第三十五話 歌乙女
団長であるシュトルンの前に少女を連れ立った騎士は、兜を脱ぎ小脇に抱えると、右手の拳を胸に添え騎士の礼を示した。
「団長、奴らの住処に女剣士の姿はありませんでした。それで……その場に居たこの少女をとりあえず連行して参りましたが……」
騎士は自分の半分ほどの背丈しか無い桃色髪の少女を見やる。
シュトルンは思わぬ来客に目を丸め、黙ったまま立ち上がるとまぶたを閉じ呆れ顔で首を振った。
「斯様に幼き少女の腕に縄をかけるとは……」
赤毛の騎士は部下に命じ少女の縄を解くと、座卓を囲む椅子に着席するよう少女に促した。
「部下たちが失礼したね。私はシュトルン、君の名前を教えてくれるかい、歳はいくつかな?」
「……わたしはメロディです。十歳になりました」
メロディが長椅子に座ると、シュトルンも一人がけの椅子に腰を下ろした。
メロディの後ろで見張るように立つ騎士を退がらせると、シュトルンはいくつかの質問を少女に投げかけた。
アリナ・シュミットとの関係性、普段の暮らしぶり、そしてアリナとマティアスとの繋がりをである。
「アリナ姉様とは一緒に暮らしてるわ、いつもお歌を教えてくれるの。マティアスおじ様とはお仕事の仲間だって言ってたわ」
「ほぅ、歌を……どんな歌だい?」
「あら、騎士様もお歌に興味がおありなのですか、でしたらわたしの好きな歌を聴かせて差し上げますわ」
赤毛の騎士は社交辞令的に尋ねただけであったが、少女は長椅子から立ち上がるとおもむろに唄いだした。
――目を閉じて見てごらん、花の息吹が映るはず。耳をふさいで聴いてごらん、風の薫りが囁きかける……。
その声は厚く優しく穏やかで、聴く者の心を和ませ、所詮は子供の歌と侮っていた騎士たちは少なからず感銘を受けた。
唄い出した時に丁度入室して来た砂色髪の騎士も、他の騎士たちと同じくこの小さな少女の歌声に感動したようである。
「や、これは良い時に参ったようですな。こちらの“歌乙女”はどちらの御仁であられますかな」
「来たかロルフ、まぁ座れ」
少女は向かいの椅子に着席する騎士に屈膝礼を示し、自らも再び腰を掛けた。
シュトルンはロルフにこれまでの大まかな成り行きを説明し、これからの事に思案を巡らせた。
ロルフは指揮官の考えがまとまる迄の間、幼い“歌乙女”の話し相手を買って出る。
「ほう、アリナ・シュミットのところの……」
「騎士の皆様はアリナ姉様のことを長いお名前で呼ぶのですね」
「あぁ、我々には姓氏の方が馴染みがあるからね」
三人の囲む座卓に部下の騎士が飲み物を運んで来た。
シュトルンは珈琲を一口すすると、手にした受け皿に珈琲碗を戻し、定めた今後の方針をロルフ達に聞かせた。
「よし、乗りかかった船だロルフ、アリナ・シュミットと共にこの“歌乙女”も我々が保護するぞ」
「よろしいのですか?」
「そろそろ陛下も動かれる頃合いだ、多少表舞台に立つことになろうと、我々の力でお護り出来よう」
メロディには騎士たち二人の会話は意味がわからなかったが、とりあえず自分たちに危害を加えるような話ではないと感じ取っていた。
領主館の別の部屋では、領主フリーデマンが街の内外に用意した松明に火を灯すよう、配下の者に命じていた。
「ふふふ……いよいよ始まる……盛大なる宴、新時代の幕開けだ!」
すでに陽は姿を隠し、街は黒き夜の闇に覆われていたが、より賑わいを増す街の灯りが、真昼のように人々の心を明るく照らし出していた。
「おい、今からこの部屋には誰も入らせるな」
部下にそう命じたフリーデマンは、書斎の壁際に並ぶ本棚から一冊の本を取り出すと、その本を開きもせず机の上に投げ置いた。
本を抜いてできた隙間の中に手を差し入れると、奥から何やら解錠音が聞こえ、フリーデマンはそのまま本棚を大きく横に動かした。
本棚が移動した跡に壁は無く、そこは隣の隠し部屋へと繋がる入り口となっており、館の主人はなれた様子で奥の部屋へと移動して行く。
隠し部屋に窓は無く、書斎から差し込む灯りが隠し部屋に長方形の灯影を刻んでいる。
隠し部屋の中央にある大きな机の上に置かれた行灯に火を灯すと、フリーデマンは不気味なほどの悦楽に表情を歪め、壁の一面から壁石を一つ引き抜くと、その奥から一冊の本を取り出した。
机の上で開かれた本は何も書かれていない白紙であったが、フリーデマンは気にすることもなくさらなる愉悦に心を浸した。
「時は満ちた! 黒雲に覆われしこの世界に今こそ燈火を焚き、新時代への導べとならん!」
アサラの街の内外に用意されていた松明が一斉に点火された。
街を縦横に走る灯りは街の外十町(約千百メートル)まで延び、円形に街を囲む外壁の上、その外壁の線を一回り小さく形どった街の中通りを、押し並べられた松明の灯火が煌々と輝き夜の闇を振り払っていった。
隠し部屋で一人狂宴に興じるフリーデマンは、ご馳走を目の前にした空腹の少年のような笑みを浮かべ、何やら繰り返し呟いていた。
「さあ来たれ我が下へ……今こそ我が身に宿り、その神なる力で世に知らしめるのだ!」
フリーデマンの眼下に開き置かれた白紙の本は、その声に応えるかのように次第に輝きを放ち始めた……。




