第三十三話 防衛線
近頃のアサラでは不穏な噂が街中を駆け巡っていた。
それは、普段は目にしない魔物や精霊といった人外の者達が、アサラ近郊で散発的に確認されている――と言うものである。
「先月も貧民街の奴が近くの山中で単眼巨人を討伐したって話だぜ」
「貧民にも使い道はあったようで何よりだが、単眼巨人なんてこんな街の近くで見かけるような魔物じゃないだろ」
「一昨日も行商人が南の森でゴブリンやオークの群れに襲われたって聞いたぜ」
「なるほどそれで今朝、貧民街の奴らがこぞって南門から出て行ってたのか」
この日アサラでは年に一度の大きな祭りが催される予定だが、“闇労働組合”に所属する者達にとってはそれどころではない。
亜人共の集団が街の近くに居るともなれば、自分たちの住む街を守るため、何より稼ぎ時を見逃さないためにも、一致団結して事に臨むのである。
すでに南の森では、先発隊が魔物の集団と交戦を開始していた。
「おいおい“盾の女神”、お前さんのとこは単眼巨人の報酬で潤ってるだろうが、少しは遠慮しねぇか!」
「何甘いこと言ってるの、神は怠惰に寛容ではないのよ!」
「今回の依頼人はアサラ伯爵だ、狩れば狩っただけ銭になるぞ!」
街の兵士たちは総出で祭りの準備に忙しく、フリーデマンは領地財源を開放して“闇労働組合”に依頼を出したのであった。
交易で知られるアサラの街には様々な人達が一年を通して訪れ、そして去っていく。
出入りするのは商人だけでなく、珍品を買い求めに来る富豪や貴族、仕事を探す冒険者や難民、大陸を往来する旅人から罪人まで、その出自は多岐にわたり、この街での出会いと別れを思い出の一項に刻む。
この日、アサラの街では多くの人々がその足を止め、年に一度の祭りの開催を待ち望んだ。
中でも一番楽しみにしているのは、この街の領主フリーデマンであったかも知れない。
「外壁の松明の準備は終わっておるか? 中通りにも兵と松明を配置せよ、街の外十町(約千百メートル)までは灯りを絶やすでないぞ!」
日没後の準備も怠ることなく指図し、フリーデマンは窓の外に賑わう群衆を見た。
「皆はしゃいでおる……今日はここアサラに最も人が集う日、私も弾む心を抑えきれんわ……ふふふ」
その群衆の中を掻き分け、領主館へと駆け込んで来る騎士の姿があった。
騎士はフリーデマンの部下ではなく、同じ領主館内に調査本部を置く『宮廷騎士団』の者であった。直接三階の本部まで駆け上がり、シュトルンを前に拳を胸に当て直立する。
「ご報告申し上げます! 貧民街における武装勢力の実態調査が終了致しました」
貧民街にはいくつもの冒険者団体が存在し、各区域ごとにいる“顔役”によってまとめられている。そしてその“顔役”たちを束ねる実質上の頂点にいるのが『明けの明星』のマティアスである。
「このマティアスなる者がキュラントに行っていたと証言する者もおり、お尋ねの者と同一人物であると断定してよろしいかと愚察致します」
但し、本人は先月頃からアサラを留守にし行方知れずだと言う。
思案にふけるシュトルンに、騎士がもう一言報告を追加する。
「……今一つ、修道女の女剣士についても調べが付いております」
シュトルンはハッと目を見開き部下に視線を移した……。
日は中天を傾き始めたが、炎天下の中、地をうごめく人間たちを嘲笑うかのように熱視線を送り続け、アサラ南部の森で朝から続けられている戦闘はさらに加熱さを増し、同時に参加者の疲労と、参加すること自体の難易度も増していった。
「おいっ! 向こうに女面鳥身が出たってよ! 飛び道具持ってる奴はそっちに集まれ!」
「何を寝言ほざいてやがる! こっちだって戦線維持だけでやっとだぜ! “盾の女神”が居なかったらゴブリン共に押し切られてるぞ!」
「コイツら何匹いやがるんだ!」
次第に焦りを見せ始める討伐者たちであったが、一部の者達はまだ余裕を持ち合わせていた。
「おーいアリナ交替だぁ、飯食ってこいよー」
呑気に手を振って声をかけるランドに、緋色髪の女神が睨みを利かすように視線をぶつけた。
「いつまで食べてるのよあなた達は! ほらランドはこっち! フレッドはここ! いい? 絶対この戦線から先に通さないでよね!」
引き継ぎを終えるとアリナは細身の剣を鞘に納め、ランド達には背を向けたまま満面の笑みで補給地点へと向かった。
その背にランドからも引き継ぎ事項を申し送る。
「スープは具だくさんだが肉の残りは少なかったぞー」
駆け出すアリナを見送ったランドは、振り返って背に背負った剣を引き抜いた。
「さぁてフレッド、食後の運動と行こうか」
「た、沢山やっつけたら、またお替り、食べても良いかな」
「銭の出処は領主様の財布だ、おやつの時間にはきっと果物が出るぜ」
フレッドの目が光った……。
――しばらくすると、何人かの戦士たちと共に、ベルパルシエとテオフィルがランド達の下にやって来た。
「ランドここに居たか、西側の戦線はダメだ、一角狼の群れを抑えきれん」
口惜しげに吐き捨てるベルパルシエにランドも眉をひそめる。
「やっぱ司令塔が居ないと締まらねぇな」
「ど、どうするの?」
フレッドが不安そうに尋ねてくるが、ランド達にも差し当たっての打開案は思い浮かばない。
「とりあえずここで踏ん張るしかねぇだろ。テオフィルは飯食って来い、肉の残りが少ないぞ。ベルパルシエにはもうちょい付き合ってもらうぜ」
「オレもまだ動けるぜ!」
離脱に不服を唱える新米戦士に、歴戦の長身戦士が戦の心得を教授する。
「年長者の言うことは聞いとけ、休めるときにしっかり休むことも大切なんだぜ」
テオフィルはまだ納得しかねているようであったが、立腹しつつもその場を離れ、ランドの言うことを聞き入れ補給地点へと向かって行った。