第三十八話 魔力場
シュトルンから命じられメロディの護衛についたロルフは、自分たちに向けられる心無い視線に辟易としていた。
「すまないねメロディ、我々『宮廷騎士団』はいろんな者たちから疎んじられているんだ。私達はもう慣れているが、君には嫌な思いをさせてしまったな」
傷つき萎縮してしまっているであろう少女を気遣う騎士に、桃色髪の乙女は気丈な心持ちを示してみせた。
「いいえロルフ様、私達貧民街に暮らす者達にとってはいつものことですわ。ロルフ様たちは騎士でいらっしゃるのに、私達と同じような思いをなされているのですね」
「我々は騎士号を持っているとは言え、殆どの者が平民出の職業軍人だからね、貴族から見れば同じように見られるのは癪に障るだろうし、民たちからしてみれば、お高く止まって見える我々の存在は受け入れ難いものがあるのさ」
特に『宮廷騎士団』には“王家赤備え”と呼称されるに至る特別な事情がある。ロルフは我が身を振り返り自嘲する思いであった。
奇異の目で見られることを避けるため、なんとなしに道の端に寄った二人の耳に、一本裏の通りに繋がる路地から人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「テメェこら危ねえだろうが! 弁償しやがれ!」
声に気を引かれたロルフは裏通りを見やり、裏にも出店があればと、少女を誘い路地へと入り込んだ。
表通りから一本隣りの道に外れただけで、先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、そこには怠惰へ色欲へと誘う声が飛び交う魔性の世界が広がっていた。
とても幼い娘を伴って歩くような場所ではないと、ロルフは自らの選択の誤りを後悔したが、かと言ってすぐには表通りに戻る気にもなれず、一人の少女に祭りを楽しませることも出来ない自分の不甲斐なさを呪い、ため息にして吐き出した。
そんなロルフの心中を察してか、桃色髪の少女は砂色髪の騎士を気遣うように、今の自分達の心境を旋律に乗せて口ずさんだ。
――華やかな世界に馴染めず逃げ出しても、そこに居場所があるとは限らない。なれば私は歌を唄おう。この世の縮図のようなこの街で、私が私であるために……。
領主館の調査本部で聞いたときよりも尚に、その声はロルフの心に染み渡り、えも知れぬ活力を湧き立たせた。
「君の歌はまるで魔法のようだな。よし、折角の祭りだ、表通りに戻って楽しむか」
吹っ切れたように高揚するロルフ達の周りでも、メロディの声は届かなかったであろう場所に居た者たちまでもが奮起し、活力を湧き立たせていた。
「えぇい割れちまったもんは仕方がねぇ、今度は本物の薬を仕入れて来るぜ!」
「ちょっとお兄さん! 本当に後悔させないから少しだけ遊んで行きなよ、サービスしちゃうわよ」
「この剣は国士無双と呼ばれた彼の剣豪が所持していたかも知れないと言われたほどの噂に名高い伝説の秘剣で……」
メロディを促し、表通りへと繋がる路地へ戻ろうとするロルフに突然、耳に残る歌の余韻を劈く勢いで怒声が襲いかかった。
「メロディーッ!」
馬を馳せ参じたのはアリナの後を追って来たテオフィルであった。
樺色髪の少年戦士は腰に帯びた剣を抜くと有無を言わさず斬りつけたが、メロディが馬に跳ねられることを懸念し間合いを広く取りすぎていたため、ロルフは半歩退がっただけでこれを難なくかわした。
馬の扱いに不慣れなテオフィルは自ら馬上の優位性を放棄し、地上同士での戦闘に切り替える。
突然の出来事にロルフは戸惑いを覚えたが、襲撃者が少年であったことも心に余裕を持たせ、この少年戦士がメロディを救いに駆けつけたのであろうことはすぐに察しがついた。
この少年がメロディの知己であるのであれば傷付けるに忍びず、事情を説明して交戦の意志がないことを示そうと思ったが、少年戦士はその言葉を待たず斬りかかった。
ロウエム大陸一を誇る騎士団の副団長を務めるロルフである。テオフィルでは全く歯が立たない相手であるが、果敢に攻めてくる少年戦士の姿にロルフは老婆心を刺激させられ、しばらくの間少年の好きに攻めさせ自らは受けに徹した。
「歳の割には良い太刀筋だな、師がいるのか?」
「うるせぇこの野郎っ!」
全力の攻撃を軽く受け流されていることに憤慨し、テオフィルはさらに手数を増やしてがむしゃらに剣を叩き込んだ。
それでもロルフにとっては余裕の範疇にあり、筋の良い少年の動きを余興のように楽しんでいたが、貧民街に生きる少年の強かさに対しては、若干以上の油断をしていたと言わざるを得なかった。
勢いを逃がすために、少しずつ退ったロルフとメロディとの間が空いた瞬間をテオフィルは逃さなかった。
不意にロルフに背を向けたテオフィルは、そのままメロディの手を引くと一目散に表通りへと続く路地を走り抜けた。
「待て小僧っ!」
焦ったロルフは慌てて後を追いかけたが、すぐに追いつくかに思えたその時、地を揺るがすほどの地響きが鳴り響き、同時に街の中心地の方角から、建物でも落ちてきたのかというほどの重厚な衝撃音が轟き渡った。
アサラの街中心地に突如として現れたそれは、街の入口付近の裏通りを馬で駆けるランドの目からもわかるほど巨大なものであった。
「なんだあれは! それにこの街に充満しているような魔力感……」
異常な事態がアサラの街に起こっていることは疑いようがなかった。
年に一度の祭りに賑わう喧騒と高まった熱気は、街の中心部より悲鳴と絶望の叫びへと置き換わっていった。
人気のなかった裏通りはすぐに表通りから溢れてきた人々で埋め尽くされ、ランドは先に進むために下馬を余儀なくされた。
「ファヴリス、お前はここからベルパルシエ達のところへ戻るんだ」
ランドは人の波を掻き分け進む中で、人々が口々に叫ぶ声に我が耳を疑った。
「ば、化け物だーっ!」
「助けてくれー悪魔だ、悪魔が現れた!」
しばらく中心地に向け進んでいくと、やがてすれ違う人の数が減っていき、次第に傷付いた人の数と、その重症度具合が増していった。




