第三十二話 赤の再来
アサラ領主館では、領主フリーデマンが呼ばれざる客の応対に営々と指示を飛ばしていた。
「三階の広間とその奥の倉庫部屋の掃除を優先せよ! 一階の第一応接室も片付けるのだ!」
領主館に従事している使用人たちはもちろん、フリーデマン直属の部下や、国から配属されて来ている兵士まで、動ける者たちを総出で領主館の清掃整理に駆り立てた。
「く……よりにもよってこの領主館に……」
この日訪れた客は、首都より王命を携え赴任して来た首席騎士団、通称“王家赤備え”である。
応接室にて面会したフリーデマンは、団長シュトルンより今回の南下の目的と、いくつかの要望を伝えられた。
シュトルンが館を辞すと、フリーデマンは全霊をもって悦喜を表現した。
「ふふふふふ……バレてない、バレてなかったぞ。彼奴ら、貧民街のクズ共を調べに来ただけだ」
差し当たっての指示を出し終えたフリーデマンは、慌ただしく動き回る部下達を眺め見ながら、安堵が溶かした緊張と言う珈琲をすすり飲み、幸せの味を感じていた。
「しかし、調査本部をこの館に……とは」
館内のとある場所にある隠し部屋には、絶対に見つかってはならない一冊の本がある。
今から館の外に持ち出すのは危険極まりないので取り敢えずはこのまま隠し通し、“赤備え”には早々に調査を終えさせ立ち去ってもらう。フリーデマンは心を落ち着かせ、冷静に今後の構想を描いた。
館の準備を終えると、三階の広間にシュトルンを迎えたフリーデマンは調査への全面協力を申し出た。
「アサラは来月に、毎年恒例の大規模な祭りを控えておってな、この祭りは領民たちも心待ちにしておるのだ。祭りの前に不吉な任務は終わらせてもらいたいゆえ、我が部下らにも手伝わせ、早々に片付けられるがよかろう」
アサラ領主からの有り難い提案であったが、シュトルンはこれを丁重に辞退した。
「フリーデマン隊長のご厚意には真感謝の念に堪えません。ですがこの度の任務は隊長の御手をお借りするほどのものではございませんので、どうかお気遣いなく祭事にご尽力頂きたい」
「元……な」
“王家赤備え”がアサラの街に駐屯していると言う噂は間もなく貧民街にも伝わったが、貧民街を取り仕切る『明けの明星』の幹部連はこぞってラージへ往訪中でもあり、特に何することもなく、街中の会話も祭りの話題が大半を占めていた。
「おい聞いたかよ、今年の『邂逅祭』は貧民街にも炊き出しが出るってよ」
「オメェ遅ぇよ、その情報ならもう街の外まで伝わってるぜ」
「最近見ねぇ顔がうろちょろしてるが、皆炊き出し目当てか?」
貧民街南部に在るアリナ達のアジトにも、例外なく告知は舞い込んだ。
「おいルー、その話なら二日前にレイモン爺さんが教えてくれたぜ」
アジトに飛び込んで来たルーに、暇そうに横になって本を読んでるランドが言うと、ルーはがっかりした体で他の仲間の居場所を尋ねた。
「アリナならさっきフレッドとテオフィルを連れて仕事に出かけたぜ、最近は面倒なヤマばかりだからな、二、三日は帰らないんじゃないか。ベルパルシエとロジェは昼前から“闇労働組合”に詰めてるよ、仕事待ちだ」
皆を驚かそうと意気込んで来たルーは気勢をそがれ意気消沈してしまった。何気なくランドの見ている本の項の見出しが目に入る。
――【イケメン神父に言われてみたい神の言葉百選】。
「ランドォ……オメェ大丈夫かぁ?」
ルーは方向性を変え、ランドの興味を引きそうな話題を取り出してみせた。
「そういえば最近この辺をうろついてる野郎の中に、“赤”の奴らが紛れてるってぇ噂だぜぇ。どうも奴ら、貧民街に用があるみてぇだなぁ」
「ケッ……こんなところにご苦労なこったな。ゴミでも拾いに来たのかよ」
「ゴミなんて拾われたら何にも残らねぇよぉ。奴ら、マティアスのことを嗅ぎ回ってるってぇ話だぜぇ」
本の項を捲りかけたランドの動きが止まった。表情は強張り、かすかに指が震えているようにも見える。
「本当かよ……いや、考えてみれば当たり前のことか……」
「そうだぜランドォ、マティアスは魔導書を持ってる。見つかれば一発死け……」
「袋とじが開いてるじゃねぇか! まぁアリナの本だし、去年の創刊号だからなぁ」
「ランドォ……オメェ大丈夫かぁ?」
一つため息をつき本を閉じたランドは、ルーに向き直り今度は真面目に受け応えた。
「冗談はさておき……土の魔導書は今マティアスがラージに持っていってしばらくは帰ってこない、貧民街をいくら嗅ぎ回ったところで何にも出てきやしねぇよ。それより、こうなると王笏があるこっちの方が見つかるとやべぇ気がしねぇか?」
「確かになぁ、せめて奴らの狙いが何なのかが知りてぇよなぁ」
「ま、こういう事はロジェの担当だ。オレたちは大人しく英気を養うとしようぜ」
そう言うと、ランドは奥の部屋に向かって声を掛けた。
「おーいメロディ! 五二一年の冬号ってあるのかー?」
ランド達よりも強く“赤備え来る”の報に反応を示す人物たちがアサラの街にいた。
貧民街の外、商人達が行き交う街路に立ち並ぶ宿場の一つに滞在しているその人物らは、突如として現れた赤い軍団に警戒心を最大限にまで高め、その動向を探っていた。
「閣下もついに年貢の納め時と言うやつが参りましたな」
室内から窓際の壁に背を寄せ、外の様子を伺う男が、奥で椅子に腰掛けている人物に声をかけた。
口髭を指先でひと撫でしたその人物は、不安に駆られているかのような言葉で壁際の男に返答する。
「カミルよ、私もアサラ伯のご尊名は存じておるが、どの程度の信頼を寄せて良いものだろうか……」
「アサラ伯は中央とは繋がっていないと私は見ております。今回の“赤”も閣下とは無縁の事由で来たと思ってよいかと……。今はただ息を潜め、奴らの出方を伺ってみては如何でしょうか」
椅子の人物は完全には納得していない様子ではあるが、信頼を寄せる部下の勧めに応じ、息を潜めるように口を閉ざすと、座卓の上に置かれた飲みかけの玻璃杯に手を伸ばした。