。どうだ、やるか?」
魔物の群れは街の中心部から溢れ出て来ているように見える。確かにこの場所から魔物を先に進ませなければ、メロディの捜索はテオフィルとロルフに任せておけばいずれ見つけられるはずである。
「よし、乗ってやろう。だがその前に……」
ランドは魚人司祭から目を離さぬまま剣を地に置くと、空いた両手を大地につけ、目を閉じて意識を集中し始めた。
「これだけの魔力場なら届くかも知れない……。我が名はランド……八百万の友よ、我が問に答えよ。我が名はランド、八百万の友よ…………」
不思議な声色であった。耳から聞こえるようであり、心に直接語りかけてくるようでもあった。
ランドが繰り返し詠唱し続けていると、次第にその周りを囲むように光の線が走り、円を形どったその光は、まるでランドを護るかの如く、光の壁となって焦げ茶色髪の術者を包み込んだ。
この様子を見てシュトルンは驚きを隠しきれず、思わずランドを問いただす。
「お、おい……何をしている。魔導書も無しに、それは魔法か? しかも、八百万だと……?」
シュトルン自身は魔法を扱えないが、世間一般的以上の見識は備えていた。
魔法を行使する際には上位の魔導師であっても魔導書を必要とし、呪文の詠唱によって語りかけられる対象は基本的に一つである。
光の波動が消え目を開けたランドは、安堵のため息をもらした。
「とりあえずメロディは無事のようだ。それと、そばに騎士がいるような心象を感じたから、おそらくあのロルフって奴と一緒にいるんだろう。」
「心象を感じた……だと?」
シュトルンは驚き、訝しみ、興奮し、そして納得した。
「そうか、可能性か……」
「可能性? そういやテメェ、前にもそんなこと言ってやがったな。そりゃどう言う……」
「待て……」
シュトルンの目線はランドでなく魚人司祭に注がれていた。
脚の形をした尾びれでふらふらと歩み寄りながら、呻きとも唸りとも言えぬ声を繰り返し発している。
その声はランド達に向けられたものではなく、先に斬り裂かれた仲間の死体に向けられていた。
「お、おい……あれ……」
ランドが異変に気付き、微かに震える指を持ち上げ、恐々と魚人司祭の死体を指し示すと、死体の斬り裂かれた傷口から湧き出すように光が溢れ出し、その光は管のような、繊維のようなものを無数に生み出していった。
管は次第と息づくように延伸し、うねり、自発的に動いているようにさえ見えた。
裂かれた死体の両の傷口から伸びた管は、生き別れた恋人を求めるが如く、互いに引き付け合うとそのまま結合し、融合し、己を生み出したそれぞれの半身を引き寄せ合わせた。
「これは……回復魔法……」
あまりにもの神々しさに、ランド達は思わず見入ってしまっていた。
回復魔法はすでに伝説化しており、かつてフルオルガの第七代国王、ノアベアト・ディアークがその能力を保有していたと噂されていたが、現存している使い手は、少なくとも人間にはいないと認識されていた。
シュトルンも事態に対処するよりも、その経過を見守ってしまっていた。
ランドが来るまでの間に、シュトルンはすでに魚人司祭との戦闘を繰り返してきており、その祭にも何度か回復魔法を目にしていたが、今回は息絶えた状態からの蘇生であり、蘇生魔法は回復魔法のなかでも最高位に位置する究極の陽魔法として知られていた。




