第三十話 先ぶれ
ロウエム大陸各地には魔物たちが存在し、その一部は人間たちと生活圏を重ね合う。
フルオルガ南部の地域では近頃魔物たちの活動が活発化してきており、中でもアサラ領近辺では、手練の冒険者でも太刀打ち出来ないほど凶悪な魔物の存在が確認されている。
領主はその対応に追われるが、その対処が待てない、間に合わないような案件が“冒険者労働組合”に持ち込まれ、民間段階で処理される。
そして“冒険者労働組合”では手に負えない凶悪な魔物の討伐などは非公認の“闇労働組合”へと流れ、他に仕事の選択余地の無い者たちが、命を賭けて依頼を遂行するのである。
アサラの街北部の山肌を、蝉時雨を浴びながら歩く男女の姿があった。
前を往く男は、茶褐色の髪を焼け付く暑さの陽に晒し、焦げ茶色の瞳は焦点を失ったかのように茹だっている。
その後ろを歩く女は修道服の頭巾を目深に被り刺さる日差しから身を守っていたが、その秀麗な眉目は男と同じく暑さに虚脱していた。
「ね、ねぇ……依頼書によると……この辺よね?」
「あぁ、街からは……比較的、近い山だが……オレ達が……一番乗りみたいだな」
この日もランドとアリナは複数組に同時依頼の凶悪魔物討伐案件を受け、その進展具合いを競っていた。
後ろを振り返ったランドは、山の中腹からアリナの姿越しに見えるロウエムの広大なる大地を見晴らした。
限りなく澄み渡る青空に浮かぶ日輪の輝きが、青々と生い茂る山を大地を、地上に生きとし生ける全てのものを照らし包み込んでいる。
大草原の一画にはアサラの街が見える。
一年ほど前にも円形の外壁に囲まれたアサラの街を、アリナ達と見渡したことをランドは思い出し、その日から多くの人達との付き合いが始まったことを振り返っていた。
「他人を思いやれ……か、少しは出来るようになれたかな……」
遠い記憶の中から語りかけてくる声に返すように、ランドは天に向けて呟いた。
そんなランドを見上げ、憔悴しきった体のアリナが声を掛ける。
「あなた……どこ見て喋ってるの……頭大丈夫?」
「……この女は思いやれなくても大丈夫そうだな」
二人は不意に何者かの気配を感じ、剣を握り草木の陰に視線を走らせると、ランドが声で威嚇した。
「誰だ、出てこい!」
その声に反応したのか、少し離れた茂みからのそりとその身を起き上がらせたのは、人とは思えぬほどの巨軀を持ち、一つの頭にニつの目と耳、一つの口と、丸い目を持った魔人であった。
「単眼巨人! 本当に出やがった!」
「こんな人里近くに出るなんて……」
二人は一瞬目を合わせると、すかさずそれぞれが単眼巨人の両側に別れて位置取った。
――刹那。
大木にも劣らぬ巨軀が突如その場で旋回する。
「ぐぅ――!」
単眼巨人の手に握られた丸太はアリナの予測を超える速さで襲いかかり、避ける間を逃したアリナは受けた剣ごと体を叩き飛ばされた。
「アリナ!」
旋回する大木はそのままランドの眼前へと迫り、ランドも思わず剣で受けるがその勢いを殺しきることが出来ず、瞬時に後ろに飛ぶが丸太の衝撃で重力を無視するように宙を舞い、その体を受け止めた大樹に悲痛な声をあげさせた。
「くそ、デカいくせに素早い……アリナ大丈夫か!」
「えぇ……大丈夫よ……。汝痛みを知り、もって与える罪をぞ知るらん……だったかしら、クソ喰らえだわ」
二人はゆるりと立ち上がると、息を合わせたように同時に斬りかかった。
単眼巨人は正面のランドを叩き潰さんと丸太を振り下ろすが、その背後からアリナが連撃を打ち込み単眼巨人の足の腱を斬り裂いた。
態勢を崩した単眼巨人の攻撃を潜り交わし、すれ違いざまランドが背負い投げるように剣を振り抜くと、単眼巨人の太い腕を根元から斬り飛ばした。
「ふうぅー……よし!」
血振りし満足げに剣を握り直したランドの後背で、倒木の様に単眼巨人が倒れ込み、眼前に剣を構え改め刃こぼれを確認する先では、斬り飛ばされた腕が所在なげに地に転がった。
「あなた、よく一太刀で斬り飛ばせたわね」
転がる腕を細身の剣先で突きながらアリナはランドに称賛の言葉を贈り、ほどなく事切れようかと言う単眼巨人を横目に見やると、何やら不思議な声が聞こえてきた。
「死んじゃう……もうすぐ死んじゃうよー……」
その声は小さくか細いようであり、目が覚めるほどの叫びであるようにも聞こえた。
「やだ、この声……」
「なんだ、どうした?」
ランドは気付かなかったようだが、アリナは聞き覚えのある女の声に怯えるような反応を示した。
遡ること十三年前のロウエム大陸歴五〇八年、当時六歳のアリナはフルオルガに居た。
国の騎士であった父親は家に居ないことが多く、母との思い出は魔法の修練と神への祈りが多くの時間を占めた。
「アリナ、貴女には魔導師としての才能があるわ。でも気を付けて……魔導とは人を惑わすもの、その力が大きければ大きいほど、心に掛かる負荷も計り知れないものになるわ」
ある日アリナが母と共に祈りを捧げていると、何処からとも無く不思議な声が聞こえてきた。
「死んじゃう……もうすぐ死んじゃうよー……」




