第二十五話 明日への息吹
ランド達がアサラに戻った翌日の夜半、クーメ領主レイモンドは穏やかな心持ちで床に就こうとしていた。
ここ数日の間は全く取り付く島もないほどのせわしなさが続いたが、遺跡探索での失態、ゲリラによる損害の罪は全てゲルベルトに押し付け投獄してある。
あとはゲルベルトに同情的な声を抑えつけた後で、彼を処断してしまえば全ては丸く収まる。とレイモンドは考えていた。
だがレイモンドは見誤っていた。ゲルベルトの人望の高さを。
彼は貴族社会においては落ちぶれた名ばかり貴族の一員であり、また、軍人としても高くはない階級に甘んじており、レイモンドからしてみれば取るに足らない存在であった。
だがそんな彼を慕う声はレイモンドが無視できないほどに多く、その声を抑え込むまでの間として、彼の刑の執行を猶予していたのだが、まさかその彼を命がけで助け出そうとする者までいるとは、レイモンドにとっては思いも寄らないことであった。
領主館の地下に設けられた牢獄で、最後の晩餐は何にしようか、などと考えていたゲルベルトの下へ、人目を忍んで一人の人物が姿を現した。
ゲルベルトは薄暗がりの中に人の気配を感じ、己への刑が執行される時が訪れたと受け止めた。
「そうか、明日か……では明日の朝食はゆで卵とワインを貰おうか、ゆで卵は少し固めに頼む、こぼすと勿体ないからな」
訪れた男は鉄格子の扉に掛けられた錠を解くと、その場に跪きゲルベルトの求めに応じた。
「すでに爵位を失い軍籍を失われた閣下におかれましてはゆで卵がお似合いでございましょう。必ずやご用意致しますゆえ、今は取り急ぎこの別宅を離れ御身をお隠しなされますよう……」
ゲルベルトは覚えのある声に思わず身を乗り出した。
「カミルか! 貴公、このような真似をしてタダで済むと思っておるのか!」
「もとより私の命は閣下にお捧げ致しております。この身を案じて下さるのであれば、まずは御身の安全を求め、然る後にこの不肖の身に栄耀栄華をお与え下さいませ」
「言うではないか。だが、私がここより姿を消せばレイモンド公のお立場がなかろう。臣として恩を仇で返すような真似は……」
この期に及んでためらうゲルベルトにカミルが説得を試みる。
「事情は聞いております。閣下は御身のみならず、その罪も背負ってお隠れになるのです。レイモンド公のお考えをお察し致しますれば、決して不忠とはなり得ません」
遺跡探索やゲリラによる被害が出た罪は、ゲルベルトが負わされたままとなるのでレイモンドがその罪で罰せられることはない。
実は“その犯人を逃した罪”が派生するのだが、そのことをカミルは敢えて伏せていた。
「閣下! 私が今ここに至るには幾人もの心ある者たちの協力があってこそなのです。どうかその者たちのこともお考えになり、御身をご自愛下さいますよう……」
額を床に着け懇願するカミルに、ゲルベルトは両の口髭をひと撫ですると、意を決して指図した。
「カミルよ案内せよ!」
“ゲルベルト脱獄”の一報は、二人が遠く行方をくらませた後、十分な時を数えてから騒がれ始めた。
これも協力者によるものなのか、二人は何処で手に入れたのか馬に乗り、夜のクーメを駆けて行く。
「カミルよ、この後の考えはあるのか」
「はっ……取り敢えず閣下はその身にふさわしく追われるお立場となられます。御身を隠す場所に関しては心当たりがございますので、ひとまずは其処へ参り、後に再起を図るための善後策を練りましょう」
ゲルベルトはカミルの進言を受け入れ、二人は夜の闇へと姿を消していった……。
数日後、アサラ貧民街にアリナ達が帰り着いた。
メロディがアリナに抱きついてその無事を喜んだが、落ち着いた後にアリナの口からもたらされたゲリラ隊の惨状は、一同の心に一抹の影を落とし、ランドはしみじみと言葉をこぼした。
「そうか、ゲリラの奴らはほとんど……」
「えぇ……アジトにあなたが居座ってた以上にショックだったわ。せめて私たちがもう少し早く到着していれば、助けられた人もいたかも知れないのに……」
ベルパルシエも落ち込んだ様子のアリナを元気付けようと言葉をかける。
「起こってしまったことは仕方がないさ、ひとまずはオレ達全員が無事に帰って来れたことを喜ぼうぜ」
「そうね、報酬の計算もこれからでしょうし、無一文じゃ他に行くところなんて無いものね」
「お前は何の話をしてるんだ」
呆れ顔で不本意な物言いを指摘したランドは、大袈裟に落胆して見せるアリナを見て、もしかして全く気にしてないのでは、と逆に安心していた。
年長者たちの会話が途切れることを待っていたかのように、年少組が一斉に話し出した。
「アリナ姉ちゃん魔法の本はあった? メロディにも見せてー」
「アリナ姉、ランド兄は一緒に暮らすのか? 剣を教えてもらってもいいのか?」
「ベル兄ちゃん、ファブリスを散歩に連れてってやってよ。テオ兄ちゃんじゃまだ大人しく出来ないんだよ」
指名に預かったベルパルシエとアリナが、やれやれといった体で年少組の頭に手を乗せ髪の毛を掻き乱した。
「なんだテオフィル、お前まだファブリスを乗りこなせないのか、剣よりまずは乗馬からだなぁ」
「ごめんねメロディ、魔法の本はあったんだけど、一冊だけだったから私たちは貰えなかったのよ。それと……」
アリナはテオフィルに向き直り、目の高さを同じにして、その麗しい顔で微笑んで見せた。
「ランドはこれからちょっとお出かけするから、その時にこれからのことを相談してみるわね。稽古のことは帰ってから話しましょう」
何か皆の前では話せないことでもあるのか、とランドは身構え、反してテオフィルはアリナの申し出を素直に了承した。
アリナに連れられランドが訪れたのは『明けの明星』が運営する“闇労働組合”であった。
「とりあえず働かないと食べていけないんだから、あなたも“闇労働組合”に登録しときなさい」
「お前は母ちゃんかよ……」
とは言ってもアリナの言う通りなので、ランドは従順に店の中に入って行った。
店内ではマティアス達が生還を祝って歓談しており、飲食客用席を通るランド達に声をかけてきた。
「これはこれは麗しの“盾の女神”じゃないか、今日は二人だけかい? もしかして……?」
椅子に腰掛けたまま冷やかすように投げかけられたマティアスの言葉に、アリナは戦場かと見紛うほどの冷めた視線で受けて答えた。
「もしかして何よ。今日はランドを“闇労働組合”に登録してもらいに来ただけよ」
「そうか、ランドも晴れて“闇労働組合”の仲間入りか」
マティアスと円卓を囲んでいたマドレーヌも、柔らかな微笑みをもって会話に参戦して来た。
「あなた達には色気が足りないわよねぇ」
余計なお世話だと言わんばかりのアリナに、“顔役”としての世話焼き心に火がついたのか、マティアスがさらに一言追撃を加えてきた。
「登録なら僕が担当してやろう。“闇労働組合”に登録するなら“通り名”もしておいたほうが良いからな」
立ち上がろうとするマティアスの肩を手で抑えつけ、アリナが見下すように言い捨てた。
「私のときはそれで勝手に“盾の女神”って登録したんだったわよね」
「は、はは……でも“通り名”も登録しておいたほうが良いのはキミも認めるだろ?」
「……まぁ、そうね。それならランドには良い二つ名があるわ」
アリナは意地の悪そうな笑顔でランドを見ると、真っ直ぐ“闇労働組合”の受付カウンターへと歩いて行った。
「お、おい……」
ランドが少し不安げな面持ちでアリナを呼び止めようとしたが、アリナは何食わぬ顔で手続きを進めると、親指を立ててランドを指差し、受け付けの女にランドの顔を確認させた。
「終わったわよ」
「終わったってお前なぁ……」
不満気な顔をするランドを無視し、アリナはマティアス達の席に合流する。ランドにも空いてる椅子を引いて着席を促すと、ランドは観念したように黙ったまま椅子に座った。
「しかしランド、ちょうど良いところに来てくれたね」
マティアスが意味ありげに言うと、ランドは興味をひかれ耳を傾ける。
「とりあえずこれを見てくれ……」
アロイースが卓上の水差しを端にのけると、マドレーヌが卓中央に縦長の革袋を乗せた。
ランドは乗せたときに生じた重い音とその形状から、何か細長い武器か道具ではないかと予測したが、マティアスは袋を開けないままに話を進めていった。
「これはあの遺跡で、法王の遺志がキミに託した杖だ」
杖と言っても歩行の補助を期待するのには短すぎるようだ。その長さは人の背丈の半分ほども無い。
ランドが中身を確認しようとすると、周りから見られないようにと釘を差され、革袋を立てて上から覗き込むようにして袋の中を見てみた。
「確かにあの時受け取った杖だ」
その杖にはまるで矮人が細工したかのような精巧な模様が施され、いくつもの装飾された宝石たちが、その絢爛たる形様をさらに神秘的な水準へと押し上げていた。
「うわ、何これ高そう……」
ランドの横から覗き見たアリナが思わず感嘆すると、マドレーヌがその感想に答えて見せる。
「その埋め込まれている宝石……どれも希少な物ばかりよ。特に持ち手に造形された竜の口が咥えている玉石の価値は私にも見当が付かないわ」
「へぇ、それじゃオレ達への払いも結構な実入りになるのか?」
期待していなかった報酬が予想外に高くなりそうで、ランドは何ともなしに聞いてみたが、続くマティアスの回答はさらに意外なものであった。
「ランド、今回僕たちが持ち帰った戦利品は土の魔導書とこの杖のみ。そしてこの杖はランド……法王がキミ個人に託したものだ」
つまり『明けの明星』としての戦果は魔導書のみで、杖はランド個人の所有物であるとマティアスは言っているのである。
「え……? いやいやオレはこんな高価な物貰ったってどうしようもねぇよ。金に替えて皆で分けようぜ」
「殊勝な心がけだ……と言いたいところだが、物が物だけにそうも簡単にはいかないのさ」
ランドはとりあえず袋の口を縛り直しマドレーヌへと押しやり、“そうもいかない理由”について耳を傾けた。
「遺跡で見たあの陰影、今にして思い返せば確かにクーメ法王の面影があった……。僕も生前の法王とお会いしたことは数える程しかなかったし、ご尊顔をお側で拝見したことは無かったからすぐにはわからなかったが……」
確かにこの袋の中にある杖と、同じようなものをいつも手にしていたとマティアスは語った。
つまり、そう簡単に金に替えて良いものではないとマティアスは考えており、ランドに一つ提案を持ちかけた。
「どうだろうランド、とりあえずこの杖はキミの物と言うことで納得してもらい…」
何か言いかけたランドを手で制し、マティアスは構わず話し続ける。
「だがこの杖が如何なるものなのか、僕もとても興味を惹かれるんだ、そこでその調査をするため、一時的に杖を『明けの明星』に貸し出して貰えないだろうか」
そうマティアスが問いかけると、ランドは二つ返事で了承した。
ランドにとって杖は今回の遺跡探索で獲た戦果だと思っているので、それをマティアスがどう扱おうが構わないと思っていた。
「それじゃ奪われた魔導書の行方調査と並行して杖の鑑定も進めるわね。どちらもわかり次第あなた達にも知らせるわ」
そうマドレーヌが締めくくり、場は和やかな会談の様相を醸し始めた。
二本の短槍を両腰にぶら下げたまま、胡座をかいて座っているシジスモンドがアリナに話を振った。
「金髪の坊やは腕を上げていたな。奴の長身からあの長身槍を突き出されると、相手はやり辛いだろうな」
面白半分にアロイースも話に乗っかる。
「あいつの身長はまだ伸びてるのか?」
四半刻(約三十分)ほど他愛もない雑談に花を咲かせたころ、マティアスがランドにそれとなく聞いてみた。
「キミは今アリナ達のアジトに居るのか、今後のことは何か考えてるのかい?」
この言葉を受けてアリナが口を挟む。
「しばらくはウチに居れば良いわよ、どうせ行くあてなんて無いんでしょ。その代わりテオフィルに剣を教えてくれない? 交換条件よ」
気を使わせないように交換条件を呈示したのであろうか。この女、案外良いところもあるじゃないか――なんてことを思い、了承の返事を返したランドに“闇労働組合”の受付嬢が声を掛けてきた。
「“柄杓の剣士”ランドさん、一ケ所署名を頂けますか」
貧民街に新たな通り名が流布された……。