第三十四話 駆ける心
アサラ南の森で繰り広げられる人間と亜人達との戦闘は混戦の装いを新たに苛烈さを増していった。
東の戦線も崩れ、ランド達のいる場所が最終防衛線となって、ここを突破されれば森を抜け出てアサラの街まで半日もかからない距離であった。
東から女面鳥身に追われ流れて来た戦士たちと共に、ルーとロジェもランド達と合流を果たした。
人と亜人とが入り混じって戦う中、ふとロジェは亜人たちの行動に規則性を感じ、ランドに疑問を投げかけてみた。
「おかしいと思いませんか、亜人達……街に向かって進んでいるように見えますよね」
これまでの常識では、アサラのような大きな街に、魔物が大挙して押し寄せるなど考えられない事であった。しかも今回は多種族入り混じっての事である。
「あぁ……これだけの魔物を統率し指揮を執れる者がいるのか、それとも……」
ランドは何と無しにアサラの街の方角を見やった。
魔物たちを引き寄せる何かがその方角にあるのかも知れない――とふと考えたが、周りの状況がそれより先に思考を前進させる時間を与えてはくれなかった。
人間達は魔物相手によく戦っていたが、失われていく命と積み重なる疲労感が、次第にその形勢に陰りを見せ始めていた。
空中から足の鉤爪を大きく開き滑空してくる女面鳥身を長身槍で突き刺し、そのまま地面に振り落としたベルパルシエが吠える。
「アリナはまだかよ! もう持たねぇぞ!」
心の叫びが届いたのか、木陰の先から人影が姿を現した。
但し、その人影はアリナのものではなく、馬上に身を弾ませる少年のそれであった。
ベルパルシエはよく知るその馬と少年の姿に驚き、走り寄って事態の説明を求める。
「おいペパンじゃないか! ファヴリスもどうした、ここは危ないぞ」
「うぅ……ごめんよベル兄ちゃん」
ペパンは泣き崩れそうになるのを必死に堪えながら、ここに来るまでの出来事をベルパルシエ達に説明した。
事の始まりは正午まで遡る――。
今年の祭りは貧民街でも炊き出しが行われると聞いていたペパンは、その開催場所と開始時刻を聞き、一人で留守番をしているメロディの待つアジトへと戻って来た。
「キャーッ!」
アジトの見える路地まで来ると、ペパンの耳にメロディの叫び声が突き刺さり、真っ赤な具足で身を固めた騎士に拘束され、アジトから連れ出されるメロディの姿が見えた。
「メロ……」
屈強な王国の騎士が複数人、アジトの中にまだ何人いるのかもわからない。
ペパンは歯を食いしばって決断した――今は逃げるしか無い。
ここで非力な自分が飛び込んでいったところで、事態にわずかな変化も与えられはしないであろう。
小さな戦士は兄姉たちの覚悟を受け継いでいた。
「ボクに出来ることをするんだ……」
ペパンは騎士達に気付かれる前に物陰へ身を潜めると、アジトの裏手に繋いであった愛馬の下へと忍び寄った。
「ファヴリス、お願いだから暴れないで……。メロディが知らない人たちに連れてかれそうなんだ。アリナ姉ちゃん達に知らせないと……」
馬の頬を撫でながら、すでに泣き出しそうな顔で懇願する。
馬は低く小声でブルルと鳴くと、実に大人しく、少年が背に乗ることを許容した。
ペパンは乗馬しただけで何も指示することはなかったが、馬はそれが当たり前であるかのように歩み始め、やがて駆け出し、あたかも御されているかのごとく、迷いもせずに南門を駆け抜けていった。
馬上から地上に居場所を移しへたり込むペパンを見下ろし、ベルパルシエは言葉を失っていた。
隣で話を聞いていたランドも同じように立ち尽くしたが、喉の奥から絞り出すように言葉を取り出した。
「ペパン……お前の判断は正しいぜ、よくここまで知らせに来てくれたな」
これからどのように動くべきか、思案を始めようとしたランドの意志を、続くペパンの言葉が決定した。
「それで、ここに来る前にアリナ姉ちゃんのところに行ったんだ。姉ちゃんはテオ兄ちゃんと待ってろって言って、一人で街に戻って行ったんだけど、テオ兄ちゃんもアリナ姉ちゃんの後を追って行って……」
ランドとベルパルシエは互いに驚いた顔を見合わせた。
ベルパルシエは悔しさをにじませるように顔をしかめランドに嘆願する。
「ランド、あんたファヴリスに乗って先にアサラに向かってくれ。相手があの赤い奴らなら、情けねぇがあんたじゃないと歯が立たねぇ」
側で話を聞いていたロジェもベルパルシエに賛同した。
「ここの防衛戦を一気に解くわけにはいきません。僕たちは頃合いを見計らって退がり、補給地点から馬で追いかけます」
話し合ってる時間は無かった。ランドはファヴリスに飛び乗ると、轡を返し馬をあおった。
ファヴリスは声高にいななくと力強く駆け出し、その背に向けベルパルシエが叫ぶ。
「頼んだぞランド、助けてくれ!」
助けてくれとはさらわれたメロディのことか、単騎で“王家赤備え”に挑もうとするアリナのことか、それを追う未熟な戦士テオフィルのことか、ランドは考えることもなかった。
「……全部任せとけ」
誰に言うでもなく馬上で嘯いたランドは、ただただ前を見据え、自分のやるべきことを心に刻んでいた。
アサラの街を黄昏が包み始め、いよいよ祭りも本格的な賑わいを醸し出していた。
街を縦横に走る街道には提灯が数珠つなぎに飾り灯され、年に一度の稼ぎ時に商人達の声は止むことを知らない。
芸人は踊り楽士は奏で、皆一様にこの日を楽しんでいる。
だが、この『邂逅祭』を主催する領主の館を間借りしている騎士団だけは、そんな浮かれ気分とは一線を画す雰囲気で、与えられた任務を粛々と遂行していた。
領主館の三階に置かれた『宮廷騎士団』による調査本部に、一人の少女を伴い、赤い具足で身を備えた騎士たちが入室して来た。